第03話 強さ
僕らを取り巻く世界は暴力にあふれている。
信号にさしかかって自転車にブレーキをかけた時、顔を殴られた生徒の姿が目に飛びこんできた。学校からすぐの交差点で、整備されたばかりの鮮やかなベージュ色の路面が、都会的な雰囲気をかもし出している場所だ。目撃者はいない。登下校時以外は
ビルに囲まれた手ぜまな通りで五、六人がひとりを囲んでいた。枯れ葉とほこりが堆積した路面の上に寝転んでいるのは今しがた暴力を受けた生徒だ。
攻撃を加えたほうも、攻撃を受けたほうも僕と同じ学校の生徒だ。前者はすこぶるガラが悪く、制服にはチェーンが取りつけられていて、その耳にはピアスが無数に着けられていた。不良たちはお互いを小突きあったりしながらやけに楽しそうな様子だった。リーダー格らしき男が、路面に何かを投げつけた。革の財布だった。
信号が赤に変わると車道を二、三台の軽自動車が通り過ぎて行った。僕は自転車のハンドルを路地の方に向けてペダルを踏んだ。面倒なことに巻きこまれるつもりはなかった。僕もケガを負った身だ。行動に移ったのは、不良連中が背中を見せて遠ざかっていったのを確認してからだ。けが人を助け起こすぐらいの親切をしても罰は当たらないだろう。
「立てるか」
自転車からおりて、僕は片手をさし出した。うずくまっていた生徒が顔を上げた。赤く腫れた右のほお。口元からは血が出ていた。
「親切に。ありがとうございます」
その生徒は僕の顔をしげしげと見ている。僕の顔の状態も大体同じようなもので、大体同じような境遇だと察してくれたようだった。
「血が出ている。ティッシュで拭くといい」
「お世話になるわけにはいきません」
「いいんだ」
「ありがとうございます」
生徒はティッシュペーパーで口元をぬぐった。
「きみは一年生?」
「そうです。一年の香月京といいます」
小柄で、体つきはお世辞にも筋骨たくましいとは言えない。長い髪とあいまって中性的で、洋画家のアレクサンドル・カバネルの人物画みたいにアンニュイで中性的でそれでいて挑発的な雰囲気があった。
「あいつらからいじめを受けているのか?」
香月は首を縦に振った。
「そういうことになりますね」
腰をかがめて財布を拾うと、中身を確かめもせずに香月は後ろのポケットに突っこんだ。
「ずいぶんこっぴどくやられてるな。やり返さないのか」
「弱いものが強いものの犠牲になるのは当然ですから。僕はとても弱いのです」
香月はほほ笑んだ。心がもやっとするのを感じた。それはさっきまで暴行を受けていた人間が浮かべるような顔つきではない。幸運と幸福とに満たされている人間が浮かべるべき表情だった。
「弱ければいじめられても仕方ないと思うか?」
答えを予期しながら質問をした。
「はい。それって自然の摂理だと思います。カエルは蛇に食べられますし、インパラはライオンに食べられます。人間だって同じことだと思います」
「でも自分がいじめられているのをなんとかしようとはしないのか」
「あなたは――」
「御堂」
「御堂さんは立ち向かっておられるのですか」
「そうだ」
「それは素晴らしい」と香月は言った。「僕は法律を守るつもりです。復讐はしません」
法律を守るのはいいことだ。守らないのは悪いことだ。僕に反論の余地はないと思った。
「もう行くよ」
「はい。お世話していただきありがとうございました」
僕は路地を出て自転車に乗りこんだ。ペダルをこいで人の少ない通りを走った。
香月京という一年生、自分と似た境遇かと思って話しかけたのだが、なにかがズレている。決定的ななにかが。
あまり関わり合いにならないほうがいい。頭のなかでアラートが鳴り響いた。
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