第14話 闘争

 女装した男が体育館の壁に持たれていた女子に向かってバットを振り上げたとき、私はネイルの手入れをしていた。


 爪を刷毛はけできれいにしつつ、いくつものよしなし事――体育館のシャワールームを使えるのはいいんだけれど、お気に入りのシャンプーがあるわけではないし、ドライヤーもしょぼいから髪もゴワゴワ、こんな様子では好きな人にも合わせる顔がない――を頭に浮かべながら。


 まもなく女装男のバットが壁の女の子の側頭部をとらえた。殴られた頭が、ワックスでピカピカの板張りの床に横たわった。


 悲鳴のなか、男は真っ赤に染まった白塗りの顔をにやっとゆがめた。男が腰を落として手を伸ばした女の子の死体は、驚いたことに光り輝いていた。燃え立つような茶色がかった輝き。次の瞬間、男の体がこつ然と姿を消した。


 何が起きたんだ――誰かが叫んだ。誰も答える人はいなかった。なんだ今のは、夢だったのか? いや、ただ死体。死体のみが、答えを提示している。


「誰がこんなことを……?」


 蒼白な顔で現場に現れたのは、生徒会長の今村いまむらりんと、副会長の村西むらにしたけしだ。二人が見つめるのは頭蓋骨が陥没して永遠に動かなくなった生徒のなきがら。突然の事態にぼう然とし、村西などは吐き気をこらえて口元にハンカチを当てていた。


「私、見ました……」


 近くにいた男子生徒が、恐る恐る立ち上がった。壁際に横たわる死体が目に映らないように気を張りながら。


「あれは同じクラスの雲井周助です。女子の制服を着て、金属バットを握っていました」


「雲井周助だと? あのおとなしい奴が?」


 村西健が片眉をつり上げてたずねた。


「当の雲井はどこに消えた?」


 今村はたずねた。


「消えました」


「消えただと?」


「はい。目の前から消えたんです。ドラえもんの『どこでもドア』をくぐったみたいにパッと消えました」


「そんな話……」


 信じられるか、村西はそう言葉を続けたかったに違いない。


「私も見ました」「僕もです」「本当に消えました」――いつの間にか死体の周りに集まっていた生徒たちが次々にそう訴えるものだから、生徒会の連中は面食らっていた。


「本当に人間の姿が消えたというのか?」


 今村はたずねた。


「あなたたち、下がっていたほうがいいわよ。危ないから」


 今井と村西、それからその場にいた全員の視線が私に集まった。


「雲井はそのうち戻ってくるわ。すぐそこにね」


「お前は二年の東村こみえか」


「あら、さすがは生徒会長。私のような陰キャの名前もしっかり覚えてくれているのね。うれしいわ」


 我知らずほおの筋肉がゆるむのを感じた。


「戻ってくると言ったな。どういうことだ」


「そういうルールだから」


「ルール?」


 今村は眉根を寄せた。不信感もあらわに、注意深いまなざしが向けられた。


「私が決めたルールなのよ。光り輝く死体にさわったら〈校外〉に脱出できるっていうルールね。でも雲井は戻ってくるわよ。きっとルールについて熟知している。すでに何人か殺しているに違いないわ。〈校外〉で用事を済ませてからここに現れると思う」


「〈校外〉?」


「光り輝く死体に触れると〈校外〉に出られるのよ。もちろん〈校舎〉に戻ってくることもできるわ。〈校外〉に出ると〈扉〉が姿を現す。その〈扉〉を開けると自分が〈校外〉に戻ったちょうど同じ場所に戻ってくるのよ。要するに、人を殺すたびに何度も〈学校〉と〈校外〉に行き来が可能ということね」


 話を聞いていて、今村の顔からみるみる生気が失せていった。


「ちょっと独特な生徒とは聞いていたが、ここまでとは思わなかった」


「あら、私が嘘やでたらめを言っているとでも? 現に人が消えうせたのを何人も同じ生徒が見ているのよ?」


「ふざけるんじゃない」村西は歯列むきだしの顔を近づけてきた。「人が死んでいるんだぞ。ただでさえ生徒たちは気がめいっているんだ。頭のおかしな話をこれ以上続けるなら女といえど容赦はしないぞ」


「容赦はしない? それならどうするの?」


 村西は顔の力をゆるめ、私から体を遠ざけた。きっと私と会話しても無駄だと思ったのだろう。


「誰か遺体を片づけるのを手伝ってくれないか?」


 今村が周りに呼びかけると、生徒二、三人が集まった。うちひとりは寺の息子の藻塩もしおぎんという生徒だった。


「なあ、お前のいうこと本当なのか?」


 ぽん、後ろから肩を叩かれた。


「あなたは?」


針本はりもと正資まさし。二年A組。バリアで友人が非現実的な死に方をして以来、なんだって信じる気になっている。それに雲井の姿が消えるのも見ていた。あいつパッと煙のように消えやがったナ」


「なんの用なの?」


「さっき言ってたルール云々って本当か? 本当だとしたら、なぜお前の考えた通りに世界が変わってしまっているんだ?」


「悪魔に祈りを捧げたら、叶ってしまったのよね、願望が。いまじゃなくて、中学時代の私の願望なんだけど」


「悪魔。なるほどね。悪魔ね」


 そう言ってから針本という男子はくすくす笑いはじめた。


「もし雲井周助が姿を現したらお前の言ったことを受け入れるよ。教えてくれ、どうしたらこの世界は通常に戻る。つまり、どうしたらこのは終わる?」


「この学校に残った最後のひとりになればいい。それが唯一にして絶対の〈勝利者〉よ」


 次の瞬間、虚空に紅茶色の光が広がった。それはやがて人間の形をとった。雲井周助だ。今度は女性下着を身に着けて、腰までの長さのウィッグを頭にかぶっていた。手には金属バットではなく、ボウガンを持っていた。


「人殺し再開ヨォーッ!」


 引き金が引かれて、ボウガンの矢が次々と生徒たちを襲った。


「なんだ⁉」


 今村と村西は驚愕を持って村井の登場を迎えた。


「あなたたちは私のものーッ! さあみんな死んでーッ!」


 ある女子生徒の喉にボウガンの矢が刺さった。無理に引き抜こうとして、床に転倒し頭を打ちつけて動けなくなった。また、眼球に矢を突き立てられた男子生徒はギャーっと悲鳴を上げた。女子生徒のひとりは嘔吐して、吐しゃ物の上に横たわった。すると、死んだ友人に触ったことでこつ然と姿を消した。そういうことが体育館のあちこちで起こった。


 雲井の一方的な殺戮さつりくは長くは続かなかった。背後から迫った何者かに首根っこをつかまれ、ボキリ、あらぬ方向に曲げられたのだ。


「東村!」雲井を殺した男が私に向かって叫んだ。「最後のひとりになるまで殺しまくれ! そういうことだよな!」


「そういうことよ」


 紅茶色の光に包まれ、笑い顔だけを残して姿を消していく針本に向けて私は歯を見せた。


 さてと、私も〈ゲーム〉に参加するとしましょうか。

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