第2話「ガラスペンの怪異」

 ある仕事で知り合った松岡由貴さんという女性は、少し変わった職業に就いていた。

 ガラスペン作家さんである。


 ガラスペンは日本で生まれた筆記具で、つけペンの一種。インク替えの容易さ、見た目の美しさ、カリカリという独特の音も相まって人気があるという。

 大学でガラス工芸を学んだ松岡さんは、アクセサリー作りを経て、ひょんなことからガラスペンの面白さに目覚め、専門の職人として活躍している。


 松岡さんの作るガラスペンは、書き味の良さはもちろん、高いデザイン性と細工に特色があって、SNSなどで評判を得ていた。


 こんなのです、と松岡さんが見せてくれた写真はどれも思わず口元がゆるんでしまうものばかりだ。定番のネコやイヌといった可愛い動物のほか、アップルパイ、ピンクのカレーや干からびた沢庵といった「なんでそれを選んだの?」と言いたくなるようなモチーフがうまく組み込まれたガラスペン。こんな可愛くてユーモラスな写真がタイムラインに流れてきたら、すぐ「いいね」を押してしまうだろうな、と思った。


「怖い話——って言っていいのかわからないけど、不思議な経験をしました」


 何か怖い話はありますか。私の問いかけに対して、松岡さんはそう語ってくれた。




 ガラスペンだけではまだ生活できなかった松岡さんが、カルチャーセンターのバーナーワーク講座で講師補助のアルバイトをしていた頃のことだ。


 上司にあたる講師から、オーダーメイドのガラスペンを作りたいという人がいるので、仕事をしてみないか、と声をかけられた。最初は知人を介して講師の方に打診があったのだが、話を聞いてみると松岡さんの方が適していると思ったという。

 その依頼とは、こういうものだった。


<オリジナルキャラクターのモチーフペンを作りたい>


 著作権に抵触しない完全オリジナルであること、前後左右の詳しいデザイン画像の用意があるということで、松岡さんはそのオファーを受けることにした。

 紹介された依頼者は、馬場礼司さんという男性だった。


「オリジナルモチーフは既存モチーフよりもクレームやトラブルのリスクが高くなるので、当時も受けないつもりでした。でもあの時はなぜか受けてしまったんですよね…。多分、キャラクターを見て気に入ったから、でしょうね」

 それは、ミミズクのキャラクターだったという。


 ミミズク、というワードに私はぴくりと反応した。つい最近、知り合いから老舗書店のミミズクキャラクターに関する怪談を聞いたばかりだったからだ。もちろん、ただの偶然である。

 さて松岡さんは依頼者の馬場さんと何度かメールで打ち合わせを重ね、デザインを決めていった。ペンのお尻にキャラクターをかたどった小さなガラス細工がつく、というデザインだったという。

 当時はまだ未熟だったこともあり、制作には苦労したらしい。


「特にうまくいかなかったのが目ですね」

「目、ですか」

「はい、そのキャラクターの目というのは、一番大事なところでした。何度も試行錯誤してるうちに……いえ、試行錯誤していたからでしょうか。ふと、そのキャラクターがこっちをジッと見ているような、そんな錯覚に襲われたんです」


 ガラスペンや細工はバーナーを使い、色ガラスの棒を溶かして制作する。ふと、高温に燃え上がる炎の中で、キャラクターと目が合うことに気がついたそうだ。


「冷ましている間もやっぱり目が合うんです。私が席を立ってどこか移動する時はじっーと目で追ってきます。そのキャラクターは、左右の黒目の視線が同じところを向いているんじゃなくて、それぞれちょっとだけところを見てるんです。だから目線の位置が違うと、すぐにわかるんです」


 松岡さんは淡々と話した。


「……怖くなかったんですか?」

「あんまり。まあ、ちゃんと目線が作ったところにないとデザインと違っちゃうことになるんで、困るなあと思いましたけどね。完全に冷めると元通りなので、良かったですが」


 苦労しながらガラスペンは完成した。

 完成品はとてもいい出来だった。ペン自体はもちろん、オリジナルキャラクターをかたどった小さなガラス細工もとても可愛らしい仕上がりで、完成品を見た依頼者の馬場さんも気に入ってくれた。

 大変な仕事ではあったが、報酬も貰えたし、ガラスペン職人としてのいい経験も積むことができた。松岡さんはおおいに満足したそうだ。



 話を聞きながら、松岡さんが最初に断った通り、確かに「怖い話」ではないな、と思った。作者が丹精を込めた作品がまるで生きているように感じられる、という話は古今東西よくある話だ。


 私は仕事として実話怪談を取材しているわけではなく、あくまで話の種だから、興味深い話ならそれでいい。私が聞きたいのは別のこと——口を開きかけた、その時だった。


 松岡さんは、言った。


「でも、そのあと馬場さんはいなくなってしまいました」





「いなくなった?」


 松岡さんはあくまで淡々として「はい」と頷いた。


「納品したあと、私はなぜかどうしてもそのオリジナルキャラクターのことが気になってたまらなくなりました。できれば、もう一本同じキャラクターのガラスペンを作って手元に置きたい思ったんです。でも、制作途中の写真は撮ってなかったし、預かっていた資料は完成品と一緒に全て馬場さんに返却していたので、もう一度資料を見せてもらえないかと彼にメールしました」


 メールは宛先不明のエラーとして返ってきた。

 電話番号は交換していない。納品は手渡し、代金の支払いは現金だったので住所も口座も知らない。

 松岡さんは、馬場さんを紹介してくれたアルバイト先の講師を頼った。馬場さんに連絡をとる方法はないでしょうか、と相談してみたのだ。講師も彼の個人情報を知らない可能性は覚悟していたものの、返ってきたのは予想外の答えだった。


<馬場さんって、誰?>


 松岡さんは驚いた。講師にクライアントを紹介してもらったのはほんの数ヶ月前のことだ。いくら忘れっぽい人でも「そんなことあったっけ」くらいのことは覚えているはずだ。

 松岡さんはなんとか説明して思い出してもらおうとした。先生が紹介してくれた人で、先生自身も知り合いの人から紹介してもらったという、オリジナルモチーフのガラスペンを作りたがっていた馬場礼司さんという男の人……。


 いくら説明しても講師は困惑するばかりだった。嘘をついている風ではない。忘れてしまったという感じもなく、本当に覚えがない様子だった。


<本当にわからないんだけど……その、馬場礼司さんってどんな人? 何歳くらい? 見た目はどんな感じ?>


 今度は松岡さんの方が答えられなかった。




「馬場さんについて思い出そうとすると、なんだか記憶を黒いマジックペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶされたような、そんな風になるんです。確かに顔を見て、話をしたのに…」


 単に連絡先を変えただけ、忘れただけ、気のせい。確かにそうかもしれない。そうではないのかもしれない…。

 私には何とも言えない。


 それよりも気になることがある。松岡さんが話す、そのオリジナルキャラクターの特徴に聞き覚えがあった。

 私は有隣堂のサイトを開き、ブッコローを画面に表示した。有隣堂のYouTubeチャンネルでMCを任されるミミズクのキャラクター。大きな丸い目は、左右別々の方向を向いているのが特徴。このR.Bブッコローのこととしか思えない。


 あなたの作ったキャラクターというのは、ひょっとしたこれではないですか。

 松岡さんはジッと画面を見つめていたが、やがて首を振った。


「似ているけど、違いますね。どこか違うのか、うまく説明できないけれど…」


 それ以上は追求できず、話はそこで終わった。





 ネットに怪談をアップするにあたり、当然ながら話に聞いたままの名前は使えない。

 私は2人の登場人物の名をイニシャルするか仮名にするか考えていた。私に話をしてくれたガラスペン作家の松岡由貴さんはY・Mさん。そして連絡の取れなくなった謎の依頼者は。

 私はメモに書かれた依頼者の名前を見て、イニシャルを思い浮かべ、はたと気づいた。

 馬場礼司。


 R・B。


 まさかね、と思った。

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創作怪談「私の聞いたミミズクの話」 鴨野 @kamonokamono

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