希う逢瀬

秋色音色

プロローグ ー希う逢瀬ー

「人間なんて野蛮な種族よ。恋するなんて信じられない!」


 そう言い切ったのは同じ妖精族である風の妖精シルフ。私の一番の親友だ。


「そんなことない!」


 私は反論した。


「まだあの男の子を思い描いてるんでしょ」


「そうだよ」


「あの子は私たちと住む世界が違うの。それに人間だよ?」


「それでも私はあの子を探す!」


  揺るぎない想いは私の中で高まり熱くなっている。


「探すって……何処にいるかも分からないのに? おまけにこの世界ですら旅をしたことがないんだから、異界の地で生きていけるとは思えないのよ」


 うぅぅ……と私は尻込みする。


 確かに、そうだ。同い年のシルフは何度も外界を旅しているのに対し、私は未だにこの妖精の森ニンファーレから一歩も外界へ出ていない。外界は本で読んだ事と周りから聞いた事しか知らなかった。それだから尚更、外界に興味があった。


 それに早く会いたかった。


 だから、私の決意に揺るぎはなかった。


「それでも行くの! あの子に会うまでに人間のことを少しでも知っておきたいから、まずはこの世界の人間界を旅するの!」


 旅の目的としては完璧な計画だと言わんばかりに、ドヤっと大きく胸を張ってみせた。


「そこまで言うなら分かった。本当はやめてほしいけど……」


 説得しても無理だと悟ったのか、シルフは溜息をつき首を縦に振った。


「でも、1つだけ忠告ね。人間は誰しもあの子みたいに優しくなんかないんだよ。寧ろ卑劣な人間の方が多いからね」


 シルフの物言いは、まるでそういう体験をしたかのようだった。


「大丈夫! 目を見れば分かるから」


「そんなことないと思うけど、本当に大丈夫?」


 大丈夫だと言ったら大丈夫なのに。


「そうやって子ども扱いするところシルフの悪い癖だよ」


「実際子どもっぽいじゃない!」


「子どもじゃないもん! 同い歳だもん!」


「そういうところを子どもっぽいって言ってるのよ……」


「あらあら、あなたたち何を揉み合っているの?」


 突如聞こえた声の方を向くと、神々しい光を放っている私の何倍も大きい妖精がいました。私の母であり、妖精の母でもある妖精神ティルタニア様です。


「申し訳ございません。お見苦しい所をお見せいたしました」


 シルフは丁寧に謝った。


「良いのよ。それに私の娘だものそんなに畏まらないで母と呼んでくれた方が私も嬉しいわ。だけど、公の場では母と呼ばないでね」


 母は私たちと目線を合わせるためにしゃがみ込んだ。神様が神でもないただの妖精と目線を合わせるためにしゃがみ込むなど傍から見たら異例だ。他の神様からも『いくら母子の関係にあるとは言え、神としての威厳を少しは持っていただきたいものだ』と忠告されているそう。


 でも、そんな母だから妖精はみんな慕っている。


「はい、お母様」


 母はお淑やかに笑っていました。


「それでシルフとルミナティアは何を話していたの?」


「またあの人間の事を話していました」


「恋することは良い事ですよ」


 母は言いました。優しい包み込むような声で。


「いいえ、こんなにかわいいルミナティアがあの野蛮な人間に恋するのはダメです。というか恋するとは思えません」


 な、何言ってるのシルフ……。私は嬉しさと照れくささで顔に熱を帯びた。


「ふふふっ、そうなの?」


「そんなことないですよ! シルフが言う、こんなに、かわいい……私でも? 恋したのは人間ですから……」


 自分で言いながら無性に恥ずかしくなっていた。


「確かにあの子はルミナティアと私たちを救ってくれた優しい英雄だけど、それが形だけの優しさだとしたら? 結局、野蛮な人間は私たちと相容れないのよ」


「そんなことない!」


 シルフの言葉に私はまた反論した。


「私は一番近くであの子を見たから分かる。信念を持った優しい目をしていた。だから私はあの子を探してあの時言えなかったお礼を直接言いたいの! それでその後、一緒になれたら……なんて」


 シルフはまだ腑に落ちていない顔をしていたが、母にはこの強い意思が伝わっていたよう。母は肩の力を抜き、優しい瞳で私を見つめて来ました。


「そうね、あなたが言うのだからそうかもしれないわね。ただ、あの世界に行くにはまず人間界に慣れないといけませんよ」


「はい、そのために旅へ出ようと思っています」


「そうね、明確な意思があるなら旅に出ることを許可します。明日、私の所へ来るように」


 興奮が私を襲った。もしかしたら旅に出られるかもしれない。外界をこの目で見られるかもしれない。それが例え可能性だとしても、どれだけ私にとっては嬉しかったか。この身の震えがそれを物語っていた。


 興奮が冷めきらぬまま、否、冷めないで欲しいと願った一夜を過ごした。




 そして、朝日が眩いほどに輝く運命の日を迎えた――


「旅へ出ることを許可します」


「あ、ありがとうございます!」


 そのお言葉をどれだけ待ち望んでいたことか。感動で手が震えていた。緩くなった顔を真剣な顔に取り繕うのが難しかった。


 旅へ出るには妖精神様の許可と妖精の名が必要だった。ただ頼めば許可してくれるわけではない。それなら私はとうに旅へ出ている。


 この地を離れるには自らの名とは別に妖精の名、つまり二つ名が必要。私の名はルミナティア、妖精の名はまだ与えられていない。


 シルフは風の妖精という立派な妖精の名を持っている。嵐の妖精シルヴァ様に憧れて、そうなりたいと努力していたことが認められ、風の妖精と名乗ることを許されたのだ。


 私は他の妖精のようになりたいとか具体的な目標を抱いてはいない。ただあの子に会いたい、そう願って止まなかったことだけは具体的な目標だと言える。


「それで貴方の妖精の名だけど、あの子に会えるよう願いを込めて、願いの妖精でどうかしら?」


 願いの妖精……願いの妖精ルミナティア。すごくいい。私にピッタリだ。


「ダメだったらかしら?」


 嬉しさで思わず黙りしていた私に、妖精神様は困ったように首を傾げた。


「そんなことないです! 寧ろその名が良いです!」


 私は精一杯の笑顔でいた。最大限の嬉しさを表現した笑顔は、正しく大輪の花のようだったらしい。


「出立前には私のところへ来て頂戴ね」


「はい!」




 やはり興奮が冷めきらぬまま、否、冷めないで欲しいと願ったその夜。私とシルフは大きな切株の上に座っていた。


「ねぇ、ルミナティアは本当に人間界に行くの?」


「行くよ」


「ダメだと言っても?」


「行くよ」


「そう……」


 残念そうなシルフの声色が無性に気になった。それはシルフがいつも言っている『人間は野蛮』に通ずるのだと思う。


 でも、今はその意味が分からない。だってシルフに訊いても、おぞましい顔をするだけで答えてくれないから。

 それだから、きっと今も答えてくれないと思う。



 それから暫く沈黙の時間が流れた――


 シルフの言葉を最後に、私からは会話を続けることができないでいた。


「あの子のどんなところに恋したの?」


 そんな中、シルフが意外なことで口を開いた。そのまさかの質問に私は戸惑いを隠せずにいた。


「えっ、そ、それは……勇敢で優しいところ」


「そのまんまだね」


「うん」


「……それだけ?」


「そ、それはいきなりだったし、一目惚れだから、どんなところがって訊かれても、勇敢で優しい以外上手く言葉にできなくて……」


「じゃあさ、もっと聞かせてよ! その一目惚れの時の想いをさ」


「いっ、言わなきゃダメ?」


 シルフは頷き詰め寄って来た。興味津々と目を輝かせながら。きっと人間を嫌悪していても恋だけはシルフも否定はしていないのだ。そういう目をしている。


「そう言えば! シルフって意外と恋話好きだよね?」


 恥ずかしくなった私は、あからさまに会話の主人公をシルフへと変えた。


「えっ、そ、そんなことないよ!」


「あれれ、動揺してるねー?」


「そ、それはいきなりで驚いたからだよ」


「ねぇ本当はどうなの?」


「いっ、言わなきゃダメ?」


 私は頷き詰め寄ります。興味津々と目を輝かせながら。


「もぉ――――――!」


 その他愛もない会話が辺りに響いた。天を仰ぐと漆黒の中でも個性を煌めかせた星々が私たちを照らしていた。




 旅立ちの朝――


 妖精の森ニンファーレ最深部、小国の城1つすっぽり入り、天界にまで届くほどの大樹。幹の周りを魔法で浮いた螺旋階段が天まで続いている。目を凝らしてみても終着点は下からでは確認できない。


 私は一段一段踏みしめながら上った。


 周りの木々と同じ高さまで上っても上は果てしなくある。



 遂に雲の中に突入する。辺りは純白の世界。雲を突き抜けると辺り一面雲海だった。空には数え切れないほどの枝葉が広がり、階段はその中へと続いていた。


 きれい……と感嘆しながら最後の数段を上った。


 階段を上り切った先には開けた空間が広がっていた。私は入口で一礼し中へと入る。中に入るのは初めてだった。

 それもそのはず、ここは妖精神の間だ。妖精神様は勿論のこと、一部の上位妖精様しか立ち入ることができない神聖な部屋。但し妖精神様から許可された者は立ち入れる。詰まるところ、私は妖精神様直々に許可されたから入れるのだ。何だか誇らしい気分だった。


 部屋の最奥、数十段の階段とその先に木の温もりを感じられると共に気品溢れる玉座があった。そこには妖精神ティルタニア様がお掛けになられ、階段前には五大上位妖精様が立たれていた。


 向かって左手側に、ワインレッドの短髪が清々しく、情熱溢れる雰囲気を醸し出す炎の妖精サラマンドラ様。


 コバルトブルーの腰まで達する長髪は軽くウェーブがかかっており、憂いを帯びた表情の海の妖精ウィンディネ様。


 向かって右手側に、勇ましいスキンヘッドと妖精とは思えないほどの筋骨隆々具合が逞しい地の妖精ノム様。


 エメラルドグリーンの髪で、妖精一爽やかなで穏やかな性格の嵐の妖精シルヴァ様。


 前髪が両目を覆い隠すほどの薄紫の髪は神秘的、足元まで隠れる服に身を包んだ祈りの妖精プレアエル様。


 私は階段の方へと歩いて行く。厳かな空気が漂い、音1つ立てることは許されない緊張感に襲われた。自分の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うほどにそれは凄まじかった。


 階段の手前で跪く私。


 コツンコツンと階段を降りて来る音だけが空気を揺らしていた。


「いよいよ旅立ちですね。きっと喜怒哀楽の混ざり合う事が多いと思います。それでも、決して自分の信念だけは曲げずに頑張りなさい。貴方の願いが叶う事を、私は心から信じていますよ」


「ありがとうございます! 願いの妖精ルミナティア、頑張ります!」


「妖精神様! あたいたちからも一言の許可を願います」


 一礼した私に炎の妖精サラマンドラ様が仰いました。五大上位妖精様直々のお言葉なんて光栄です。

 良いですよと妖精神様が仰ると、五大上位妖精様は一斉に一礼し、こちらへ向き直られた。


「旅は情熱だ。どんなことがあろうと情熱で乗り切れ! さすれば道は開ける!」


 と、炎の妖精サラマンドラ様。


「自由気ままに貴方らしく旅を楽しんで来なさい」


 と、海の妖精ウィンディネ様。


「筋肉もお主の旅立ちを祝福しているみたいじゃ」


 と、地の妖精ノム様。


「向かい風に抗い、追い風に乗る。実践してみて」


 と、嵐の妖精シルヴァ様。


「願いは祈りへと続く架け橋。願いを叶えることは即ち、運命を変えること。お忘れなく」


 と、祈りの妖精プレアエル様。


 五大上位妖精様のお言葉を心に留めるように私は耳を傾け、目を見て拝聴した。


「ありがとうございます。私頑張ります!」


「「行ってらっしゃい!」」


 温かい言葉に私は最高の笑顔で答えた。


「行って参ります!」


 妖精神の間を後にし、あの長い階段を降りた。


 これからどんな旅になるんだろうと好奇心が踊っていた。


 私は外界へと続く一本道へ向かっていた。宙を華麗に飛ぶ私は今、さぞ輝いて見えることだろう。自らの軌道を彩るようにキラキラと放たれた魔法の粒子は、さながらほうき星のようだ。


 一本道の前ではシルフが待ってくれていた。


「おめでとう。やっと旅へ出られるね」


 あれほど心配していた昨日のシルフは何処に行ってしまわれたのか? やはり妖精神様の許可が絶大な効力を発揮している模様だった。私も旅へ出られる一人前の妖精として認められたということだから。


 やっと、シルフと並んで旅へ出られる。密かに思っていた目標だった。


「さあ行こっか。途中までは私も一緒だよ」


 シルフも今日から新たな旅へ出る。私は一番行きたかった所、そしてあの子に一番近い所への旅だ。


 私はシルフの後をついて行く。同じ景色が延々と続く一本道を抜けると、私にとってまだ一歩も足を踏み入れたことのない外界が見えた。

 旅立ちの好奇心と不安が入り交じる心地の悪さは、今しか味わえない新鮮な気持ちの1つだった。


「人間には本当に気を付けるんだよ!」


 そんな中、耳にたこができるほど聞いた言葉が投げかけられた。


「分かってるって」


 執拗いなと思いつつ、私は軽く受け流した。


「本当にそういうところは子どもね……」


「あー、またそうやってバカにしてー」


「バカにはしてない。ただ本当に心配なだけ……」


「でも、ありがとっ」


 そして、遂にその時が訪れた――


 初めての旅。初めての外界。


 シルフと並んで私は初めての一歩、そして始まりの一歩を、私は踏み出した。






 それから数年後――


 待ち焦がれていた時が来たはずなのに、楽しい気持ちで会いに行きたいと願っていたはずなのに……。


「もう忘れよう、忘れたい――ちゃんとシルフの言葉に向き合っていれば良かった……」


 今は逃げるような気持ちで《転移テレポーテーション》を行使した。


 そして、この世界から願いの妖精ルミナティアは姿を消した――

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