第05話 儀式
青みがかった夜空を背景に、月光の照らす巨大な雲のかたまりが緩慢なスピードで流れていた。雲間から顔をのぞかせた星々がウインクするみたいに断続的にまたたいていた。
冷たい夜だった。こんな夜は魔力が冴え渡る。塔の上のガーゴイルがときの声をあげ、地面に幽閉されたゴブリンが愚かな地上の民に嘲笑を浴びせる。墓場は死人たちの大合唱でにぎわう。
こっこ、こっこ。
ケージのなかの
「光栄に思いなさい。私はあなたの死を無駄にするつもりはないのよ。私の愛のため。私を裏切ったあいつの心を取り戻すために必要なの」
コンクリートの地面に置いたダッフルバッグから必要なもの取り出した。ラテックスの半透明な手袋、
ブラウスとスカートの制服の上にレインコートを着て、ラテックスの手袋を指にはめ、なじませた。〈儀式〉のはじまりだ。
かごから取り出す時、雄鶏はその運命を悟ったのか、激しく暴れまわり、その羽を散らした。「静かになさい」。その耳元でささやいて、首根っこをぎゅっと握りしめるとおとなしくなった。
「偉大なるアモンに捧げる」
鉈を振りおろした。首の飛んだ胴体からは、鮮血のしぶきが噴き出てレインコートを脂ぎった赤色で染め上げた。動物の血液というものはものすごい力で動物の体を流れているのだ。
さっきまで生きていた雄鶏の胴体を抱え、人工芝の地面に膝をついた。雄鶏の生き血を絵の具がわりに、指先で円を描いた。完璧に近い円であればあるほど効果は高いと本はいう。直径五メートルくらいの円、続いて、円のなかに六芒星を描いた。線と線の接点にはマリーゴールドの花びらを仕掛けた。アモンに捧げる魔法陣が完成した。
懐中電灯でアモンの書を照らし出し、茶色くしなびた紙をめくり、
――次に〈使役者〉の髪の毛をばらまくこと。この者たちはあなたの手となり足となり欲望をかなえることだろう
職員室で採集した髪の毛の束を、魔法陣の中心にばらまく。次に地面に膝をついて唱えるのは儀式を完成させる呼び出しの
「偉大なるアモンよ。
祝詞を唱えながら、心のなかであいつの姿を思い描く。夜の教室でキスしたときの妖しいほほえみ。ふたりで初めての朝を迎えたときの照れ恥ずかしそうな横顔。あいつは言った。ずっと一緒だよって。なのに、どうしてこんなに簡単に裏切ってあんな奴のもとに行ってしまったの?
最後にページを引きさいて、百円ライターで火をつけた。紙片の燃える臭いが漂った。
――私は許さない。どんな手段に訴えてでもあなたを取り戻してみせるんだからね。
焼けるようなにおいが消えるとともに、儀式は終わった。
信じられないくらいに汗をかいていた。制服のなかは水浸し状態で、今ここで裸になってしまいたいほどだ。肌を外気にさらすとさらに効果があるとものの本で聞いたことがある。それを実践したほうがよかっただろうか。
帰り支度を始めたとき、何の前触れもなく全身に震えが起こった。体温は上がり、さらなる汗が流れ、息も乱れてきた。この感覚を知っている。私たちがエクスタシーと呼ぶものだ。なにかが起こっている。なにかとてつもないことが。アモンの儀式――これは本物だったのではないだろうか。
「ああアモン。あなたは私の願望を成就させてくれるのですね? 私の願いを聞いてくれるのですね。あいつの心を取り戻せるのならば、私のすべてをあなたに委ねます。ああ、アモン」
閃光が走った。空に目を転じれば、雲が割れ、光の柱が魔法陣に向かって伸びてきていた。その柱は空から伸びる階段なのだと直感的に悟った。黒いシルエットが少しずつ少しずつ私のもとに近づいてくる。
「わが子よ」
アモンだ。その顔を目に焼き付けようとしたけれど、その身には邪悪な黄色い光がまとわりついていて、直視することはかなわなかった。全身を覆う黒い鎧と、人間の頭骨を先端につけた杖を持っていた。
「その舌で足を舐めろ」
慈愛に満ちた声が命じた。私はそうした。ひざまづき、四つん這いになり、差し出した舌で、鎧に包まれた足先を舐めた。腐ったような臭いもしたし、花のようなにおいもした。舌を滑らせるごとに快楽が全身を駆け抜けていく。私はアモンを愛している。
「そなたの献身にこたえよう」アモンは言った。「しかしうつつの恋にそなたの真の願望を覆い隠すでない」
「真の願望?」
「さよう。いまこそ具体化しよう。そなたの願望のすべてをこの世に」
微風が吹いた。その直後に雷が落ちた。いくつもいくつも。轟音に耳をつんざかれ、私はずたずたにされた。どこかから歌が聞こえた。高らかに歌う女の声が。黒い雲が視界いっぱいに広がった。
――私の願望。
黒い雲に包まれ、私は――。
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