第一章 鬱屈の日々
第01話 暴行
中庭に面したトイレの小窓から見える光景が好きだった。中庭のテニスコートは昨夜ふった雨にすっかり濡れそぼっていて、部員たちがせっかく引いた石灰の白線をおぼろげなものにしていた。ゆるめられたネットは垂れていて、網目には雨のしずくがぬぐい忘れた涙のようにたまっていた。
「おい、
声がした。振り向くと、拳が飛んできた。右ほおに直撃し、僕は叫び声をあげ、くずおれた。転げざまに壁のパネルヒーターの角に額をぶつけた。痛みにあえぐ間も与えられず、すぐさま内ズックのつま先が僕の足にめりこんできた。
見上げると、男たちがいた。同じクラスの
「お前みたいな雑魚のくせにイキってるやつが大嫌いなんだよ。今日こそ立場分からせてやるからなこの野郎」
菅田の膝蹴りが鼻に入った。顔面の中心に熱い血潮が込み上げてきて、強い吐き気に見舞われた。
「舐めんなよコラ!」
「クズ死ねよ!」
金田も井上も蹴りを浴びせてきた。菅田ほど強烈ではないが、数多く食らうとそれなりに痛い。肩が、背中が、わき腹が悲鳴を上げた。
暴行は、菅田たちの息が切れるまで続いた。菅田の満足そうなほほ笑みが、タイル床に横たわる僕へと向けられた。
「二度とあんなこと言ったら承知しねえからな、この根暗野郎」
菅田は言った。呼吸を荒らげていて、その角張った顔の中央に位置する鼻の穴は広がっていた。
「死ね、キモ御堂」
「イキってんじゃねえぞボケ、雑魚」
次に金田と井上の嘲笑。金田の靴の裏が肩を踏みにじった。
やつらは背を向けて立ちさった。
「お前ってさあ」腰巾着の針本が顔をのぞかせてきた。「底辺の自覚ないよな。よりによって菅田くんに立ち向かっていくとかアホじゃん。どうして頭よく立ち回れないんだよ」
「僕は」
針本と会話しようとしたが、肺が痛んでうまく言葉にできなかった。針本はその様子を面白げにながめていた。
「あんなバカのいいなりにはならない」
くくく、針本は笑った。
「威勢がいいよな。小学生時代から変わらねえ。でもさ、もう俺たちも高校生だぜ。もうちょっと世間についてわかってもいいと思うノ。逆らわねえで従っておいたほうがいいと思うゼ。以上」
針本は、ミラーの前に移動してソフトリーゼントの髪型を整え、こちらに
痛む身体にさいなまれながら、壁際のパネルヒーターによりかかるようにして立ち上がった時、三時間目を告げるチャイムが校内に鳴りひびいた。この傷だらけの顔じゃまともに授業を受ける気にもならなかった。
『三万持ってこい』
菅田からチャットにそんなメッセージが届いたのはさっきの授業中のことだった。
だから僕は『死ね』とだけ返した。
それだけの話だ。
菅田というやつは
そんな役割はごめんこうむる。するとやつらは暴力でねじ伏せて、自分のいうことを聞かせようとしてきた。奴らから暴行を受けるのはこれが初めてのことではない。
このことを教師に相談したこともある。教師の回答は『信じたくない』だった――なんだよそれ。菅田は調子のいいところがあったから、教師のお気に入りだったのだ。要するに、この問題には関わりたくないのでお前らの間で解決しろということ――望むところだ。
あんなバカのいいなりにはならない。
よろめく体をミラーの前まで運んだ。まぶたの上が腫れていた。鼻血が流れ、唇は端っこが切れていた。制服を脱いでみればきっとあざだらけだろう。顔を洗い、ハンカチで出血をぬぐった。折りたたみのブラシを使って髪をセットしなおした。アイシャドウの色落ちを直したいところだが、メイク道具は教室にある。
ポケットを探った。バタフライナイフはそこにしっかりと収まっていた。いざとなったら使ってやるさ。指の表面に感じるナイフの柄の固い感触。
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