第七章 狂気の世界
第35話 車輪
悪臭で満ちあふれるトイレに戻ってきた。ぐっと吐き気をこらえる。
あいも変わらず死体だらけだ。驚いたことに、東村の死体はまだそこにあった。ひどい話だ。向こうで復活しようがしまいが、死体は常にそこに残るのだ。
「みんな、あれから戦況に変わりはあるか?」
スマートフォンのスピーカーモードをオンにして、〈校舎〉外で見張りにつく仲間と、そのほか御堂家の食堂で待つ仲間たちに連絡をとった。
「特になし」
というのが全員の回答だった。
残る敵のなかには香月京、横尾凪沙、村西健といった面々いる。このまま歩いていると誰かしら、ぶつかるに違いない。
――誰でもいい。どうせ全員倒すんだ。
意を決して、廊下を進む。誰の声もしない。誰の物音もしない。水を打ったかのように静まり返っている。
現在の位置は職員棟と教室棟のつなぎ部分にあたる広い廊下だ。ちょうどこの下が昇降口に当たる。職員室が近くにあり、平時であれば、教職員や職員室に用のある生徒でごった返している。それもきょうは(きょうもというべきか)もぬけの殻だ。
敵はどこにいる?
もの影から虎視眈々と狙っているのか? それとも積極的に打って出てくるのか? 次に出くわした敵は完全に後者だった。
そのエンジン音が聞こえたのは、昇降口近くの階段にさしかかった時だった。ブルルルルルン! 獣の
近くにいる。狙いは多分僕だ。廊下の前後を見渡した。敵の姿は見えない。冷え切った廊下の、何もない床面が見えるだけだ。
針本からもらったボウガンを構え、階段を背に敵に備える。一瞬エンジン音が大きくなった。
まさか、後ろか?
視界の端にこちらを狙う銃口が見えた。とっさに身を交わした。天井に穴が空き、コンクリートの粉を散らした。これは銃?
「こんなのアリかよっ!」
大きなタイヤが段を駆け上ってくる。バイクの上にはヘルメット姿の男が乗っており、その手には拳銃が握られていた。
逃げようと走り出すも、バイクのいななきはあっという間に背後に迫ってきた。あの銃はおそらく改造拳銃だろうが、至近距離から撃たれたら無事では済まないだろう。
職員棟の廊下を駆け抜ける。銃を持ったバイカーと直線距離にいると危険なのは十分に承知の上だ。銃の標的になりやすいし、追いつかれやすい。
暗がりに入った。学生服のポケットから尖った小さな鉄の塊を取り出し、廊下にばら撒く。要するに忍者の使うまきびしである。
バイカーがいるのではというのは作戦中に話題になっていた。エンジン音を実際に聞いていた連中もいたし、東村も扉を潜れるものなら全て持ちこめると言っていた。
そういうわけで、寺原をはじめとした仲間の何人かが金属を加工してこういうものを作ってくれたのだ。
――うまく引っかかってくれ。
廊下の曲がり角に滑りこんだ。バイクの車輪がまきびしに到達したのはおそらくそれと同時だった。バン! 威勢のいい音がしてバイクが停まった。
――今だ。僕は構えていたボウガンでバイク男に狙いをつけた。矢はライダーの肩に当たった。男はライダースーツに包まれた体から矢を抜こうとするが、僕が次の矢をつがえていることを知ると、銃を構えた。
身を隠した。すぐ顔の横を銃弾がかすめていき壁が粉を散らした。
「すごい腕前だな」
ほれぼれするぐらいの命中率だ。敵ながら称賛したくなる。銃弾は五発、六発と続いたが、それで尽きたようだ。バイク男はバイクを降り、僕の矢を逃れるために物陰に身を隠した。
今度は僕が追いかける番だ。矢を構え、全力で突進する。
『戦況はどうなっている』
スマートフォンから針本の声が聞こえた。
「相手は銃をロスト。追いかける」
『気をつけろ。隠し玉があるかもしれないぞ』
そのアドバイスが奏功した。脚を止めると、物陰から釘バットが振り上げられた。危ないところだったと安心していられない。バイク男は片手にも関わらずバットを振るって牽制してくる。避けるだけで精いっぱいだった上に、矢を落としてしまった。
「くそっ」
腰からナタを抜いて応戦したいところだが、走りながらだとナタが鞘からうまく引き出せない。僕が逃げ出すと、後ろをライダーブーツの足音が追いかけてきた。
意を決して立ち止まる。ナタを取り出し、振り向きざまに斬りつけた。僕とバイカーの得物同士が激しくぶつかりあった。
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