第43話 肉屋
いつもなら殺された者の体は光り輝いて〈校外〉に出るための出口となる。だが、最後のひとりになったからか今回はそれは起こらなかった。
その代わりに、背後にドアの存在を感じた。〈校外〉に出るといつもそばにいるドアだ。
「くぐれってことか?」
残念ながら答えはない。右から左に開けようとしたが、開かなかった。左から右に開けると、今度は開いてくれた。
梁のめぐらされた鋼鉄製の天井。ワックスのよくかけられたフローリング床材。壁材には板と一部コンクリートが使われている。そして壁には等間隔にフックで吊るされた死体が並んでいた。
死体置き場は、随分と広い空間になっていた。それこそ体育館並みの広さに。これまでに獲得した死体の全てがそろっているのだから当然だ。
見渡すと、そのなかに香月京の姿があった。横尾凪沙も村西健も。全生徒の姿がそこにあった。生徒会の面々も、トンネルを掘ると頑張っていたやつらの姿も。
ふと背後から乾いた拍手が聞こえてきた。
「おめでとう、御堂開。今回のゲームは君の勝利で終わったよ」
聞き覚えのある声に振り向けば、そこにいたのは東村こみえの姿だった。
豊かな長い髪、犬歯の目立つ口元。間違いなく東村のはずなのに、違和感がぬぐいされない。背筋がゾッとするような冷たいまなざし、それと相反するような慈愛に満ちた笑顔。
「お前は誰だ」
その発問は魂の奥からの問いかけであったといっていい。茶色の両目が僕を見すえた。
東村は僕の目の前までやって来て、その体を近づけた。背筋にしみいるような冷たさに襲った。
「このゲームを考案した、東村こみえがいうところの『肉屋』の設定を請け負っているものだ。まあ、あるところでは信仰を集めていて『アモン』の名前で呼ばれていたりもする」
「アモン……悪魔のアモンか」
「そうだ。私を現世に呼びつけたこの女性の体を借りて君と話をしているのだ」
得体の知れない恐怖の原因がわかった。東村は人間以外の存在にその身をゆだねているのだ。
「君は私に言いたいことがあるのではないか?」
「山のようにあるとも。どうしてこんなゲームをはじめた」
「東村こみえの願いにこたえたまで」
「東村は望んでいなかった。ただ元恋人の山川里美と結ばれたかっただけなんだ」
「違う」
アモンは断言した。
「彼女が魔法陣を描いているときに望んでいたのは、特定の集団に破壊と混乱をもたらすことだ。理由など彼女自身にも分からなかったであろう。私はメッセージを受け取った。彼女の破壊と混乱をこの世に実現するために行動を起こした」
「世界は元に戻ったのか?」
「まだだ。君がこの部屋を出た時に現実が再設定される。この吊るされた肉のなかから、命の選別をしろ。生かしたいものとそうでないものとを分けろ。生かしたいものは自由が保障される。そうでないものは永遠にお前の奴隷だ。財産と化し、肉体はお前の世界のなかに保存される。お前の死後もな」
「なんだんだ。お前らは存在するのか。悪魔」
「その通り。他になにか質問は?」
僕は答えなかった。
「どうやら心は決まっているようだな。他に質問はないようなので、私は立ち去らせてもらうことにしよう」
アモンは東村の体から抜け出ていった。糸の切れた人形のように力を失った東村が、僕の腕に倒れこんできた。東村は両目を開けて、僕を見上げた。まがいまつ毛が瞬きで揺れた。
「どうやら憑りつかれていたみたいね。体が重いわ」
「立てるか?」
「ええ」
「お前の創造したゲームが終わった。感想は?」
「ちょっと楽しかったわ」
「そうか」
扉の開く音がした。体育館に設けられたドア向こうから大勢の制服姿の男女が現れた。針本がいた。草木絵乃がいた。僕が解放したメンバーだ。そのなかから僕に向かって飛び込んでくるひとがいた。
「御堂くん!」
「江崎さん!」
僕たちはお互いを抱きしめあった。あまりに強く抱き合ったので、その鼓動の音が聞こえてきたほどだ。
生きている。江崎さんは生きている。
「御堂くん、私――」
「何も言わないで」さらに腕に力をこめた。「何も」
「――分かった」
僕と江崎さんを包み込むように、草木が体を寄せてきた。
「美礼! ずっと言わなきゃいけないと思っていたの。あの万引きのこと。本当にごめん。私も罪をかぶるから」
「いやいや、『私も』じゃなくて、『お前が』だろうに」
「ちょっと、御堂くん、せっかくの告白に水ささないでくれるかな。そんな無神経だと美礼に振られちゃうんだから」
などといつもの調子で話し続ける。
「このゲームで分かったの。信頼できるひとはこの世に少ない。でも、信頼してくれるひとを大事にしなきゃって。好きよ、美礼」
「絵乃ちゃん……」江崎さんの目に光るものがあった。「当たり前だよ。私はずっと、何があっても絵乃ちゃんのこと友達だと思っているから」
本当の再会が今この場で行われた。
「全員を復活させるなんて本気かよ。博愛主義に目覚めちまったのか?」
針本は声を張り上げた。
「それに、お前分かってんだろ。お前の親父さんを殺すことになるぞ」
「どういうこと?」
江崎さんがたずねた。草木がそれについて説明した。
「なるほどね……」と江崎さん。「私だったら選べないかもしれない。でも、御堂くんはそれでもいいというの?」
「そうだ」
「どうして? 福本とか天野とか雲井みたいなやつらは殺しておいていいって言っておいたじゃん」
草木も抗議した。
「このゲームでは一ミリの勝利も得たくない。何もかも元通りの世界にしないといけないんだ。人から奪った幸せなんてクソくらえだよ。そんなものがなくても僕は幸せになってみせる」
「お父さんとのこともいいのね?」
「ああ」
「お前の決断ならしょうがないか」と針本は脱力したようにフローリングの床に腰をおろした。「でもさ、何もかも元通りになるわけないぞ。俺たちは殺し合いを経験しているんだからな」
「それが一度は殺し合いをした僕たちに課された宿題なんだと思う。傷つけ合った記憶をどう乗り越えるかを考えなくてはいけないんだと思う。忘れることなくずっと」
「私は御堂くんに賛成」
江崎さんは僕の手をとって高々と掲げた。顔には笑顔が花開いた。出会ってから初めて見た、快い笑顔だった。
「個人的にはそれが正しいと思う」
「じゃあ、俺も」
針本も同意して手を重ねた。
「仕方ないわね」
まだ眉をひそめながらも草木は手を重ねた。
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