第七章・生滅 #2

 10月16日。

 前日のこともあるので、二人は早めに動くことにした。

 朝7時にチェックアウトを済ませ、途中のコンビニで朝食を買い、車中で食べながら目的地を目指す。

 ただ、今日は何故だか順調に進んでいる。道も滞ることなく、信号機さえもタイミングよく青に変わり…

「なんだか、ウェルカムって感じだな」

 野崎は苦笑した。

「誘い込まれてるみたいだ…」

 両腕を広げて待ち構えてる。その懐に、今から自分たちは飛び込もうとしているのだ。

 宇佐美は不安な面持ちで、じっと流れる景色を見ていた。薄曇りだが雨の心配はなさそうだった。それがせめてもの救いだ。

 車は川に沿って林道を抜け、山道を行く。ハイキングコースでもあるのか、立て看板が目に付くようになった。

「集落があったのはもう少し先だな」

「車でどこまで行けるだろう」

 とりあえず行ける所まで行ってみよう——と、野崎はアクセルを踏み込んだ。

 GPSの地図を確認しながら、少し開けた場所に来て車を止める。

 舗装された車道から、少し逸れた場所に脇道があった。二人はその場に車を置くと、歩いて様子を見に行った。

 脇道は未舗装で道幅も狭く、どこまで車で行けるか分からない。

「車はやめた方がいいかも」

「仕方ない。歩いて行こう」

 そう言うと、二人はトレッキングを装い、脇道へと入っていった。

 気味が悪いほど順調に進んでいる。

 途中すれ違う人も車もほとんどなく、誰にも見咎められることなく山中へと進んでいく。

 この先にあった集落が廃村になって、もう50年近く経つ。

 当時は生活道路として使われていた道も、今では車も通らないのだろう。轍は消え、自然の姿へと返りつつあった。

 それでも、途中まではまだ道らしきものが見えていたが——10分も歩くと既に道の様相はない。

「ここからは地図が頼りだな」

「方角で見ると、このまましばらく真っすぐだ」

 宇佐美はGPSの地図を見て言った。

 山の中は涼しいが、歩いているとジットリ汗ばんでくる。足場もやや傾斜しており、自然、息も上がってきた。

 宇佐美は足を止めると、肩で大きく息をついた。それを見て野崎が笑う。

「お前、体力ないな」

「…」

 宇佐美は上目遣いで睨みつけると、「山登りは嫌いなんだよ」と言い捨てた。

「それでよく一人で来ようと思ったな」

 野崎にそう言われ、宇佐美は不貞腐れたような顔をすると、「うるさい」と呟いて歩きだした。

 が、足を取られて躓きそうになる。その腕を野崎は慌てて支えた。

「な?俺がついてきて良かっただろう?」

「—―」

 無言で腕を振り払い、何も言わずに前を歩く宇佐美の背中を、野崎は笑いながら見つめた。

「素直じゃねぇなぁ…」


 30分ほど歩くと、既に道と呼べるようなものはなく、二人は獣道のような斜面を時折地図を確認しながら進んでいた。

 木立の間から日差しが降り注ぐ。こんな目的でなければ、絶好のハイキング日和だろう。足元は枯れ葉や木の根が張り、気を付けて歩いていても足を取られそうになる。

 さすがの野崎も息が上がり、立ち止まって周囲を見回した。

 人工物がないか探すが、まだそれらしきものは見当たらない。

「50年も経てば村の面影なんて消えちまうよな…」

 宇佐美も立ち止まり、息をつきながらその場に座り込んだ。それを見て野崎は言った。

「少し休もう」

 二人は近くの岩に腰を下ろすと、水分補給をした。

「早めに出て正解だったな。意外と時間がかかる」

「ごめん…俺が足を引っ張ってる」

 己の体力のなさに項垂れる宇佐美を、「想定内だよ」と野崎は言った。

「不測の事態を想定して動く。捜査の基本その1ってところかな」

 そう言って笑う野崎に救われたように、宇佐美も笑った。

「野崎さんは…どうしてそんなに優しいの?」

 その言葉に、野崎は視線を向けた。

 宇佐美は俯いたまま、まるで独り言のように続ける。

「本当は責められてもおかしくないのに、やんわりと受け止めてくれるし…必要なことは聞くけど、そうじゃないことは無理に聞いてこないし」

「…」

「気づいてても、気づかないふりをしてくれる。どうしてそんな風に…優しくできるんですか?」

「俺…優しくなんかないよ」

 野崎は照れたように笑った。

「本当は色々気になるよ?お前の…彼女の事とかさ」

「…」

「けど、別に今知るべき事柄でもないし…話したくなった時に話せばいいやと思ってるから聞かないだけで」

「…」

「それを優しさと捉えてくれるかどうかは、人それぞれだと思うけど」

 でも——と言って、野崎は宇佐美を見た。

「宇佐美がそう感じてくれているなら良かった」

 野崎はゆっくりと立ち上がる。それを、宇佐美は眩しそうに見上げた。

「さ、行こう」

 再び、二人は山道を歩きだした。


 道なき道を、二人はしばらく無言で歩き続けた。

 時折野崎が振り返り、遅れがちな宇佐美に目を向ける。幾度かそれを繰り返し、何度目かに振り返った時、宇佐美が立ち止まったまま自分をじっと見上げていることに気づいて、野崎は「どうした?」と聞いた。

「俺…あなたにまだちゃんと謝ってない」

「…」

 野崎は黙って宇佐美を見た。

「昨日あなたに言われた事—―ずっと考えてた」

「…」

「その通りだよ。俺は人と関わりたくない。自分が傷つくことも、人を傷つけることも…もうたくさんだ」

「…」

「なのに、あなたを傷つけてしまった。あんな事—―言わなきゃよかった」

 宇佐美は唇を嚙んで俯いた。

「一生知らずに済めばよかった事だったのに…」

「宇佐美…」

「本当に…ごめんなさい———」

 そう言って深く頭を下げる。

 野崎はしばらく黙っていた。

 この数日間、宇佐美自身も悩み苦しんでいたのだろう。

 不本意ながら伝えてしまったことに対して。

 それによって相手を傷つけてしまった事を。そしてその痛みを、自分の事のように感じていたのだろう…

 宇佐美が死神の息子であっても、こいつは人を傷つけて喜んだりなんかしない。

 そこに喜びを見い出す父親ヤツとは違う。

 共に傷つき、悩み、苦しむ。

 この男には、人間らしい思いやりと優しさがちゃんとあるのだ——

 野崎は言った。

「教えてくれてありがとう」

「え…?」

 宇佐美は驚いて顔を上げた。

「そりゃ…あの時はショックだったけど、でも——」

 そう呟いて、宇佐美の目を見る。

「ちゃんと手を合わせてあげることができた」

 野崎はそう言って小さく笑った。

「お前が教えてくれなきゃ、一生知らずに生きてた。きっと…気づいて欲しかったんだと思う。だからお前に姿を見せたんだ。お前にはそれが見えて…それを俺に教えてくれた」

「…」

「あの子の魂を、宇佐美は救ってくれたんだ」

「—―」

「だから感謝してる。ありがとう」

 何も言わずに、ただ黙って聞いていた宇佐美は、ゆっくりと野崎の方へ歩み寄った。

 上空で鳥のさえずりが聞こえる。二人は同時に空を見上げ——再び歩き出した。


「お前のその力にはさぁ…ちゃんと意味があるんだよ」

 傾斜がキツくなった山道を、周囲の木立を掴んで登りながら野崎が言った。

「人を傷つけるだけじゃなくて、救うこともあるんだって——俺はそう思う」

「そうかな…」

「誰かを救う為の力だって思ってた方が、希望が持てるだろう?」

 野崎はそう言いながらキツい傾斜を登り、振り返って宇佐美の方へ手を差し延べた。

「だからもっと自信持てよ」

「—―」

 宇佐美は何も言わなかった。ただ、自分の方へ差し延べられたその手を黙って掴む。

 強い力で引き上げられる。

 互いに息が上がり、しばらくその場で呼吸を整えた。

「それにしても、すごい所だな…本当にこんな所に集落があったのか?」

 道なき道の先は、まだ鬱蒼とした雑木林だ。

「方角は合ってる。多分もうすぐだ」

 GPSの地図を確認して、宇佐美はふと視線を上げた。

 何かに惹きつけられるように、じっと前方を見据える。その表情が少し強張るのを

 野崎は感じた。

「宇佐美—―」

「野崎さん」

 言いかけた言葉を遮るように、宇佐美は言った。

「ここからは俺一人で行くよ」

「え?」

「あなたはここにいて」

 驚く野崎を尻目に、一人で傾斜を登っていく。

「お、おい!こんな所に置き去りかよ」

「あなたはこれ以上進まない方がいい」

「ここで待つのもどうかと思うぜ?」

 宇佐美は振り返って笑った。

「怖いの?」

「…アホ」

 怖いことあるか!と嘯く。

「幽霊より動物の方が怖い」

「熊は出ないよ」

「一人で平気か?」

「…」

 宇佐美は黙って頷いた。その表情には、静かな覚悟が見て取れる。

「そうか…」

 野崎はも何も言わなかった。

 黙って頷き、歩いていく宇佐美の後ろ姿を見送る。


 奴にだけ見えている世界。

 自分には見えない世界。

 その両者を隔てる境界線が今、スーッと目の前に引かれたような気がした。

 これを飛び越して、向こう側へ行くことが出来たら…


 俺に奴が救えるだろうか―――


 もどかしい思いを抱えながら、野崎は木立の向こうへ消えていく宇佐美の後ろ姿をじっと見つめていた。

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