第25話 神界審判

 神界審判はダグダ城の地下会議室で、予定通り午前十時に始まった。普段の月例会議では中央の円卓に光が落ち、周りは暗闇である。しかしこの日に限っては円卓も闇の中。集う神々の面々を十一の燭台が橙色に染め上げている。


 祭壇に十字架――この国の十字架は、十字部分に円環が交差するケルティック・クロス。それを背負うようにして身分相応の大椅子に鎮座する神がいる。神々を束ねるこの国の最高神ダグダ。強烈な白光を浴び、生じた陰影によって、その正確な顔貌がんぼうは見ることができない。右肩からくるぶしまでを白布で覆い、露になった逞しい両腕からは老若を判じ難く、御足の裏は厳しい巡礼を経て硬化している。


 ダグダ神の膝元には、左手にケリドウェンが、深紅のドレスにうれいのまつげを翡翠の瞳に伏せて――右手にアヴァグドゥが、深紫こきむらさきの礼装に濁ったまなこをギラつかせて跪き、控えている。黒い礼服の祭司が前に進み出て、この場に集いし全ての者に告げた。


「これより神界審判を始める!」 


 儀礼に則り事が運ぶ。


「当該審判は、新たな大釜の継承に際し、ケリドウェンの神たる資質『心・技・体』について問い、答えを導くために設けられたものである」


 形式的な文言が読み上げられた後、静寂を合図に係る者が、両者同時に立ち上がる。


「それでは、審判を求める者から証言を」


 アヴァグドゥが立ち上がり、ずしりと重たい一歩を歩む。胸の前で十字を切り、祈りを捧げてから口を開く。


「謹んで申し上げます――――今から丁度一年前、母ケリドウェンは叡智の魔薬を作っておりました。それを飲めば「智恵」「学問」「霊感」の三つを授かるという薬でございます。しかし、召使いのグウィオンという者がこの魔法を奪いました。職務上の過失でありました。しかし母はこれを許せず、怒りに狂い、執拗にこの者を追求しました。

 神たる者、心は寛容であるべき。誰にでも失敗はある。それを許す心がない者に、神たる資格があるでしょうか。

 その後を知る者によれば、グウィオンは母から逃れるため色々に姿を変えて逃げ惑ったとのこと。そして最後に一粒の麦になり麦畑に身を隠した。それを母は雌鶏となって食ったのです」


 十一の神々が左右の同朋と声を潜めて意見を交わす。そしてアヴァグドゥが口を開くと、再び静寂を取り戻した。


「お分かりの通り、これは人食いにございます。人食いの罪を犯せば、その身は血に染まり拭うことのできぬ穢れを受ける。そして、この神界で最も卑下されるべき存在、すなわち神堕ちになることを免れません。神堕ちは神として存在するに値せず、従って、大釜を継承する権利もございません」


 アヴァグドゥが発言を終わり一歩引く。


「審判を受ける者から証言を」


 指名を受けてケリドウェンが立ち上がり、つま先で一歩前に出る。胸の前で十字を切り、祈りを捧げてから口を開く。


「謹んで申し上げます――――今お聞きの通り、わたくしは召使いの人の子を許すことが出来ず、怒りに任せて追い詰めました。神として恥ずべき愚かな行為であったと反省します。麦となった人の子をこの身に取り込んだのも事実。しかし、血で穢れたのではございません。人食いの罪は犯しておりません」


 どよめきが起こる。


「意見があるものは」

 

 祭司が挙手を見て首肯することで発言を認める。これ以降の発言は同様の合図を以て行われた。


 祭司の首肯に応じて、十一の燭台のうち右側の一つが浮き上がり、長い髭と痩せこけた頬の老神おいがみがしわ枯れ声で尋ねる。


「当時は麦の姿とはいえ、正体は人の子と知りながらそれを食った罪は、人食いの罪と同じなのではないのですかな?」


「わたくしは麦を一粒飲んだだけ。人の死肉に顔面を突っ込み歯を立てむしゃぶり、全身を血で赤く染めたのではございません。ですから、人食いによる血の穢れを受けたのではないのです」


「たとえ麦だとしても、飲み下したことで魂が消滅したのであれば、それはやはり人食いと同じではありませんか」


 老神の口調は厳しい。


 ケリドウェンの頬に汗が浮かぶ。神堕ちは神界追放。この世界で生きて行く術を失うことになる。大釜が大破し娘を失い息子に裏切られた今、神堕ちの烙印まで押されてしまったら、新しい大釜どころか最愛の夫も失ってしまうだろう。そうなれば、縋るものが一つもなくなる。生きている意味などなくなってしまう。


 それを避けるための方法が、たった一つだけ残されていた。しかしそれをここで――十一の神々の前で、ダグダ神の前で明かすことは、この上ない屈辱。


 ケリドウェンは迷い、口を閉ざした。


 アヴァグドゥが追い打ちをかける。


「母は大釜の事故の後、九ヶ月もの間、何の便りも寄越さずに城を空け、その間母の責務は今は亡き姉クレイルィが急遽代行することとなりました。これは神事と城を投げ出したも同然。しかも、母が召使いを食ったことで、姉はとばっちりを受けて殺された。母は神であるどころか悪魔のように災いをもたらす者へとなり下がったのです――!」


 アヴァグドゥの言及に、円卓で深く頷くものがいる。同時にクレイルィの死を嘆く声が囁かれ、ケリドウェンの心は深くえぐられた。


 女神は胸を押さえて涙をこぼした。一粒こぼれた涙はポロポロと、止まることを忘れて頬を濡らし、やがて暗闇に哀れな女神の咽び泣く声が響いた。


 十一の神々の反応はそれぞれであった。娘を失い息子に裏切られた母として哀れむ者、人食いの罪を犯し我が子に災いを招いたと卑下する者。しかし神々が揃って思うことは同じ。


 大釜の女神ケリドウェンは、神堕ちである――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る