エピローグ
エピローグ
二人で出かける日は、いつも曇り空のことが多かったが、この日もそうだった。
空はコンクリートの色がにじみ出たような灰色で、夏の暖かな日ざしをすっかり忘れさせるような冷たい風が吹いていた。
横から手が伸びてきて、イヤホンが耳から取り外された。イヤホンのスピーカーからは攻撃的なバンドサウンドが鳴り響く。
「どうしたの?」
そう問いかけると、美礼さんが少しほおをふくらませながら視線を送ってきた。
「どうしたのじゃなくて。一生懸命話しかけてるのに
「ごめん。つい浸っちゃってた」ノイズミュージックは僕の生きがいだ。美礼さんには悪いけれど、美礼さんと同じぐらいに愛している。「でもどうしたの?」
「これからどうするって話してたの」
「そんなの何度も話し合ったじゃないか。君の親父さんのカフェを新装開店する。君が社長、僕が店長だ」
美礼さんは長いため息の後、
「その話じゃなくて。このカフェを出たらどこに行くって話よ」
意味がわかって顔が赤くなる。近い将来の話じゃない、いますぐどうするかの話だ。とんだ恥をかいた。僕は咳払いをした。
「中古屋に行きたいと思っていた。新しく入荷されたCDとかレコードとかがないかチェックしたいんだ」
「本当に開くんは、そればっかり」と美礼さん。「私は和菓子屋さんに行きたい。
「悪いね、気を使ってもらって」
「いいのよ。お母さんによろこんでくれたらと思って」
「うれしいよ」
美礼さんをある日家に招いた。美礼さんは母と対面した。女の子を連れて来たことに母はとてもよろこんでいた。
僕がコンビニにお菓子と飲み物を買いに行っている間、二人で少し話をしたらしい。何を話したのか聞いても美礼さんは秘密と言って教えてくれなかった。
今では『美礼ちゃんはいつまた家に来てくれるの?』とせっついてくる。
そういうわけでほとんど隔週で来てもらっているという始末だ。僕は一緒にいる口実ができればそれでいいのだけど。
僕たちは店を出た。
「じゃあ行こうか。どっちのお菓子屋にしよう」
「絵乃ちゃんのバイトしているところでいいんじゃない」
「あそこおいしくないからなあ」
「もう、そういうこと言わないで」
肘で突かれた。僕は笑顔を返して「冗談だよ」と笑った。
ぽつぽつと水滴がほおを濡らした。灰色の空から小雨が舞い降りて来ていた。傘をさすまでもない。少しぐらい濡れてもかまわない。
それから僕らは身を寄せあい、雑踏のなかを歩いていった。
母が立ち直ったきっかけは僕が作った。
戦いを終わらせたあの日。学校からいつもの帰り道を歩き、アパートのエレベーターに乗り、家に帰ってきた。ゴキブリやゲジゲジがはいまわり、ホコリが染みついたおなじみの光景。すべてが元通りだった。
母はテレビの前に座っていた。相変わらず僕には何の関心も向けなかった。僕がその横に座りこんでも声色に何ひとつ変化はなかった。
『もし父さんが生きていたら』僕は母に言った。『いまごろは政治家になっていたんじゃないかな。毎月のように高級な寿司屋でごちそうしてくれていたんじゃないかな』
母は僕に振り向いた。笑顔を見せた。父が去ってから初めての笑顔だった。
思うに僕たちはちゃんと父とお別れしていなかったのだ。事実を受け入れられず混乱の最中にあったから、おかしくなっていたのではないか。
その夜、離れて暮らす姉夫婦を呼び、お互いに父の思い出を語り合った。僕らはするべきことをしてなかったのだ。その後、母は自分を取り戻した。完全によくなったとはいかないけれど、前向きに生きている。
今でのあの戦いのことが頭をよぎる。夢のなかで記憶がよみがえって悲鳴とともに目覚めることもある。
人の残酷さが牙をむくこともある。冷酷さに打ちのめされそうなこともある。薄情さに絶望することもある。
それでも、僕は人の良心を信じている。
曇り空の間から、太陽が顔をのぞく。オレンジ色の光に目を細めながら、僕らは身を寄せあい、雑踏のなかを歩く。
終わり
狂乱スクールズアウト 馬村 ありん @arinning
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