初めての異世界
目の前は先程と打って変わって黒一色。その眩しさに思わず目を瞑ったからだ。次第に体に力が入るようになっていく。
「ようこそ、ハーデンベルギアへ」
明るい声が聞こえた。思わず瞑っていた目をゆっくりと開ける。
そこには広大無辺の見渡す限り若葉色の絨毯で埋め尽くされた草原が広がっていた。四方八方を同じ景色で囲まれているだけなのに不思議と感動を与えてくれた。それは普段目にしない光景だからだろうか。
「どう? 初めての異世界は」
本当に異世界に来たんだ。空気が全然違う。すごい、嬉しい、感動、そんな単純明快な言葉しか出てこなかった。
「ありがとう……連れてきてくれてありがとう」
こんなに感動したことは初めてかもしれない。異世界の草の感触、空気の匂い、髪を掻き乱す風、全てを忘れまいと記憶に叩き込むように歩き始めた。
暫くはその感覚を楽しんでいたが、ふと僕は思った。どうしても今確かめたいことを……。
「今まで地球から来た人っているの?」
もしそうでなければ、歴史的なことで、僕が初めて異世界に足を踏み入れた人になるからだ。
「どうなんだろう?」
妖精は小首を傾げながら言った。
「ハーデンベルギアにはまだ地図にも乗ってない場所だってあるって言われてるし、もしかしたら来ていることもあるかもね」
「そうなんだ……」
すると妖精はいきなり微笑んだ。
「大丈夫だよ。君は私の歴史に初めて名を刻んだ異世界の人だから、私にとっては初めてだよ」
その微笑みが無条件に体をドキッとさせた。
隣を飛ぶ妖精は僕の歩く速度に合わせてくれている。そんなことだから余計にその思いやりにときめいてしまう。
それから暫く歩き続けたが、目の前に映る景色は一向に変わらない。若葉色の絨毯と白と青のプロポーションが抜群の空模様。新鮮だけども同じような景色が続くとやはり飽きてしまうものだ。取り敢えずこの後の予定でも訊いておこうと思った。
「ところでこれからどうするの?」
「オリーヴァ王国に行くよ」
妖精曰く、オリーヴァ王国はここから一番近い国でそれなりに国土の大きい国だそう。ついでにとハーデンベルギアのお国事情もお話してくれた。
ここには二大国家と言われる大きな国があるそう。その一国、今向かっているオリーヴァ王国は別名『知恵の国』と言われ、世界でも有数の蔵書数を誇る王立図書館があるとのこと。これにはかなり食いついたが、詳らかには教えてくれなかった。百聞は一見にしかずだそう。
もう一国は、カトライヤ王国、別名『魔法の国』。魔法に関しての国力であれば右に出るものはいないと言われている。魔法の真髄に触れたいという入国者が後を絶たないが、魔法の国と言われているだけあって、この国で生活していくにはそれなりの覚悟と魔法技術が必要。そのためか、同時に出国者も後を絶たないという。
妖精のお国講義を聞き終えると好奇心、冒険心がさらに高まっていた。
こんなことを話しているうちに随分と歩いたようで、見渡す限り若葉色の絨毯だった景色が変わり、少し遠くの前方に暗緑色の森が現れた。
東西に長く伸びているその森の中を通るのだろうと思った。冒険に相応しい舞台だと高揚した気分の僕に対し、妖精はシリアスな面持ちだった。どうやら抱く感情は真逆のようだ。これは一人高揚している場合ではなさそうだと判断せざるを得なかった。
「あの森に何かあるの?」
森を指差し僕が訊くと、察しが良いのねと妖精が続けた。
「あの森はネグロべルデの森と言ってね。魔物が数多く住んでいるの」
魔物、少なくとも僕が思うに凶暴で誰それ構わず襲うイメージがある。
「それは凶暴で人を襲うとか?」
「うん、襲うよ」
「そんなに平然として言うことなの!?」
「心配ご無用! もし魔物が襲って来ても私がついてる限り大丈夫だよ」
その逞しい言葉に安堵したが、あの暗緑色の森が眼前に立ちはだかった時には、安堵なんて遥か彼方だった。
木々は高さ数十メートルにも達しており、森には陽光も十分に届かず、不気味な雰囲気の漂う薄暗い空間が広がっていた。何よりこの静けさがより不気味さを倍増させてもいる。足元には鬱蒼と生茂った植物が、まるでこれ以上足を踏み込ませないように行く手を阻んでいる。
僕は足を大きく上げ、足場を確保しながら道なき道を進んだ。そんな僕の状況をものともせず、妖精はその綺麗な羽衣を靡かせながら、一定のペースで飛んでいた。
この状況から分かるように、距離は次第に離れていくと普通は思う。現に僕はそう思っていた。
しかしそうはなっていなかった。始めから今に至るまで隣には妖精がいた。まさかペースを合わせてくれているのかとそう思った。
それに時々足が軽くなる不思議な感覚に襲われた。少し遠くに見えた倒木も近づいてみると木の枝程度の大きさだったといった不思議な現象もあったのだ。後者は見間違いではない。明らかに木の幹程度の大きさだった。
これらを踏まえると何かカラクリがあるとしか思えなかった。
「もしかして魔法使ってる?」
僕は半信半疑で訊いた。
すると、妖精はビクッと体を震わせこちらを振り向いた。
「え? なんのこと」
妖精の目はこちらを見たり、下を見たりと泳ぎまくっていた。まさかこんなにも動揺するなんて。
「分かりやすい……」
「だ、だからなんのこと?」
まだ白を切るとはそんなにも隠しておきたいのか、単純に知られたくないのか、気付いたのが間違いだったのか、鈍感であれば良かったのかも。そんな考えが頭の中を絶え間なく過っていた。
だけど、妖精の仕業じゃなかったらと考えもした。誰かが意図的に操作しているとしたら……そんなことを考えると鳥肌が立った。そうではないことを祈り確かめてみることにした。
「倒木を小さくしたり、歩きやすくしてくれたり、色々とサポートしてくれているよね?」
少しの沈黙を置いてから妖精は口を開いた。
「……バレてた?」
バレてます。僕は軽く頷いた。
「そっか、さり気なくサポートしていたかったけど、もうバレちゃってたんだね」
恥ずかしそうにえへへと笑っていた。
「ありがとう」
嬉しかった。隣を同じペースで歩き始めていたのにいつの間にか離れていることってよくあるから。
いつしか僕から敢えて距離を置くようになった。逆に距離を置かれたこともあった。そんな日々を僕は過ごしていた。
でも、妖精と一緒にいるとそんなこと考えなくても良いのかなって思えた。まだ出会って一日も経っていないのにどうしてだろう、安心できる。
そんなことを思い巡らせていると、それにねと妖精が続けた。
「私には君を守る責務があるからね」
えっへんと胸を大きく張っていた。小さな体なのに僕より大きくて頼もしく感じた。
「大丈夫だよ、こっちの方が異世界っぽくて好きだから」
「そう言ってもらえて嬉しいっ!」
満面の笑みという他ない大輪の花を咲かせていた。
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