出会いは運命

 それからどのくらいの時が経っただろう。空はまだ辛うじて紅掛空色だった。ベンチから離れたがらない重い腰を上げた僕は、ゆっくりと下山し帰路に着いた。


 歩きながら僕は考えていた。

 

 これから何をすれば正解なのかなって……。

 

 どうして僕がこんな目に遭っているのかなって……。

 

 人が苦手じゃなかったら、あの視線にも打ち勝てる勇気を持ち合わせていたら、運命は変わっていたのかなって……。

 

 そう考えても答えは分からないままだった。寧ろその答えを知りたかった……。

 

 その途中、道端に倒れている看板が視界の隅に映りこんだ。それは近くにある小さな神社への案内板だった。


 今朝登校する時は立っていたと思う。誰かが意図的に倒したというよりは自然と倒れたように見えた。


 それを一瞥しながら通り過ぎようとするも無下にはできなかった。世の役に立てるのであればどんな些細なことでもやりたい。徳を積めば、その分の幸運が自分に返って来ると信じているからだ。

 

 未だ返って来たことはないが……。


 僕は看板を元々差し込まれていたであろう場所に少しばかり深く差し込み、倒れないよう土を寄せ固めた。


 こんなもんかな。心なしか低くなったと思う程度だ。一度だけ振り返り、また急ぎ足で家へと向かった。


「また助けられちゃいました。ありがとうございます!」


 顔の近くで放たれる言葉にぞっとし、辺りを見回すが誰もいない。先程直した看板を見るが、喋るはずはない。


 なら、ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのか?


 溜息が零れた。早く帰って休もうと決めかけたところで……。


「会いたかったよ」


 その言葉に背筋が凍てついた。


 いや、これは心霊現象? 怖くなった僕は急ぎ足から駆け足へと変え、時折走りながら、ペースを敢えて不規則に変え家路をさらに急いだ。


「ねーねー、聞いてる?」


 それでも、まだ声は聞こえる。こういう時は断固として無視に徹するのが良策だと思う。答えたら終わりだ。まあ今日は金曜日だし、1週間の疲れによる幻聴だと思うことにした。


 帰ったらすぐ寝よう……。


「おかしいな、聞こえてるはずなんだけどなー」


 肌寒い季節だというのに、額には汗が湧いている。やはりこれは幻聴とかの類じゃない気がする……。


「うーん、こうなったら最終手段を使うしかないな」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた。


 まさか憑依とかしないよね、と僕のそんな焦りをものともせずそれは続けた。


「じゃあやりますか」


 ちょっと……待って……それだけはダメだ。幽霊と遭遇する方がまだマシだ。


 答えるしかないのか……。いや、でも、本当に幻聴だったら、それはそれで怖い……。


 最早、会話して説得する他、身を守るすべは残されていなかった。僕は思い切って声にした。


「やめてください。憑依とか受け付けませんから」


 囁く程度で放った言葉に驚くべき返答が来た。


「あ、聞こえてたみたい。もう憑依なんてしないよ……っていうかそんなことできないから」


 答えてくれた……幻聴ではないみたいだ。その点に関してはほっと胸を撫で下ろした。

 しかしながら、不可思議な現象に打ち当たっている真っ只中であることに変わりはない。僕は続けて話しかけてみた。


「どこにいますか? 姿が見えませんが……」


「それが最終手段だったのに……」


 どういうことだ? と不思議に思ったその時、目の前で突然、光がキラキラと渦を巻いて輝き出した。いきなり光が現れるなんて面妖なことこの上なかった。

 その時間はたった数秒で、終わりにつれて光が四方八方に散らばり始めた。光の中から少女の姿した30センチくらいの小人が見えたのもその時だった。


 藍玉色の瞳に、長く伸びたゴールデンブロンドの髪は外ハネウェーブ、そこに白いペンタスを模した髪飾りが可愛らしさを強調している。上から下まで若葉色で統一された服はさながら葉っぱのよう。その上に覆い被さるように、透明感溢れる羽衣が優雅に漂っていた。


 わかった? と顔色を伺うように僕を覗き込んで来た。


「幻覚ということが分かりました」


 自らを納得させるためにそう呟いた。幻覚と会話が成立するなんて脳が壊れてしまったに違いないと思ったから。


「うん、うん、もう勝手に勘違いするから……って幻覚じゃないからー!」


 あぁこれも幻覚の一種なんだ。やっぱり疲れている。早く帰ろうとその存在を無視して家路を急いだ。


 それからも「ちょっと待ってよ」とか「幻覚じゃないよ」、「聞いてるの?」とかごちゃごちゃ聞こえていた。


 もう恐怖でしかない。無視しても幻覚は追いかけて来る。声のする方には訳の分からない存在が見える。明日病院で検査してもらおうと腹を括った。



 結局、家の中にまで幻覚はついて来た。


 自室で制服から部屋着に着替えようとすると、またも幻覚は喋った。


「ちょっと、何いきなり脱ごうとしてるのよ……」


 幻覚は頬を赤らめながら反対側を向いた。


「リアルな幻覚だな……」


「幻覚じゃないって言ってるでしょ!」


 ぼそっと呟いた言葉も拾い上げられ、割りと強めに怒られる。もう訳が分からない。


 だが不思議と着替え中は一切動きも、喋りもしなかった。


 着替え終わり、僕はベットの上で横になった。幻覚に目をやるとまだ反対側を向いている。


 深呼吸に似た溜息をつくと、瞬く間に瞼が重くなった……。




 慌てて目を開けた時、壁掛け時計は19時過ぎを指していた。どうやら一度瞼を閉じてから眠りこけてしまっていたらしい。


 体を起こすとあの訳の分からない幻覚が椅子にちょこんと座り、こちらを凝視していた。

 まだいる……それにこれでもかと凝視している。まだ寝ぼけているだけかもしれない、と一度顔を洗うため部屋を出た。


 振り返って見ても、周りを見渡してみても幻覚は見えなかった。疲労と寝起きだから見えたのかも、とどうしても認めたくない頭がそう訴えていた。


 洗顔後、部屋へ戻ろうとすると体の中心から雷鳴が轟いた。空腹だ。そう言えば昼食後から何も口にしていなかった。


 僕は台所へと向かい夕飯の支度をした。支度といっても平日は大体、冷凍食品やらお弁当で済ませることが多い。今日はマカロニグラタン。

 こんな食事を続けているのは、実家を離れて一人暮らしをしているから。通学中の公共交通機関で人混み疲れを起こしてしまいそうだと、一人暮らしを始めるに至ったのだ。

 そして、今日も相も変わらず静かな夕食をいただいた。



 

 夕食後――

 

 そう言えば、あの小人は見えなくなっていた。小人見えませんようにと今度は祈りながら扉を開けた。


 すると、目の前には机に向かっている幻覚がいた。


 あっ、と幻覚はこちらを見た。


 取り敢えず優しく扉を閉めておいた。


 あっ、じゃないよ? 普通に期待を裏切ってくれた。


 臆病風に吹かれながらもう一度扉を開けた。


 結果変わらず幻覚はいる。


 溜息を零しながら部屋の中へと入り扉を閉めた。

 

 幻覚なのか、生物なのか不明なそれに思い切って話かけてみることにした。恐らく返答は来ると思う。


「あの、どちら様ですか?」


「はぁ、やっとちゃんと話しかけてくれる気になったのね」


 それは顔を綻ばせ安堵の表情を浮かべていたが、一変して真剣な面持ちになった。


「改めて言っとくけど、幻覚じゃないからね。ここにいるからね!」


 幻覚じゃないと強く念を押された。


「えっと、じゃあ小人さんですか?」


「違います。私は願いの妖精ルミナティア。よろしくね」


 断言され、続けて驚くべきことを口にし、同時に小さな手が差し伸べられた。まだ疑心暗鬼だが一応挨拶だけはしておいた。


「真白はる人です」


 腑に落ちない気持ちで握手を交わした。実際に握手を交わせたことで、やはり幻覚でも、幽霊でもないとようやく実感した。

 いや、まだ夢の可能性があると僕は腕をつねったが、普通に痛かった。やはり現実だ。そうなると色々と訊きたいことが浮き彫りになる。


「色々と訊くけど良いですか?」


「ならさ、私のこと思い出せるか質問で勝負しようよ」


 そう妖精は提案した。質問で勝負とは具体的に理解ができていなかった。僕が疑問符を浮かべ首を傾げると、妖精は補足とばかりに付け足した。


「君は私に3回だけ質問できる。その答えから私のことを思い出せれば君の勝利、逆に思い出せなかったら私の勝利」


 どう簡単でしょ? と言わんばかりの表情だ。手がかりがない状態から手がかりを導き出す質問を考えなければいけなかった……。


 僕は頷き、少し考えてから1つ目の質問をした。


「何処かで会いました?」


「うーん、どうだろうね」


 手がかりなしの答えだった。もはや質問の答えにすらなっていない……。


「姿を見せる前の会いたかったってどういう意味?」


 今度は過去の会話から辿って質問してみた。


「そのままの意だよ。私が君に会いたかった」


 少し真面な答えが返って来たが、手がかりとは言えない……。


「初めましてだよね?」


「うーん、どうだろうね」


 答えさせる気が皆無だった……。もう3回分の質問権を使ってしまった。


 分かったことと言えば、僕に会いたかったことと答えさせる気が皆無なこと。


「思い出した?」


 にひひと笑う妖精に僕は答えた。


「うーん、どうだろうね」


 同じくにひひと笑ってやった。


「私の勝利だね」


「そうだね」


 そう思いながらも内心は分かるかぁ! と叫んでいた。


「それじゃあ次は私の番ね。思い出させてあげる」


 その謎の自信はどこから湧いてくるのか、僕の記憶に君は一切登場していないと言うのに……。


「今から10年前くらいで君がまだ小さかった頃、森の中で遊んでいた時のことを覚えてる?」


「鮮明に覚えてないけど、多分遊んだと思う。そういう記憶がありそうでないです」


「そ、そうだよね。そんな記憶沢山あるかもだし10年前のことだもんね。覚えてないのも無理ないよ」


 笑っているけれど少し残念そうな声色をしていた。その瞳はどこか寂しそうに揺れる藍玉色だった。


「えっと……ごめんなさい」


「いいよいいよ。覚えていたら嬉しいなって思っただけだから。でも、私は覚えてるよあの時のこと」


 いや僕とは初めましてのはずだ。今まで妖精という存在に出会ったことがない。例えあったとしても、そんな出会いがあれば鮮明に覚えているはずだ。

 だけど、妖精は僕と関わりを持っていたような物言いだった。


 そして、妖精はその時のことを僕に話してくれた。それは僕がまだ小学生の頃のお話。


 その頃から僕は大人しい性格で、どちらかというと一人で過ごす時間の方が多かった。

 そんな僕とやんちゃな男子集団との小さな物語――

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