決意
視界に映る景色はあの思い出の祠の前だった。日はまだ高く昇っており、暖かい木漏れ日が光の矢となって地面に突き刺さっていた。
紅葉に満ちた木々の中、足下に散らばった落ち葉を秋風が巻き上げてはまた地面に降り積もる。
呆然とその場で立ち竦んだ僕。
あれは本当に夢だったのだろうか。そう思わずにはいられないほど、旅立ちの時と同じ情景だった。ただ一つ、隣にルナがいないことを除いては……。
ただ、ぽっかりと心に空いた穴が夢ではないことを訴えていた。秋風が落ち葉と共にこの心も攫ってくれないのだろうかと切に願った。
右手に違和感を覚えたのはそんな時だった。小さな巾着を握っていることに気が付いた。それは白色と桃色のグラデーションが美しく紐は若葉色。旅立つ時には持っていなかった。それにこんなにも可愛らしい巾着は自分のものではなかった。
訝しみながら巾着を開けると、中には2つ折りの白い紙切れとペンダントが1つ。
白い紙切れを開くと、そこにはメッセージが一言だけ書かれていた。
「おまもり ルナより」
それを言葉にした。夢じゃなかった。夢じゃなかったんだと手が震えた。紙も小刻みに痙攣する。
ダメだ……涙が溢れそうになる。僕は泣かないようにと必死に堪えた。
こっちの世界の言葉や文化を覚えて書いたのだろう。端正な文字だった。僕を探していた間、ただ探しているだけじゃなかったのだ。今日のことまで、いずれ訪れようとしている世界のことまで、考えて勉強もしていたのだろう。
一人、誰にも頼ることなくひたむきに頑張っていたのだ。本当に尊敬する。負けていられないと素直に思うほどに。
手紙と一緒に入っていたペンダントはそのおまもりだ。白いペンタスの中心には、若葉色の半透明な石が埋め込まれており、落ち着いた色合いの組紐が白いペンタスと相性良く見える。
そう言えば、ルナの髪飾りも白いペンタスだった。遠くにいるはずのルナが近くにいるように感じられる。それはおまもりだからだろうか。
僕はペンダントを首から下げた。木漏れ日に当てられ、白いペンタスは光り輝く。
祠の前にしゃがみ込み、一礼をする。不思議と心が落ち着いた。正面にルナが座ってくれているような感覚に見舞われたのだ。
「おまもり、ありがとう」
なぜだろう。伝えたいことは山ほどあるはずなのに、今はこれしか出てこなかった……。別れた直後だからだろうか?
暫く祠の前でしゃがみ込み、思い出を反芻した。けれど、反芻しきれないほどの思い出に微笑まずにはいられなかった。
定期的にまた来よう。そう一人約束し、僕は一旦この場を後にした――
ガチャと玄関のドアを開ける。窓から注ぎ込む陽光が廊下を照らしていた。家の中には勿論誰もいない。
自室の扉を開けた先、四畳半の部屋は薄暗かった。締め切っていたカーテンを開け、陽光を部屋の中に呼び込んだ。
巾着とペンダントを机上に並べた。椅子に腰かけ、本棚から1冊の本を取り出した。
幻想世界風景画集――幻想世界に身を投じたい、現実逃避したいと思っていた矢先、繊細なタッチとリアルな色使いに目が留まり衝動買いした画集だ。心を落ち着かせたい時によく見る本だった。数百ページからなり、そこそこの重量感がある。その重さがまた心を沈めさせる。それが何より心地よかった。
だが、今は違う。見方が変わったと言えば分かりやすいだろうか。今までは単純に心の拠り所として見ていた本、今も心の拠り所としては変わりないと思う。
だけど、そこに『思い出』がプラスされた。ルナが手に取って物珍しそうに眺めていた本、少し似た風景が、ルナと旅したハーデンベルギアを思い出させた。
あの情景は心の中だけで、形として残っているのはルナから貰った『おまもり』だけだ。
でも、それで良かったのかもしれない。数多の感情が忙しなく流れる日々を送ったことが、僕の一生の思い出となったから。
ページを捲る度、思い出と照らし合わせた。最初は似ているようで全く似ていない絵を眺めて無理矢理紐づけていた。けれど、それも最初の数ページ程度で、気付けばページを捲る手だけが現実で、心は異世界だった。
そこに優しさはない、ただ正確無比に刻み続ける時計の秒針の音が部屋を支配していた。時刻は19時を回っていた。
ベットに横たわり、ペンダントをただ恍惚と見つめた。それがどんなに意味を伴わなくとも、今はこうしていたかった。きっと、初めて他人から貰ったおまもりだからかもしれない。
手紙を書こうと机上に広げられたレターセットには、1文字も書くことなく万年筆だけが転がっている。送れないのに……。
これからなにをすれば……正解なの?
考えるのに部屋の灯りが目障りだった。スイッチを押せば連動して消灯する。こんな風にスイッチで心の切り替えができれば、悩むこともなく生きていけるというのに……それが簡単にできないのが辛い。
闇夜、月光はなく窓から注ぎ込むのは微々たる街灯の灯り。カーテンを閉めると漆黒が犇めき合う空間に一変する。
ベットに転がり天井を見つめる。そこに天井があるかは定かではない。あることは百も承知だが今は見えない。
漆黒に手を伸ばしても何も掴めない。まるでこの世界の、昨日までの僕の心のようだった。
闇夜の中に立たされ、光を呼び込む扉は次々と閉ざされていく。漆黒の靄が足を覆い、身動きが取れなくなったところで一気に全身を食される。抗い、拳程度の風穴を空けてみても、痛みなどないと僅か数秒で再生する。無駄な抵抗は許さていない。
靄の一部になった僕は、闇夜の中を這いずり回っていた。
その世界で僕を照らす月光は訪れないと思い続けていた。実際、訪れなかったから。
そんな絶望の時、頑なに閉ざされた扉がいとも簡単に開けられた。
それがルナだった。この出会いは運命だった。
漆黒の靄は光を嫌い忽ち消滅した。
扉の外にいた仮初の自分では太刀打ちできず、いつしか本当の自分を引きずり出されていた。差し伸べられる手に引き寄せられ、同じく手を伸ばした。触れ合った手が不思議な力をくれた。
その時、初めて知れたのかもしれない。抽象的で、触れたら儚く消え去りそうな、美しい魔法を――
日曜日の朝日がカーテンの隙間から顔を覗かせていた。
手にはペンダントが握られていた。どうやらそのまま寝落ちしてしまっていたらしい。
特段予定のなかった日曜日、午前7時過ぎ。早起きしちゃったなと朝食を食べながら思う。テレビのニュースも至って平和だ。食欲の秋として秋の味覚特集、読書の秋として新刊特集。
身支度を終え、携帯と財布をショルダーバッグに入れ家を出た。ニュースでやっていた新刊特集に興味が湧いたのだ。
電車を乗り隣街の本屋に赴いた。
新刊本コーナーに足を運ぶ。目的の本があるわけではない。どんな本があるのか一通りチェックしておきたかった。勿論読みたい本があったら買うつもりではいる。
ニュースで取り上げていた本『希う逢瀬』、主人公の男子高生と10年前に一度会ったと謎の発言をする女子高生、その二人の出会いから別れまでを描いた小説だ。
思わず手に取ってみたくなる繊細で美しい装丁と興味を引くあらすじに僕は夢中になっていた。本を見つめたまま本棚の前に立ち竦んでいると、とんとんと肩を叩かれた。
「奇遇だな」
叩かれた肩の方、声のする方に顔を向けると、見飽きるほど見た幼馴染みの緑ヶ丘がいた。
「うん」
「どうした? 元気ないじゃん」
「いや、そんなことない」
「そっか」
「俺も本買いに来たんだよ」
「うん」
「昔っから本のことになると夢中になるよな」
「好きなんだよね本が、一人で読むあの時間が」
「それ、俺も分かるぜ! その本買うのか?」
「買うよ」
「俺もこういうの好き。ただ今回は漫画を買いに来たんだ」
そう言うと緑ヶ丘は、足早に漫画本コーナーと消えていった。
僕は手に取った希う逢瀬を購入し、お店を出た。
「待ってくれよー」
その時、後ろから寂しがり屋な声が聞こえた。そんなこと言わずとも僕は待つつもりだった。緑ヶ丘と合流した僕は帰路を進んだ。
「何買ったの?」
「新刊5冊と既刊2冊買った」
パンパンに膨れ上がった袋を下げた幼馴染みからは無償の愛の形が見えた。
「早く帰って読みたいぜ!」
「そうだね、僕も読みたい」
「とは言うけど、俺この後予定があって、ここでお別れかな」
丁字路の交差点で僕たちは向き合った。
「分かった。また明日」
「おう、じゃあなー」
賑やかな幼馴染みが反対方向に歩いて行く。その光景が少し寂しかった……。同じ大通りを並んで歩いていたはずなのに、気付けば僕は暗い路地の中に立っていた。
歩く道も違えば、感じる時の流れも違う。同じ人間でないから当然だけど、せめて僕も隣を歩いていたかった。
もう怯えて暮らす日々にはうんざりだった。明日は決別と再開の日にしたい、と不明瞭な自信が物語っていた。
初めての異世界、不慣れな会話、初めて感じた痛み、久しぶりの無邪気な笑い、初めての恋はとびっきりの両想い。そして、最後に貰ったおまもりは一生の宝物。
そんな日々を過ごしたからだろう、自分に自信が備わり始めていた。過去の誰かを不幸にすると定義付けしていた自分が恥ずかしいくらいに、今は前を向いて歩いて行こうと思えている。それが一番の成長なんじゃないかと思う。
たった2日の休日が、これほどまでに濃く充実した長い日になるとは思いもよらなかった。
明日はまた1つの運命をこの心に刻む日だ――
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