第4話 太古の寄生虫

 1984年。北欧のとある寒村にて発生した事象。村の小学校の児童たちが、口々に体調の不良を訴えた。頭の内側が燃え上がるかのような激烈な高熱、身体の各部が不自然な無意識挙動を繰り返す、視界に黒い靄のようなものが現れる、等々。学校医や村の診療所の医者がすぐさま駆け付け治療にあたったが、原因が皆目分からない。というのも、生徒たちの身体は健康そのもので医学的見地において異状は全く見られなかったのだ。例えば高熱を主張する生徒は、実際に検温して見ると全くの平熱であった。神経痛のような身体の無意識挙動を訴える生徒に関しては、医師がどんなに入念に診察しても一般的な筋肉の収縮や蠕動以外の挙動は確認できなかった。それ以外の生徒も同様であった。皆口々に体の不調を訴えはするが、どこをどう診ても、全く健康な児童そのものだったのだ。そうこうしていると、騒ぎを聞きつけた生徒の親達が学校へとやって来た。彼等が学校医たちと子供の状況について話していると、父兄の一人があることに気付いた。生徒達が訴える症状は全て、その年の初めに公開されたSFパニック映画に出てくる描写そのものだったのだ。太古の地層から蘇った寄生生物が人間に感染してパニックを引き起こすという、よくある感じのB級映画であった。そのSF映画は、村の映画館でも上映されており、娯楽が少ないこともあって、村の子供達で見たことが無い者はいなかった。診療所の医師はこの話を聞き、子供達の症状がその映画を見たことに起因する一種の集団ヒステリーであると結論付けた。事実、子供達の身体には医学的には何の異状も見られないことから、それ以外の可能性は考えられなかった。そして生徒達の親に安心するよう伝えると、今日は子供を連れて帰り、件の映画のことは忘れるよう新しい本なり娯楽なりを与えるよう言った。親たちは医師の言葉にホッと胸を撫で下ろし、未だ口々に身体の異状を訴える子供達に対して「ただの気のせいだ」と宥め聞かせると、半ば引きずるようにしてそれぞれ帰路についた。

 本当の災厄は、その後に発生した。子供達が体調の不良を訴えた翌日から、今度は大人達が同様の体の不調を訴えだした。最初は、不調を訴えた子供達の親から。そして次第に子供のいない家庭や一人暮らしの者、原因と考えられていたSF映画など見る金も無いようなホームレスに至るまで、まるで感染症のアウトブレイクの如く急速に広がっていった。やがて、医療従事者はおろか村人達の心の拠り所であった教会の神父まで当該奇病に罹患するに及び、最早一地区の問題にとどめてはおけないと判断した診療所の医師は、県の保健衛生担当への通報を行った。事態を重く見た県知事は国の保健衛生省にも連絡し、感染対策の防護服を着込んだ対策チームが現地入りする運びとなった。対策チームの面々はまず、奇病のこれ以上の感染拡大を防ぐため、村に至る全ての道を封鎖して人や物の立ち入りと転出を禁じた。だが不気味なことに、村から出て来ようとする者は一人もいなかった。村の方からは物音ひとつ聞こえない。対策チームの一人が丘の上から遠目に村を見やったが、人影はおろか何かが動く姿すらも確認できなかった。そして、奇病が発生した村に立ち入った対策チームが見たのは、文字通りの地獄絵図であった。人々は、村の至る所に倒れ伏しており、その殆どが虫の息であった。倒れたままピクリとも動かない村人達の全身からは、およそ考えうる限りのありとあらゆる体液が垂れ流され、至る所に汚泥の如き水溜りが出来ていた。周囲には悪臭などという言葉ではとても言い尽くせない、吐瀉物と便とアンモニアが混じり合ったような、凄まじい臭いが立ち込めていた。対策チームがトリアージを行おうとしたが、如何せん、対処すべき患者の数があまりにも多すぎた。さらに最悪なことに、かろうじて動き回ることが出来た少数の村人たちは皆、一様に正常な思考を喪失した状態にあり、まるで生ける屍の如く徘徊し、目につくもの全てに手あたり次第に襲い掛かった。彼等に追い回され、ほうほうの体で村の郊外まで逃げ出した対策チームの面々は、村の外れに建てられた教会の十字架に磔になっている人物を見つけた。それは、彼等にこの村の危機を通報した、あの診療所の医師であった。恐らくは村人たちに、今回の感染症に関する「誤診」の件で吊るし上げを食らい、文字通りその罪を背負わされたのであろう。医師の男の身体は打撲痕や裂傷でズタズタにされており、彼が村人から受けたリンチの凄まじさを如実に物語っていた。事ここに至って、対策チームのリーダーは、この事象が感染対策という範疇を超えるものと判断し、封鎖区域外への退避を決定した。だが彼等が村を出ようとしたまさにその時、異変は起こった。真昼にもかかわらず、周囲が闇に包まれたのである。感染症の拡大防止に執心するあまり、対策チームの誰もが忘れていたことであったが、その日は数十年に一度の皆既日食だったのだ。太陽を覆い隠す月の影が地上に非日常の常闇をもたらしていた。その時、チームに参加していた医師の一人が、村中の異状に気が付いた。村人たちは、倒れていた者も、徘徊していた者も、暴れていた者も、正気を失っていた者も、皆一様に背筋を伸ばして立ち上がり、黒く染められた太陽を見上げていた。彼等はただ一心に、微動だにせず日食を凝視していた。まるで、人の形をしたマネキンが空から吊り下げられているかのような薄気味悪さを感じさせる光景であった。やがて、月の影の向こうから陽光が漏れ出し、世紀の天体ショーが終わりを告げると同時に、村人たちは皆、電池が切れたかのようにどっと倒れ伏した。対策チームは訳も分からずその光景を眺めていることしか出来なかった。

 後日、再編成され人員を数倍に増やした政府の感染対策チームが現地入りした時には、既にこの怪異な出来事は終わりを告げていた。奇病に侵されていた(様に見えた)村人達は、皆元の健康体に戻っていた。彼等は何が何だか分からないといった様子で、荒れ果てた自分達の村の光景をただ呆然と見つめていた。危険を覚悟でやって来た感染対策チームがその光景に困惑していると、村人達は彼等に対し「一体全体何があったのか」と逆に尋ねる始末であった。対策チームの医師達は取り敢えず村人全員を診療所に集め、一人一人入念に検査を行ったが、感染症の罹患者はおろか僅かな肉体的異状すら検知できなかった。ただ一つの異状。原因不明の奇病に感染していた数日間の記憶が丸ごと抜け落ちている、という点を除いては。結局対策チームは、当該奇病の原因を、最初の診療所の医師が推察したとおり、一種の集団ヒステリーが原因と結論付けざるを得なかった。それ以外に考えようが無かったのだ。何故なら、この奇妙な感染症の収束もまた、先に挙げたSF映画の結末と全く同じ(日食による地磁気の異常で寄生生物が死滅するという科学的には全く荒唐無稽なもの。事件の終結に伴い、感染者は感染中の記憶を失うという点も全く同じであった)であったからである。何故映画を見ていない筈の人々にも集団ヒステリーが広がったのかといった不可解な点は多々あったが、それ以外に合理的な説明は見つからなかった。

 だが、この事件において最も不可解なのは、危機が去った後の村で発見された、原因不明の奇病の唯一の物証であった。感染対策チームは事件の終息後も、念には念を入れて、村人がそこかしこに撒き散らした汚物や吐瀉物を徹底的に消毒し、その一部をサンプルとして厳重に保管の上、持ち帰っていた。問題の「物証」は、このサンプルの中から発見された。それは、全長1㎜にも満たない線虫であった。最初は分析にあたった保健衛生省の職員も、土中などの外部から紛れ込んだものと考えていたが、驚くべきことにその線虫は、殺菌作用のある消毒液の中を悠々と泳ぎまわっていたのだ。調査チームがさらに詳しくその線虫を調べたところ、その虫は消毒液のみならず、あらゆる種類の毒性物質や放射線の類にも一切活動を阻害されないことが判明した。そして哺乳類、特に人間の脳細胞に対し強い嗜好性を示し、俄かには信じがたいことではあるが、細胞組織そのものを捕食同化するという恐るべき特性を示した。事態の重大性を重く見た政府により、当該線虫の研究は最重要機密事項とされ、事件の発生した村の住人達は、生涯において国家的監視対象とする旨が決定された。乱暴にして性急過ぎる政府の決定であったが、調査にあたった科学者達は誰も何も言わなかった。政府の決定より何より恐ろしい事実に、彼等は気付いていた。気付いていたが、あまりにも荒唐無稽すぎて誰も何も言えなかったのだ。汚物の中から見つかった線虫もまた、先に挙げたSF映画に登場した「未知の寄生虫」そのものの姿であったからである。大きさ、外形、特性、細かな体節の動き。全てが、作り物に過ぎない映画の中に出てくる虫と全く同じだったからである。調査にあたった科学者の一人は後にこう述懐している。「人間的な、極めて平凡な物事の考え方――所謂「普通に考える」ということが、これ程呪わしく感じたことは無い。普通に考えて、あの不気味な線虫どもは、絵空事の映画の産物が村人の頭の中から現実に現れたとしか考えられない。だが、そんなことを認めたらどうなる? 人間が想像しうるあらゆるものが人間の脅威になりうるとしたら――これほど恐ろしい地獄はない。」

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