悪夢ではない現実

 田舎から見れば都会、都会から見れば田舎。折衷案を取ったような町に住んでいる齢17の男子高校生、真白はる人ましろはると。趣味は読書。

 ナチュラルストレートな黒髪で着慣れた赤いブレザーの制服に身を包み、背負うリュックサックにはりんごの文字とイラストの缶バッチが1つ。


 僕の通う高校はこの町の公立高校。白銀の壁が印象的なごく普通の校舎で、裏山と呼んでいる小さな山を管理している。


 高校では部活にも勤しんでいないため、朝は大体読書をするか携帯を弄るかだ。勿論、放課後も暇だから家に直行するか、町の本屋さんに立ち寄るか、裏山に行くかだけ。高校生になってから帰りに誰かと遊んだことなどただの一度もない。


 それもそのはず、高校二年生にもなって友達と呼べる存在が少な過ぎるからだ。


 中学までの数人の友達もみんな引っ越してしまいこの町にはいない。唯一の救いは、幼馴染みの緑ヶ丘秋人みどりがおかあきとがクラスメイトであるということ。


 決して友達が一人というわけではない。もう一人いる。


 学年一の美女と言われ、最近趣味が一緒だと知ったクラスメイトの赤代琴乃あかしろことのさん。

 長く伸びた赤髪ストレートは個性的で尚且つ彼女の美しさを際立たせている。おまけに明るく前向きな性格は周りに人を集め、クラスの中心人物となっている。


 今は二人が僕の友達だ。


 それと、もう一人友達になってみたい人がいる。赤代さん曰く、そのクラスメイトも僕たちと同じ趣味を持っているとのこと。


 是非ともお話したいと思っているが……。


 そもそも僕は人との会話を好まないタイプ。矛盾していることは百も承知の上だ。それくらい矛盾している。

 友達の少なさもそれが根本的原因であるが、人との関わりが苦手。人より少し苦手なだけです。


 しかし、それに追い討ちをかけるように環境がそれを助長させることになってしまっている。



 原因となったのは恐らくあの事件――


 気付いた時にはクラス中に浸透しており、僕の平穏な学校生活を左右するほど強大なものになっていた。




 時は高校二年生になりたての時期まで遡る。


 肩に力の入った生徒がちらほらと目に入る。緊張と不安、期待に胸を高鳴らせた新入生たちだ。


 柔らかな日差しが新調した制服を照らし、輝いて見せる。中にはお下がりの制服もあるみたいだが、それもそれで年季という輝きが老いを感じさせないくらいに放たれていた。


 僕は何事もなく、めでたく学年が1つ上がり高校二年生となった。変わらない教室で、一年生の時と同じように朝の時間を過ごしていた。自席で本を読み、特段誰とも会話を楽しむことはなく一限目の授業を迎える。


 そんな何気ない平穏な日々が続いていた時のこと。


「お前、付き合っている人いるの?」


 相も変わらず自席で読書中に突然話しかけられた。


 挨拶よりも先にこんなことを話しかけて来たのは金髪のショートストレートが似合う学年一の美男。おまけに運動神経抜群で、運動部の助っ人に引っ張りだこな黒崎くろさきたけるくんだった。


 唐突に突き出された話題に少し身構えながら恐る恐る答えた。


「いないですけど……」


「へぇーそうか、邪魔したな」


 そう言って立ち去った。


 この人は一体何を言っているのだろう。そんなことを訊いてどうするのか。この時の僕には検討もつかなかった。しかし、それ以上に話しかけられたことで少しばかりの嬉しさを抱いていた。友達になってみたいと思っていたクラスメイトだったから。


 その反面小さな問題を抱えていたことも事実。


 黒崎くんと赤代さんは学校一の美男美女カップルとして有名。

 そして、その赤代さんと席の近さゆえよく会話する僕。その事を妬んだのか、席の離れた黒崎くんに理不尽と言わんばかりのガンをほぼ毎日飛ばされていた。愛に溺れるとはよく言ったものだ。


 そんな少し窮屈な日々を過ごしていたが、結局あの質問以来、黒崎くんからの会話の線はぴたりと途切れていた……。



 

 ついこの間まで赤いブレザーが並んだ教室は衣替えの季節となり、涼し気なワイシャツが並ぶ教室へと変わった。


 焦げるような暑さにより思考停止機会が多いこの季節に、その事件は起きたのだった。


 廊下にまで聞こえる色とりどりの声。なんだか今日は一段と騒がしいなと思いつつ、いつも通りにガラガラと教室の扉を開けた。



 何か場違いなことでもしてしまったのだろうか……。


 喧騒な教室が一瞬で静寂に包まれた。皆が僕を見ていた。思わず入口で少しの間立ち止まってしまった。

 静寂な空間の中、自席に着くも先程までの賑やかさを取り戻すことはなく、声をひそめた会話があちらこちらから聞こえて来た。


 なぜだろう? 視線が痛い。空気をも凍てつける冷気を放った視線が痛い。


 最悪なことに1限目まで時間はまだたっぷりとある。この場の空気が変わるまで一体何をしていたら正解なのだろう……。


 考えた挙句、本を取り出し読み始める。しかし、この雰囲気の中、内容は一語一句として入ってこずただ活字と向き合う時間だけが続いた。




 その冷気は温まること露知らず、放課後まで時は流れた。


 大地が、水面が、建造物が茜色に染まる時、事件は動きを見せた。


 帰宅の準備をしている僕に、幼馴染みの緑ヶ丘が周りにも聞こえる声量で話しかけて来た。


「紅葉狩り行くだろ?」


 紅葉狩りは学校行事の一環として行っているものだ。まだ数ヶ月先の事なのに、今からそんなことを訊くのはどうしてだろうと思った。


 僕は取り敢えず行くことを伝えた。


 軽く頷かれた後に緑ヶ丘は囁く程度の声量で不思議なことを付け足した。それはあからさまで、これからの会話を隠すために先程は声量を大にしているようだった。


「変な噂が広がってるよ」


 囁かれたそれに、僕は口には出さずとも目を丸くして驚きを表現した。


 変な噂とは一体? 何かやらかした? 思案するも思い当たる節は一向に見当たらない。普通に生活をしていたはずだし、クラス一大人しくしていたと思う。


 そう訝しんでいる僕に緑ヶ丘は再び囁いた。


「あんまりよろしくない噂でね……」


「もしかして今朝からクラス中の視線が痛いのはそのせい?」


 首を傾げた僕に緑ヶ丘は首を縦に振った。


「多分そうだね。ここじゃなんだから外に出ようか」


 やはり、知らないうちにやらかしていたのかもと身が縮こまる思いだった。不安と恐怖を抱きながら緑ヶ丘と帰路に着いた。


 緑ヶ丘はほぼ毎日部活で、一緒に帰れることはほとんどない。でも、今日は週1日の部活のない日。何だか毎日一緒に帰っていた中学生の頃に戻った気分だった。


「久しぶりだね一緒に帰るの」


「そうだな。何だか昔に戻った気分だよ」


 緑ヶ丘も同じ気持ちのようでそっと胸を撫で下ろした。


 共有する時間が少なくなればなるほど、変わるものがあることを僕は恐れていたから。もう会話すらまともに続かないのではないかと……ただそれは杞憂に過ぎなかった。

 

 思い出を引っ張り出したのは僕だけじゃなかった。お互い変わったこともあれば変わらないこともあった。


「それでさっきの話だけど……」


 緑ヶ丘は意を決したように口を開いた。


「赤代さんと最近仲良さそうだけど何かあった?」


 その質問には少々驚いた。まさか赤代さんが話題に上がるとは思ってもみなかったから。


「何もないけど、どうして?」


「そうか、ちょっとその事で問題があって」


「問題?」


 クラス中の視線が痛かった理由に繋がるのだろうか。


「うん、真白が赤代さんを狙ってるって……」


「えっ、そんなことないよ……」


 緑ヶ丘は僕の肩を優しく叩いた。


「そうだよな。真白はそんなことするような人じゃないことくらい分かってるから、そんな噂はなから信じてないよ」


「ありがとう。それにしても誰なんだろ、そんな噂流した人?」


 その事なんだけど、と緑ヶ丘が続けた。


「黒崎が被害者面して色んな人に全く同じ話しているところを、一人になったタイミングで笑ってるところを見たんだ。多分だけど、噂の元凶は黒崎だと思う」


「そんな……」


「ほら、黒崎とは同じ部活だし」


 ショックだった。友達になりたいと密かに思っていた矢先に彼の手によって広められた噂。

 まるで、友達になるのを嫌うかのようなタイミングだった。


 ショックを受けた理由はこれだけではない。彼氏である黒崎くんにそんな噂を広められたら赤代さんはどう思うのかなって。そっちの方がむしろショックだった。


 一人でいることの多かった僕に趣味の合った赤代さんが厚意で話しかけてくれている。僕は今でもそう思ってる。彼氏彼女の関係でも赤代さんは決してそんな醜いことを企む側面はないと。だから、余計にショックだった。


「もしかしたら赤代さんと真白が急に仲良くなったのが気に食わなかったんじゃないかな。だから二人の仲を裂くような噂を流して真白を貶めさせようとしている……と俺は考えた。多分だけどね」


 その点に関しては思い当たる節があった。僕はよく赤代さんとグループを組むことがある。それは単に席が近いからという理由だけだ。


 しかし、それが奇妙。当初は離れていた席が席替えで一気に近くなった。席替えはくじ引きで運任せだ。そういうことも普通にあると考えていたのだが、妙なことに今日までずっと席が近い状態。『また同じグループだね』なんて優しく微笑みかける赤代さんに何回目でしょうかと訊き返したくなる。


 思えば高校一年生の夏頃から赤代さんがよく話しかけてきてくれるようになった。好きな漫画の話で盛り上がったこともあれば、他愛もない暇つぶしのような会話もした。初めましての頃は数日に1回程度だった会話もここ最近ではほぼ毎日だ。それが誤解を生んでしまったのだと思われる。


「明日、黒崎くんに誤解だってことを話してみるよ」


「それが良いと思うけど気を付けろよ。黒崎のことだから意外と何か企んでいるかもしれないから」


 大丈夫と頷いたが、実際は不安しかない。黒崎くんには一方的に話しかけられることがほとんどで、自分から話しかけたことなどただの一度もないのだから……。


 緑ヶ丘から聞いたお話は理解はできても納得のできかねるお話だった。身勝手という言葉で片付けることは容易く、簡単な問題に見えても実際は難しい問題だ。




 翌日――


 朝部活を終え、教室に入ろうとする黒崎くんを廊下で待っていた。教室内で話しかけたら空気が冷め切るでは済まなそうだったから。


 授業開始20分前――続々と朝部活終わりの生徒たちが帰って来る。それまでの静寂な空気から一気に喧騒な空気に包まれた。


 そんな中、周りの生徒から羨望の眼差しを受けながら廊下を歩く二人の男女がいた。黒崎くんと赤代さんだ。誰からみても非の打ち所のないカップルに見えることはその眼差しが物語っていた。


 僕は勇気を絞って黒崎くんに挨拶をするとともに、少しお時間よろしいかと誘った。隣の赤代さんは大変訝しんでおられたが、黒崎くんは「すぐ戻るよ」と赤代さんに言い残し、僕たちは人気の少ない廊下まで移動した。


 その間も『何の話だよ』、『授業始まるぜ』とか後ろを歩く人はごちゃごちゃ騒がしかった。それでも、不満を吐き捨てついてきてくれるあたりは多少の親切心からだろうか?


 廊下で二人っきりになった僕は黒崎くんに話を切り出した。


「変な誤解が広まってるようで……」


「はぁ? 変な誤解ってなんだよ」


 突っかかって来た黒崎くんに少し身が縮こまった。


「そ、その、僕が赤代さんを狙っているって……」


「まじで!? 人の彼女を狙うとかお前最低だな。はぁーもう、これだからお前みたいな奴は嫌いなんだよ」


 嫌いという言葉に心が落胆したが、今は自分の感情など取るに足らない。何とかして誤解を解きたかった。


「だから誤解だって、話してるだけでそう思うのは違うと思います……」


「じゃあなんでいきなり仲良くなってるんだよ。授業の合間だって二人で話してるし、毎日一緒に登校もできなくなった! 実際教室に入ったらお前と仲良く話してるじゃんか! お前が何かしているんだろ! 琴乃も琴乃だよ、なんでお前なんかと話してるんだよ!」


 理不尽な黒崎くんの不満は怒りとなって僕に降り注いでいた。そんな中でも聞き捨てならない言葉が降りかかった。それはさすがに許せなかった。


「今の言葉取り消して下さい……」


「はぁ? 何言ってんの。自分の立場弁えろよ」


「立場を弁えるのは黒崎くんの方だよ」


「てめぇ! いい加減にしないとこの学校に居られなくするぞ!」


「良いよ。そんなことで黒崎くんの怒りがおさまるならやってみなよ。でも、赤代さんは関係ないでしょ。赤代さんの会話相手を決める権利は誰にあるの? 黒崎くんって赤代さんの何なの?」


「はっはははっ……彼氏だよ。知らなかったのか?」


「もちろん知ってるよ」


「知ってるならそれで良いだろ!」


「良くないよ。そんなの彼氏じゃないから」


「彼女もいない奴にそんなこと言われたくないんだよ! 本当にムカつくなっ!」


 バンッ! そんな効果音が目に見えそうなほどに背中が壁に打ち付けられた。黒崎くんの怒りに満ちた手によって突き飛ばされたのだ。


「いいか、誤解だって言うなら二度と琴乃とは関わるな!」


 そう言い残し、黒崎くんはそのまま立ち去った。壁に寄り掛かった僕はその後ろ姿をただ眺めることしかできないでいた。



 どうして…………。



 重い足を引きずらせ教室の扉をガラガラと開ける。しんと静まり返った教室では皆がこちらを蔑むような目で見ていた。


 空気が一瞬で濁りきった。


 カチッと時計の分針が授業開始3分前を刻む音だけが響いた。


「先生だと思ったね」


 そんな濁り水に清水が流れたかのように一際明るい声が響いた。赤代さんの声だった。


 そして、その声に木霊するように「そうだね」、「もう1限目かと思った」と話し始め、濁り水は多少浄化された。

 それでも、僕の気分は浄化されることのない濁り水だった。


 途中、赤代さんに軽く会釈をしてから席に着くと、ニコッと微笑み返してくれた。どうやら気を遣わせてしまった。




 それからは視線が痛いだけで、特段何事もなくお昼休みを迎えた。


「どうだった?」


 緑ヶ丘が僕の席にやって来て早々状況確認をした。サンドイッチを口に運ぼうとした手を止め僕は言った。


「やっちゃったかも……」


「えっ?」


 あれほど口が回ったのは初めてかもしれない。悔しかったからつい僕も突っかかったけど、あの時は無我夢中だった。


「喧嘩一歩手前だった……」


「大丈夫か?」


「突き飛ばされはしたけど……」


「噓だろ……怪我ないか?」


「ありがと、大丈夫。黒崎くんの気持ちも考えられてなかったから……」


「はぁ、その優しさ本当に昔っから変わってないよな……というかさっきから上の空見てるな。心ここに在らずか」


「うん」


「サンドイッチ崩れそうだぞ」


「うん」


 握っていたサンドイッチから輪切りトマトがタッパーの上に落ちた。


「こりゃ重症だ……」




 放課後、緑ヶ丘が僕の席にやって来た。


「大丈夫か?」


「うん、何とか」


「そっか、今日は一緒に帰れないけど少しなら話聞けるよ」


 緑ヶ丘は昔っから変わっていない。僕が少し落ち込んでいるだけで心配してくれたり、グループに入れていない時は直ぐに一緒になってくれたり、彼がいなかったら今此処に僕はいないと思う。そのくらい僕の中での存在感が大きいのだ。


「ありがとう」


 それから僕は朝の出来事を簡単に話した――


「真白の言うことは間違っていないと思うよ。直ぐに納得してくれるかは分からないけど、きっと分かってくれる。彼奴馬鹿じゃないから。ちょっと頭に血が上ってただけだよ」


 緑ヶ丘は黒崎くんと同じ部活で僕が知らないことも知っている。よく一緒に遊びの約束をしているくらいだ。そんな彼が言うのだから一度信じてみようと思った。


「じゃあ俺部活あるから」


「頑張ってね」


「おうよ」


 爽やかに西日の差す方向へ走り去る緑ヶ丘に、『行かないで……』と寂しさを覚えていた。できるならこのまま部活なんてやらないで一緒に帰って欲しかった。

 通用するはずもない我儘は心の奥底から浮上し、我儘だと認識した頃に、また奥底へと身を潜めていった――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る