第40話 白旗

 下の階に降り立つと、廊下の向こうからひとりの男子生徒が現れた。香月だろうか? いや、香月よりはすらりと背が高く、引き締まったシェイプをしている。その手に何かを振っていた。手に持っていたのは鉄パイプで、その先には白い布切れがついていた。


 ――どういうことだ?


 降参の白旗か?


 しかし、このゲームでは敗北は死を意味する。白旗を上げたということは、自らの命を差し出すというものではないか。ここまで追い詰めたとはいえ、香月が自殺を志願するような人間だとは思えない。


 男子生徒は「おい、一時休戦だ。いいだろう、なあ」と叫んだ。


「菅田……」


 その人物を見たときに、息が詰まった。肺のなかの空気がすべて持っていかれるような思いだった。旗を持ってきたのは菅田だった。戦いの最中で命を落としたと思っていたが、まぎれもなく生きている。


「よう。なんだか久しぶりだな。なんだか何年もあっていなかった気分だぜ。どうした、その驚きようは? もう死んでると思ったか?」


 にやにや笑って、僕の狼狽ろうばいぶりをみて楽しんでいるようだった。


「俺は香月くんの奴隷の身の上だからな。〈名簿〉には生存者としてカウントされていなかったのかもな。もちろん、〈学校〉に戻れば俺は生存者扱い。いまはれっきとしたファイターなんだぜ。ところでなあ、そのおっかないボウガン置けよ。戦いをちょっと休まないかと言っているんだ。香月クンがお前と話したいとさ」


「話だと……」


「そうだ。平和的にやろうぜってことだよ。なあ、そんな人殺しの道具なんて置いておけよ。まったく危ないヤツだぜ」


「話し合いなんて、そんなことは僕にとってメリットがないぞ」


「正々堂々と……」


「笑わせるな。お前は殺す!」


 脅しじゃなかった。それが伝わったのか、菅田は顔面を蒼白にさせた。


「でもさ、ちょっとぐらい話を聞いたほうがいいと思うぜ。江崎美礼がいるんだよ。会いたくないか?」


「――何?」


 菅田の口からその名前が語られたことに、背筋が凍った。なぜ? どうして? 言うまでもない。香月は江崎さんを奴隷として所有しているのだ。


「この場に連れてきてんだよ。この世界で殺したものは自分の持ち物になるのはお前も知っているよな? もし江崎美礼を殺せば――」


「江崎さんがいるのか⁉︎」


「ああ」


 僕がまんまと話に乗ってきたのに気をよくしたのか、菅田は顔の両端をゆがませた。


「ついてきたら会わせてやるぜ。会いたいだろ? 江崎美礼がお前の目的だと香月君は言っていた。そうなんだよな? お前に江崎さんをやってもいいと思っているんだ、香月クンは。江崎さんをゲットしたらさ、。それから自分の世界にこもるでもすればいいのさ。それがお前の望みなんだろう。悪い話じゃないと思うんだが、どうだ?


「だからさ、話し合おうぜ。ただよぉ、香月君はお前が裏切らないか心配しているんだよ。香月君としては安全にやりたい。だから対面して腹と腹を割って話し合い、WIN-WINにやれるよう取り計らいたいってとこなんだよ。どうだ? 悪くない話だろ?」


「江崎さんを連れてきたのか、俺に殺させるために」


 歯を食いしばり、菅田に視線を向ける。


「ど、どうした。そんなに怒るなよ、御堂」


「卑劣な連中め。僕はお前らが思ってるような人間じゃない。お前も殺す。香月も殺す。それが再び江崎さんの命を失わせる結果になったとしても」


「や、やめろ、御堂!」


「うるさい!」


 再びボウガンを構えた。菅田を射殺するために。


『御堂さん、僕と話せませんか?』


 どこかから声が聞こえてきた。菅田の腰のベルトに無線機がぶら下がっていた。


『お久しぶりです。またあなたとこうして話ができてうれしいです』


「お前がこんな卑劣な作戦を考えたのか」


『すみません、僕は非力なんです。こうしないと勝てないんです。江崎美礼さんの声を聞かせてあげます。さあ、江崎さん。起きてください。あなたの恋人の声を聞かせてあげますよ』


『御堂くん……?』


 全身に強烈な一発を喰らったような衝撃を味わった。最後に見たのは彼女の死に顔だった。それがいまや、まぎれもない生存を知らせる、凛とした声色が響いてきたからだ。


 僕にとっての全ての目的がここにあった。ここまで戦ってきたのはすべて彼女のためだ。力が抜けて武器を取り落としそうにすらなった。


『だめだよ! この人たちの言うことを聞かないで!』


 江崎さんの声はぶつりと途切れ、香月の落ち着いた音声が聞こえてきた。


「どうですか、御堂さん。よく考えてみてください。このまま僕たちを放置することもできます。そうすれば、炎に巻きこまれて焼け死ぬことになる。そうすれば、御堂さん、確かにあなたが勝利をおさめることになる。江崎さんだってあなたのものになるでしょう。そうすれば蘇生して自分のものにすることだってできる」


 でもね、香月は言った。


「あなたは、江崎さんにそんな地獄の苦しみを与えたいですか? じわじわと火にあぶられて死んでいく苦しみを与えたいですか? 地獄の苦しみといいますよ。何人も殺している私なら観念もできます。でも、罪のない江崎さんにそんな責め苦を味合わせるのでしょうか? もしそれが嫌だと言うのなら――」


「分かった。応じる」

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