第16話 闘争(村西)
「村西、俺を殺してくれないか」
今村が言った。ほとんどささやき声に近かった。もし注意して聞こうとしていなければ何を言っていたか分からなかっただろう。
「もう……生きられない」
俺は何も答えず、脱いだ自分のシャツを口で噛むと、力任せに引き裂いた。そうして作られたぼろ布を今村の裂かれた腹部に押し当てた。布はあっという間に赤黒く染まった。
「そんなこと言わないでくれ。俺がお前にそんなことできるわけないだろ」
「俺が死んだら、あいつらに俺のすべてが奪われてしまうんだろ。そんなのは嫌だ。でもお前にだったら」
「希望を持ってくれよ。頼むよ」
いままでこんなにこいつにお願いをしたことがあっただろうか。いつもは今村のお願いを聞く立場だった。手当の甲斐なく、今村の顔はますます青ざめていく。
「出てこい今村、村西。殺してやるぞ」
部屋の外から罵声が響いた。扉を叩きつける音は次第に強くなっていった。凶暴化した生徒が徒党を組んで襲いかかってきている。今村家の財産をみな狙っているのだ。
襲撃が起こった時、俺たちは体育館の物置スペースに逃げこんだ。キャビネットを動かして扉を塞いだが、このままではいつ暴徒と化した生徒たちに突破されるかわかったものではない。
次の布を当てようとすると、今村はかすかながら首を横に振った。
「無駄だ。自分の治療に使え」
「俺の傷は大したことないよ。腕をちょっと切られただけだ。唾をつけておけば治る」
実際は、口ぶりより大怪我を追っていた。二の腕はナイフで深々と切られているし、せっかくソフトモヒカンにしていた頭も真っ赤に染まっていた。いましも額を一条の血液が流れていた。
「この三日間メチャクチャ尽くしたのに、これがみんなの俺たちへの仕打ちなのかよ」
「人はそういうものだ」
「こんな時まで余裕こきやがってバカが」
今村の手を取った。ずいぶん冷たくなっていて、まるで血が通っていないようだ。
ガラスの割れる鋭い音がした。扉のガラス部分が割られたのだ。暴徒どもは俺たちの命を求めて
「村西、頼む」
俺はお手製の布を何枚か重ねると、会長の顔に近づけた。
「ああっ、ちくしょう」
両目から流れる涙は途切れることを知らない。
「お前がいなきゃ俺は今頃ただの不良として学校を中退していた。お前が俺を助けてくれたんだ。恩人なのに俺は」
とうとう扉が突き破られた。キャビネットも押し倒され、暴徒が流れこんできた。獲物を狙えとばかりに雄叫びがこだまする。
「恩人だと思うのなら……やれ、早く」
命を奪うのに強い力は必要なかった。顔面に布を被せて、軽く抑えただけだった。今村はわずかに身動きして、最後の吐息を吐いた。それで事切れた。
「……すまねえ。本当にすまねえ」
今村の体に覆いかぶさった。多量の血の流れた身体はすっかり冷たくなっていた。いつまでも一緒にいたかった。
すぐに自分が〈校外〉に戻ってきたのを悟った。幅をきかせる群青色の空の下、黄色い蝶々がひらひら飛んでいった。
「許さねえ」
全身が震えていた。怒りに。
「金に狂った連中どもめ、まとめて殺してやる」
花壇へとおもむき、「立ち入り禁止」の立札を引き抜いた。看板部分を剥ぎ取り、地面に当てる部分を上にすればちょっとした凶器になる。
振り返るとドアがあった。噂通りだ。俺は扉を開けた。
「全員殺してやる」
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