第36話 愛のために

 男の野太い腕が釘バットにさらなる力を込める。僕の握るナタの刃に釘バットの表面が食い込む。ミシシッ。不吉な軋み音。押し合うのも困難だ。ヘルメットが感情のない視線を僕に向け続ける。


 競り負けた、と思った瞬間、相手ものけぞった。次なる攻撃が風を切って放たれる。僕はすんだのところでかわす。返す刀の一撃はかわされる。空振りの応酬が続いた。


 僕も相手も息が切れはじめた。僕の勝機は十分にあった。特に相手は片手が封じられ、もう片方の腕は血で濡れている。このまま打ち合っていればチャンスはある。


「お前は、二年生の御堂開だな」


 バイク男が言った。


「その声は副会長の村西さんか」


「そうだ。よく分かるな」


 村西――はヘルメットを外した。ソフトモヒカンの髪に、まぶたの厚い大きな目。唇は青ざめていて、矢の傷が効いていることを物語っていた。矢の刺さった左肩から血が流れ出し、ライダースーツの腕をたどって指先に流れ、廊下へと垂れていた。


「あなたは有名人だから」


「そうか。お前は何事にも無関心な生徒だと思っていたんだよ、生徒会員なんて興味がないと思っていた」


 村西は、深い傷など忘れたかのように険しい顔つきで釘バットを構えた。


「お前にお願いがあるんだ。ここは譲ってくれないか」


 沈黙。


「つまり僕に死ねと?」僕はうすら笑いを浮かべた。「誰にも譲らない」


「俺は大いなる目的のために戦っているんだ。〈愛〉のためだ」


 黙って話を続けさせた。


「お前はなんのために戦う? 財産か? それともほかの目的か?」


「後者だ。好きな人を救いたい」


「救い出して、それからどうするつもりだ? あとは二人きりで引きこもるつもりか?」


「それは――」


 それから先のことなど頭になかった。僕には江崎さんを助け出すことこそこのゲームにおける今の至上命題なのである。


「それなら俺に全てをゆだねろ。お前もその女も全てを救ってやる」


「副会長、あなたは愛とは言うが、一体何が目的なんだ?」


「救済だ。全員を殺し、それから全員を助ける。仏教でいうところの一切衆生いっさいしゅじょうってやつだ」


「全員を助けるために全員と戦っているというのか。なぜあなたは、そんな崇高な目的を持っているんだ」


「教えてやろう。俺は生徒会長の遺志を継いだんだ。なんせ、あいつはこういう思想の持ち主だったからな。俺はそれを体現するだけの機械と化しているわけだ」


「悪いけど、全員を救うなんて僕の知ったことじゃない。悪いが勝ちは譲れないよ」


 自分の言葉とは裏はらに、脳裏に生徒たちの笑顔が浮かぶ。助けられた時のあの喜びを顔にたたえた生徒たちの顔が。


「交渉失敗か。まあいい、最後まで最善をつくす、それが俺だ」


 顔色は蒼白になっても、副会長の目つきの鋭さだけは一片も変わるところがなかった。


 副会長がしかけてきた。ひゅっと音と立てて、釘バットが振り下ろされた。金属と金属が火花を散らす。僕はナタで受けた。


 手負いだというのに、副会長の力たるや猛然たるものがあった。その気迫と重たい一撃に打ちのめされそうになる。だが、ひるんでいる場合ではない。二度三度やり返した。


 釘バットの表面が僕のナタの刃を横から打ち据えた。得物を取り落とすまいと、僕は姿勢を崩す――しまった――体の前面ががら空きになった。


 しかし――。


 これまでのやり合いが響いたのだと思う。突如、副会長の膝が崩れた。血を流し過ぎたのだ。


「くそっ」


 クロヒョウを思わせる、副会長の鋭い目つきが僕へと放たれた。


 チャンスを逃す僕ではない。


 次の瞬間、ナタの刃が副会長の右肩に食い込んだ。正面からドバっと返り血を浴びた。


「ああああっ!」


 さらにナタを深く減りこませる。血が出る。副会長は獣じみた声を発した。


 肉を切り骨を断ったナタを引き抜いた瞬間に、副会長の全身が光り輝きはじめた。宙を仰ぎ、力んだままの顔で絶命していた。強い男に競り勝ったのだ。


 直後に草木から着信があった。


『死んだよ! 副会長、死んだ! 副会長の家が動画の早回しみたいに荒廃していったの。ビックリだよ! あー、動画撮っておけばよかったなあ。ねえねえ、あんたは無事なわけ? 一度戻ってこなくていい?』


「こちらは著しい消耗も致命的なけがもなし。このまま戦いを続ける」


 その後、すぐに別の報告があり、生存者が、今確認できる限り後三人(香月、横尾、それから僕)に絞られたことを知った。唐突な闖入ちんにゅうでもない限りは、このまま決着がつくのだろう。


 茶色く燃え盛る村西の死体をあとに、僕は前に進む。

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