第29話 ノート

〈扉〉をくぐって、学校に戻ってきた。そこは廊下からトイレの入り口につながる短い廊下の途中だった。そこにあるべきものがなかった。


 確かここで女が死んでいたはずだ。


 誰かが死体を運んだのだろうか。なぜ、なんのために?


 女は消えたが、その持ち物と思しきものが暗がりに転がっていた。ナタとリュックサックだ。


 そのナタを拾い上げた。軽くて扱いやすい。金属バットも持ってきたが、殺傷能力という意味ではこちらのほうが上だろう。もはや誰の持ち物でもないだろうからありがたく頂戴する。


 ほかにも使えるものはないかとリュックサックの中身を漁った。女の子の、それも死んだ人間の所有物を物色するなんて趣味がいいとはいえない。そんなことは百も承知だ。でも今は勝利につながることであれば何でもする。


 そこに一冊の古い本が入っていた。戦闘の気晴らしに読む分には違和感のある本だった。まず古い。紙は黄ばみ、表紙の革にはうっすらとカビが生えていた。どうしてこんなものをありがたがって持っているのか好奇心がわいた。


 古い日本語が書かれていたが、「悪魔」「召還」「いけにえ」「鮮血」といった物騒な単語が並んでいた。


「なんだよコレ」


 ずいぶん気持ち悪い本を持っているものだ。ところどころ付箋ふせんが貼られていたが、その伏線のある箇所にもっとも気持ちが悪い言葉が並んでいた。『アモンに血を捧げよ』。『丑の刻に贄を用意せよ』。持ち主の女は頭のおかしいやつだったに違いない。


 他に一冊のノートが出てきた。手垢や折り目が目立ち、使い古されている。なかには手書きの細かな文字で文章がびっしりと描かれていた。トイレ手前の廊下では何が書かれてあるのか分からない。明かりを求めて、トイレの内側へと足を踏み入れる時、悪臭が鼻をついた。


 目の前に広がる光景に、朝食べたトーストを戻しそうになった。


 タイルの床の上に死体が山と積まれていた。腐敗がはじまったのか、すえた臭いに満たされていた。その数ざっと五、六人。そこにはナタの女――このノートの持ち主――も含まれていた。


「誰がこんなことをしたんだ?」


 死体はすべて銃で撃たれた跡があった。きっとあの男だ――香月京。最後に見たとき、その手には二連式の銃があった。


 自分でも不可解なことに、死体にはすっかり慣れてしまったようで、僕はそこにとどまった。他に人がいないことを確認した後、僕は本のページをめくった。


「なんだこの本は?」


 手書きの小説のようだった。文章は拙劣せつれつで、ところどころ意味が通じない。誤字脱字が多い。字が汚いのでそもそも読めない箇所がある。それでも目を引くのは「ルール」と書かれた箇所である。


  1.〈生徒〉は学校の校舎に閉じこめられている(バリア)


  2.〈生徒〉を殺し、死体の〈輝き〉に触れることで〈校外〉に脱出できる


  3.〈生徒〉をひとり殺すと、〈校外〉の世界でその財産がすべて手に入る


  4.〈校外〉では常に〈扉〉の存在がある。〈扉〉をくぐると学校に戻る。


 と延々と続く。


 別に〈ルール〉をメモするのに何もおかしいことがあるわけじゃない。おかしいのは、どうしてこんなに古く、使い古したノートにその〈ルール〉が記述されてあることだ。


〈ルール〉に関する記述はさらに続く。



 21.最後に校舎に残ったものがただひとりのものが勝者となる



 ゲームの参加者は事後的にルールを知るしかないはずだが、どうしてこの女子はルールについて前から把握していたのだろう。


 いまや黙して語らぬ死体と化した女子生徒に目を向けた。長く豊かな髪は腰まであった。鼻は高くハリウッド映画に登場する白人女優に似た面持ちで、その美貌は眼鏡に隠れていた。額に深々と突き刺さっているのは僕が放った矢だ。


 明らかにこの少女はこのゲームについて何か知っている。それはあの大事そうに持っていた汚らしい古書と関係があるのだろうか?


 突如、機械音がなった。


 僕は叫びだしそうになった。


 そんな音が聞こえるとは少しも思っていなかった。


 携帯電話が鳴ったのである。


『ねえちょっとどういうこと? 話が違わない?』


 通話をオンにすると、草木の声がした。水の底から聞こえてくるようなうすぼんやりした声色だったが、確かにこの耳に届いてきた。


『私の家、ないんだけど。なんでないのよ? 帰してくれるンじゃなかったの、嘘つき!』


 僕はしばし口が聞けなかった。


『あれ? 聞こえてる? おーいおーい』


「ああ。こっちの声は聞こえてるか?」


『ノイズがヒドいけど、聞こえてるよ。あんた今どこにいるの?』


「学校」


『学校? 何のんきに学校なんか行っているのよ』などと言いつつ、草木は学校がいまどんな状態になるのか思い出したようだ。声色を変えて『――嘘でしょ?』と尋ねてきた。


「本当だ。二階職員用トイレのなかにいるよ」


 僕は片手でスマートフォンを持ち、もう片方でノートを手に取った。


「こっちはすごい発見があった。すぐにそっちへ戻る。話を聞く必要のある人物が現れたんだ」


『え、なになにどういうこと?』


 ふとトイレの出入り口のガラスが目に入った。鏡面に映るのはトイレへと向かってくる人影――どうやら電話での話し声がほかの〈参加者〉を呼び寄せてしまったようだ。


『どうしたの? 気を持たせてさ。発見ってなんなのよ。人物って?』


 僕は携帯電話をスピーカーモードにして、床に転がし、身を出入り口の前から避けた。


 その瞬間、強い衝撃音があり、何者かがドアごとトイレの中に倒れこんできた。かなり大柄な人物で、その立派な体格をアイスホッケーの防具がおおっていた。


『ちょっと!? なに今の!? めちゃくちゃでかい音が聞こえたんですけどッ! 大丈夫なのアンタ?」


「キエエエエッ!」


 男が咆哮した。僕はナタをふるい、ホッケースティックを握ったそいつの手を切りつけた。悲鳴が上がった。続けて、首めがけて攻撃を繰り返した。一度では仕留めきれず、絶叫が鳴り響いた。僕は攻撃の手を緩めなかった。二度目、三度目。そいつが光り輝くカタマリとなっていた頃には学生服の下にすっかり汗が染み渡っていた。


「おーい、おーい。聞こえてるの、御堂くん? ねーねーねー、おーいってばー」 


 スピーカーからは草木の声が鳴り響いていた。

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