第39話 神たる技の証明(6)

「――女神の怒りから逃れるために、最後に取った形が麦だった。それで食べられたのだから愚の骨頂。馬鹿者だ――


 まず初めに、それが大きな誤解なのです。


 この世に、どんな悪魔や魔物からでも、唯一逃れられる場所があるとしたら、それは何処だと思いますか?


   追って来る者の腹の中です。


 体内に逃げ込んでしまえば、入られた者は、自分の腹を引き裂くことでしか、侵入者を取り除く術がありません。そんなことをすれば自分も死んでしまうので、結局は手も足も出すことが出来ない。


 グウィオンが麦になったのは、麦畑に隠れて難を逃れようと思ったのではなく、むしろ見つかり、食われて、女神の体内に逃げ込むためだったのです。


 麦になったグウィオンは手足のない肉と魂のかたまりでした。女神の体内をどう落ちたのか、やがては女神のはらに落ちました。そしてケリドウェンは身ごもった。だから九ヶ月もの間、城へは帰れなかった。


 憎きグウィオンの子を身ごもったと思ったケリドウェンは、城を空けて身を隠す間、腹の子と共に命を絶つことも考えた。そんな心の状態で、誰に便りを出すことも出来ない。今日死のうか、明日死のうか、迷って迷って迷った挙句、ケリドウェンは子産みの時を迎えた。


 恐らく、生まれたら必ずその手で殺そうと思っていたのでしょうね。魔薬を奪っただけでなく、自分の体に入り込み寄生し、むくむくと勝手に大きくなっていく肉の塊を、憎く思わないわけがないでしょうから。


 それなのに、生まれたその子を見たら殺せなかった。その子は小さくて、弱くて、儚くて、とてもその子の肉を引き裂き、血を見ることは出来なかった。だから、目が開く前に革袋に入れて海に流した。もし次に生きているところを見かけたら、その時こそ命を絶ってやろうと誓って――。

 

 その証拠に、革袋には魔法がかけられていました。その革袋の中では、一日で一年の時が過ぎるのです。次に会うことがあれば、その時には、なるべく大きく育った姿で、良心の呵責を感じることなく殺すためです。


 魔法の革袋の中で、人の子は僅か十五日の間に、十五歳の少女になりました。魔法が果てて革袋は霧散し、裸の少女が海を漂うこととなったのです」


「……もしや、それが……」



「はい――。


   わたしはケリドウェンの娘。


   名前はいただいておりません」



 水を打ったように静かだった。


 娘は自らの素性を明かすと、今度は魔薬について語った。


「わたしがケリドウェンの魔薬で授かった叡智は三つ。


 一つ、智恵――女神の体を使って転生しようと考えるなど、叡智の魔法を受ける前のわたしには、微塵も思いつかなかったことです。

 二つ、学問――神々なら内陸で猛威を振るう感染症が、青霊湖の周辺にだけ少ないのをご存じのことでしょう。何故かを民に問えばこう答えるはずです。『青霊湖の湖畔に現れた天使に治療法を教わった』と。

 三つ、霊感――城の事情やアヴァグドゥの罪を証明するのに必要な情報は、降霊呪文により亡くなった姉クレイルィ本人から話を聞いたのです」


「クレイルィに!?」

「クレイルィと話せるのか!?」


「ええ。そうでなくては、ここで神界審判が行われることも、モルダが牢に囚われてていることも、自室に置かれたままのワインボトルも、青霊湖に沈められた短剣のことも知りようがありません。姉様は名もなきわたしに sister から取って『シス』と仮名をつけてくださいました。なんなら今からでも姉様をここへ呼びしましょうか? 今はアヴァグドゥのことで心を痛めていらっしゃることでしょうけれど、呼べば姉様のことですから、きっと来てくださいます」


「いや、それはいい……」

「そっとしておいてやってくれ」

「其方が死後にクレイルィと面識があるのは、その話からわかった」

 

 娘は心底ほっとしたように息をつく。


「理解のある皆様でよかった。悲しみに暮れる姉様を引きずり出すような真似は、できれば控えたかったので」


 ケリドウェンの娘はダグダ神に直って平伏し、胸の前で十字を切って最後の言葉を紡ぐ。


「謹んで申し上げます――最高神ダグダ様、前世グウィオンから引き継いだ、この体に宿る叡智の魔法『智恵』『学問』『霊感』――これを以て、大釜の女神ケリドウェンの『神たる技』をここに証明いたします」




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