第34話 寺院(香月)

 板張りの廊下を歩いていると、本堂の方から女の悲鳴が聞こえた。まぶしい日ざしに目を細めながら、中庭の藻石の上で小鳥が遊ぶのを見やる。きょうはいい日になりそうだ。女の悲鳴は大きくなり、さらに大きくなり、それからしぼんだ。


 ふすまを開けると、半裸の菅田が仏像の陰から出てきた。その後ろで真っ白な背中の女が赤いじゅうたんの上をよろよろと這っていくのが見えた。たばこの刺激臭が部屋中を満たしていた。


「相変わらずですね、菅田くん」


「おう。香月くんじゃねえか。おかえりなさい。この女なかなかよかったぜ。やっぱり同じ学校の女をコマすのって最高だな」


 姿はベルトをしめながら、後ろを指さす。


「香月君も一発かましてやりなよ。よろこぶぜ。あいつはそうとうなスケベだ」


「そうですか。でも僕は遠慮しておきます」


 籐製とうせいのイスに深々と腰かける。茶がさし出されたのはそれと同時だった。


「ありがとうございます、山川さん」


 山川里美は力なく首をかしげた。口にはギャグボール。下半身には菅田の命令で革製のミニスカートをはかされていた。腫れ上がったまぶたの下からこちらをにらむ目はなかなかに鋭い。相変わらず気の強い女性だ。


「里美ちゃん、俺にもくれよ。お茶」


 菅田は山川の持っていた朱色のお盆に手を伸ばす。山川はびくりと立ち止まって体をふるわせた。


「なんだよ。殴らねえから。落ち着きなって」


 猫なで声とは裏腹に、菅田の顔にはサディスティックな笑みが浮かんでいた。山川は震える手で盆から茶を出すと、そそくさと台所の方に戻っていった。


「ふーっ。うまっ」菅田は息をはいた。口の周りにはひげが育ち、目元をレイバンのサングラスがおおっていた。「寺って言うのも住んでみるといいもんだな。これはあれか、藻谷って一年坊主の財産か。いいもん手に入れたよ、香月君」


「そうですね。とても落ち着きます」僕は一口お茶をすすった。「それで、例の件ですが――」


「ああーっ‼」


 泣き声がした。さっき菅田君が犯した女だ。絶望と恐怖が切ない悲鳴を上げさせただ。死にかけの子猫が鳴いているような、聞いてて胸が締めつけられるような声色だった。


「うるせえよバカ女! ぶっ殺すぞ!」


 菅田が怒鳴り声を上げた。大砲を打ち鳴らしたみたいに大きな声だった。女は黙った。シーンとした空間に、風鈴を鳴らす音がチリンと響いた。


「で、何の話だっけ?」


「銃ですよ」


「ああ、銃ね」菅田は煙草を口に加え、金色のジッポライターの火を近づけた。「もちろん用意してるぜ。ここにな」


 菅田は紫煙を吐くと、ガラステーブルの下から、小箱を取り出した。木製の箱で、上等な素材で作られているらしく、重厚な色つやを放っていた。その表面にはキリル文字とおぼしき焼き印がされていた。


「開けてもいいですか?」


「もちろん」


 箱の中身はオートマチックピストルだった。硬い表面にはオイルが塗られ、てかてかと黒光りしている。ベルベットのケースのなかに眠るように横たえられていた。


「すばらしい。なんという銃ですか?」


「名前までは知らねえ」菅田は中空に紫煙を吐き出した。「でも兄貴はめっちゃいい銃だって言ってたぜ」


「本当に菅田君には感謝するしかありませんね。いくらお金を持っていても、なかなか武器は都合がつかないものでした。いくら金を提示しても、〈組織〉の人たちはなかなか動いてくれません。彼らが頼りにするのは〈金〉ではなく〈信頼〉です。それは長い期間をかけて培うものです。しかし、僕にはあまり時間がない。その点、菅田君はお兄さんが〈組織〉の人なので助かりました」


「おう。俺のお兄ちゃんは〈組〉でも幹部なんだよ。俺も高校を出たらお兄ちゃんの下で働くつもりさ。でもよう、香月君も礼儀正しいからな。お兄ちゃんはお前のこと、ずいぶん気に入っているぜ。こんだけ武器の都合をつけてくれたのは、ひとえに香月君の人格ってのもあるよ」


「ありがとう。そう言われるとうれしいです」


「……ひとつお願いなんだけどさ、銃を一丁俺にもゆずってくれないかな?」


「お兄さんには持たないよう言われているのでは?」


 そういうと、菅田は顔を真っ赤にした。


「お兄ちゃんは分かってねえんだよ! 俺をバカ呼ばわりして、俺にはうまく扱えねえと思ってやがる。ナメ腐りやがってチクショウ!」


 菅田の手がジッポを力任せに床に投げつけるが、毛足の長いじゅうたんに衝突音をかき消された。ふうふうと菅田の荒い息が仏堂にひびきわたった。


「融通しますよ。実はお兄さんから一丁預かっているんです。なんだかんだ言ってあなたを気遣っていらっしゃるんですよ」


 それを聞いて菅田はニコッと笑った。


「ところでさあ、御堂のクソ野郎まだ生きているって本当かい?」


「ええ。〈名簿〉は生存を伝えてきてます。彼は最後まで残るでしょう」


「あいつさ、俺にくれないかな。あいつには借りがあるんだよ。俺の手でぶっ殺してやりてえ」


「ということは、あなたも〈学校〉に戻るつもりですか」


「もちろんよ」


「僕は彼のことが好きなんです。お手柔らかにお願いしますよ」


「ああ、香月君のために手心は加えてやるさ」


 菅田の野太い指が、ガラスの灰皿にたばこを押しつぶした。


「そうだ。兄貴のやつ、香月君にプレゼントがあるって言ってたぜ」


 菅田が指をパチンと鳴らすと、山川里美とほかの二人が障子の向こうから現れた。手に抱えてきたのはさっきよりもひとまわり大きな箱だった。シンプルなオフホワイトカラーはまるで医療器具でも梱包しているかのように思わせる。


「こんなにたくさん?」


 箱を開封した。


「これは……大変面白い」


「だろう?」


「底部に取りつけられているのは、銃ですか?」


「特別製だそうだぜ」


 菅田はにやりと笑った。

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