創作怪談「私の聞いたミミズクの話」
鴨野
第1話「老舗書店のエレベーター」
「怖い体験ですか、ありますよ」
私には悪い趣味がある。
新しい知人ができると、怖い体験や不思議な体験をしたことがないか、あるいは噂を聞いたことがないかと尋ねてしまうのだ。返ってくるのはどこかで聞いたことのある話がほとんどだが、怪談好きの好奇心は満たされるし、決まりきった世間話よりも相手との距離が縮まる。
ある飲み会で知り合ったAさんという女性にも、いつもの悪癖が出た。
Aさんは奇妙な質問に対して快く答えてくれた。
「本屋さんでアルバイトをしていた時の体験です。関内駅の近くにある、有隣堂ってお店はご存知ですか?」
もちろん知っている。横浜に住んでいて、有隣堂を知らないはずはない。
関内駅の近くというなら本店だろう。よく言えば歴史のある、悪く言えば——。
「まあ、ちょっと古いビルですよね。築六十年を超えているそうですよ」
そんなに古い建物だったのか。私が伊勢佐木町通りに面したビルの四角いシルエットを思い出していると、Aさんはアルバイト時代の思い出を語り始めた。
「本屋さんって想像以上に力仕事なんですよね。それが合わなくて辞めちゃう人もいますけど、どちらかというと私は接客の方が苦手でした。結構ヘンなお客さんが来るんです。五十円玉20枚を千円札に両替してくれっていう人とか」
その客の話が気になったが、Aさんの体験というのは別のことのようだった。
アルバイトに慣れた頃、複数の人気コミックの発売が重なった日があり、深夜に働いてくれないかと頼まれたのだ。
「通常のスケジュ—ルでは、入荷した新刊本は開店前に荷開けして 品出しします。でも新刊本が大量にあると、朝から作業してたんじゃとても間に合わないんです」
もちろん手当は出るし、発売日当日は店に出なくて良い。人気コミック発売日はいつも戦争のようだから、接客が苦手なAさんは喜んで応じた。
そこまで話したところで、Aさんはハッと気がついた顔をして私に尋ねた。
「ブッコローってご存知ですか? 有隣堂のYouTubeでMCをしているミミズクです」
浅学な私はYouTubeの番組を見たことがなかったが、キャラクターの姿はすぐ頭の中に描くことができた。オレンジ色をしたトリの姿、丸いギョロ目。かわいいというより、印象に残るといった方がぴったりだ。
「本店の入り口すぐのところに、ぬいぐるみが飾ってありますよね」
「ええ。私がアルバイトをしていた時からずっとあそこにいます。というか、あそこじゃないとダメなんです」
ダメとはどういうことだろう。
「どこへ移しても勝手に帰ってきてしまうんです。ほら、階段でよく聞くでしょう。捨てても捨てても戻ってくるお人形の話。あのブッコローがそうなんですよ」
深夜作業の当日。
配送業者から新刊本が納入されると、Aさんたちは社員の指示のもと作業に取り掛かった。台車に大量の段ボール箱を乗せて地下のコミックフロアまで運び、箱を開け、本にシュリンクをかけて、平台の上に積み上げていく。そんな忙しさの中、Aさんはあることに気がついた。
コミックフロアの片隅にブッコローぬいぐるみが移動させられていたのだ。いつも一階入り口脇という特等席を陣取っているはずなのに。
「どうしたんですか?」
と、Aさんは社員に尋ねた。
「ちょっとだけ、場所を開けてもらうことになったの」
人気コミックは書店の売り上げに大きく貢献する。流石のブッコローも、一等地を譲らざるを得なくなったのだ。答えを聞いて納得したAさんは、それ以上ブッコローに関心を払うこともなく再び作業に戻った。
作業が一段落したのは、深夜3時ごろ。
通勤手段のあるの者は帰宅したが、公共交通機関を使うAさんと2人の社員は始発まで店にとどまることになった。
社員2人は3階、Aさんは地下のコミック売り場で過ごすことにした。
最初はレジ奥のスペースでポップ書きをしていたAさんだが、流石に徹夜はこたえたのか、そのうち椅子に座ったままうとうとし始めた。
どのくらいそうしていたのだろう。夢うつつの状態で聞いたのは、バックヤードの業務用エレベーターが動いた音だった。
「エレベーター?」
「有隣堂伊勢佐木町本店名物の、バックヤードのエレベーターです。かなりの年代物なんですよ」
その業務用エレベーターはビルの建築時から設置されているので、60年以上前の製造とのことだった。業務用だから無骨で乗り心地はよろしくない。昇降にはかなり大きな音がするし、外扉も内扉も手動だ。特に蛇腹の内扉は硬くて大変な力を要し、これまた大きな音が鳴る。
「エレベーターを使って誰かが地下に来たのがわかりましたけど、私はなんとなく目を開けませんでした。半分狸寝入り、半分寝てる状態でしたね。眠かったし、なんとなく他のスタッフと話すのが億劫だったんです」
夢うつつの状態だったが、音ははっきり聞こえた。
エレベーターの内扉と外扉を開く金属的な音がして、誰かの足音が聞こえる。バックヤードから誰かが売り場に入ってくる。Aさんのいるレジから誰かは少し離れていたが、深夜の本屋はとてもとても静かだ。足音も気配もはっきりと聞こえた。床に擦れてキュッキュッと響く足音。革靴の立てる音みたいだ、と感じたという。
誰かはAさんに話しかけなかった。
床を足音はやがてレジの前を通り過ぎ、少しの間だけ止んで、また元来た道を去っていった。そして再びエレベーターが動く大きな音。
誰だったんだろう。
Aさんはふと思った。ビルの中にはAさんと2人の社員しかいないわけだから、社員のどちらかであることは間違いない。それほど親しいわけではないが、足音になんとなく違和感がある。他に人のいない深夜のフロアだから、音がいつもと違うふうに聞こえるのだろうか。
Aさんはそんなことを考えながら再び眠気に誘い込まれた。やがてAさん、と名前を呼ばれて目を覚ました。
「社員さんの一人が目の前に立っていて、あと十分くらいで始発だよ、と教えてくれました。それから不思議そうにこう言ったんです」
——どうしてブッコローを一階に戻したの?
「どういう意味なのか最初はわかりませんでした。聞くと、社員さんが一階に行ったら、いつもの場所にブッコローのぬいぐるみがいたんだそうです。陳列しているコミックスを別のところに除けて」
Aさんが地下フロアを見渡すと、確かにあったはずのブッコローのぬいぐるみがいなくなっていた。
「もちろん私じゃない、他の人ですよと言いました。うたた寝している間に誰かがバックヤードのエレベーターから降りて歩いてきた音を聞きましたって。そうしたら、その社員さんはすごく変な顔をして首をひねるんです」
エレベーターが動いた音は確かに3階でも聞こえたらしい。
——でも、その時私たちは2人とも一緒にいたんだよ。いったい誰がエレベーターを動かしたの?
結局この時はうやむやに終わってしまった。
社員たちはブッコローを戻したのはAさんだと思い、Aさんはそれを反証する材料がなかった。もちろん彼女にはブッコローぬいぐるみを1階に戻した記憶も、そうする理由もない。しかしうたた寝で聞いた音の記憶に、確信を持つことができなかったのだ。
ただ、ブッコローのぬいぐるみはそのまま1階に置かれ、最新コミックスの売れ行きを見守ることになった。
「私が体験したのはこれだけですが、その後も同じようなことが何回も起きたんです。ブッコローぬいぐるみを別の場所に移動させると、次の日必ず入口脇に戻ってくる。私がアルバイトを辞める頃にはスタッフ全員の共通認識になっていました。多分今でもそうなんじゃないですかね? だからずっとブッコローはあそこにいるんですよ」
そう言ってAさんは笑った。
その声には恐怖というよりもブッコローに対する親しみ、ひいてはかつて過ごした職場に対する愛情のようなものが伺えて、私もなんだか温かな気持ちで聴き終えたのだった。
しかし。
少し時間が経って、この話を思い返し、奇妙に思うことがある。
YouTubeやSNSで見るブッコローは(ミミズクなので当然だが)人間のような長い足はないし、もちろん靴も履いていない。
それでは、Aさんが聞いたあの足音はなんだったのだろう。
また、バックヤードの業務用エレベーターは力の要る手動だという。
ブッコローのぬいぐるみには手がない。柔らかくて薄い翼があるだけだ。
そこに思い至り、私は頭の中に深夜の書店を思い描いた。
しんと静まり返った中に、大きな音を立てて古い業務用エレベーターが停まる。蛇腹の扉がゆっくりと開かれて、出てきたのはあのユーモラスなブッコローのぬいぐるみ——を腕に抱いた誰かだ。
革靴を履いた、社員ではない誰か。それが深夜の書店を歩いている。
Aさんにはもちろん伝えていない。
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