第87話 音色


新しく買い替えた携帯。メール画面とホーム画面をなんどもいったりきたりし、無駄に電池を消耗させる。


(......メールを送っても、返事がこない)


病院を退院し、それから僕は言いようのない不安な日々を過ごした。連絡のつかない深宙、居心地の悪くなった学校。誰かを守るために行ったことであれ、暴力を振るい面倒事を招いた僕を先生達は忌避し遠ざけるようになった。


(......今日も車がいっぱいだ)


屋上から眺める職員用駐車場には車が敷き詰め、今日も保護者説明会が行われている事を示していた。その内容は勿論、アッキーらの起こしたあの事件についてだ。


(学校、大変な事になってるな。アッキーはこれの比じゃないくらい大変な事になってるらしいけど)


強盗、恐喝、暴行、他にも口にも出せないような事を裏でやっていたようで......当然、アッキーは捕まったのだが、余罪がまだあるらしく、取り調べが長引いているみたいだと、そう浅葱先輩に聞いた。噂によれば闇バイト的なやつらしいけど、僕が見た感じアッキーらは楽しんでやっていたように感じたから特に可哀想だとかは思わない。


「まあ、普段から裏ではあんな感じだったからな。あいつ」


屋上、手すりによりかかる青葉先輩がぼやく。あの日、気絶した僕を助けに来てくれた二人の先輩のうち一人がこの青葉先輩で、射的屋をしていた先輩だった。


「そうですか」


「誰もあいつを止められなかったんだ。ほら、表面だけは良かっただろ?でもまあ、お前が止めてくれた......本当にすごいよ、春」


浅葱先輩にも同じことを言われた。けれど何も感じない。なぜなら僕の守りたかったものはもうここに居ないのだから。これじゃなんの為に戦ったのかもわからない。


そう思った瞬間、僕は気がつく。


(......深宙が無事なのに、そんな事を思うのか僕は)


「春。改めて礼を言うよ。あの時やつらと戦ってくれてありがとう。あそこでお前がやつらを引き止めてくれていなかったら、うちの姉貴も......」


「いえ。それは、偶然ですよ......だからそれは必要ありません」


「......いや、必要だよ。今度は俺がお前を助けるから。困ったら呼べよ。俺に出来ることなら何でもするぜ」


青葉先輩は実は大企業の息子さんらしい。本来ならこの学校に通っているような人では無く、だからこそあの日先輩のライブを観に来ていたお姉さんが狙われたのかもしれない。


(......いや、それは深宙も同じか)


彼女も同じく大企業の娘だった。深宙は詳しくは言おうとしなかったけど、僕は知っていたんだ。だから、ちゃんと守らなきゃいけなかったのに......居場所を失わせてしまった。


(僕がもっと......自分のことばかりじゃなく、深宙の事を考えていれば......)


強く握りしめる手すり。サビかけのそれが僅かに崩れパラパラと風に飛ぶ。


「.......そういや、春。お前、転校するんだってな」


「はい」


近くの学校ではあるが、僕は転校する事になっている。家族が心配して転校することを勧めてきたからだ。


生徒からは奇異の目で見られ、先生からは嫌われ遠ざけられている。浅葱先輩と青葉先輩くらいしかもう味方はいなかった。


それに家族は口に出さないけど、深宙を父親が転校させたのと同じ理由もあるんだろう。


「春、歌はやめるなよ」


青葉先輩は僕にそう言った。でも、僕にはもう歌う理由が無い。




――それから、時は流れた。



新しい学校では、もう家族に迷惑をかけたくない思いから、大人しく目立たないように過ごすようになった。誰とも関わらず人間関係は最低限に。


そのまま高校生へと僕の世界が移り変わり、同様にひっそりと息を殺すような学校生活を続けた。


ゆっくりと進む流れの中、おそらくはもう二度と会えない彼女の笑顔を思い浮かべ、彼女と聞いた曲をイヤホンで聞く。


彼女を隣りに感じながら歩く通学路に見る幸せの幻は、時折発作のように胸を締め付けた。


まるで病のように家に帰れば発声を行い、様々な曲をトレースする。気がつけばギターに触れている自分もいた。彼女を追うように、壊れた右手で掻き鳴らす弦。


歪に鳴る音は深宙を思い浮かべる僕の心のようだった。


「......からっぽだな、僕は」


暗い空。星も月も無い、天に部屋の窓から手を伸ばした。


じわりと滲む染みのように黒い色が心に広がる。


もう会えない......。


一度だけ深宙に会いに行った屋敷では彼女の父親に追い返された。彼女には会えず、いつも出迎えてくれた家政婦さんは暗い顔をして僕から目をそらし、頭を下げていた。


あの日に理解していたはずなのに。


心のどこかで期待していた。


深宙が僕の前に現れるんじゃかいかって。


(.......もう、諦めろよ、僕)


あけた部屋の窓。ふと、柔らかい月明かりが顔を照らした。


彼女がどこかで元気なら、それでいいだろ。会いたいなんて僕のエゴでしかない。あの父親も僕には感謝はしていると言っていた。きっとあの日のトラウマを蘇らせないために僕を遠ざけたんだろ。


なら、もう期待なんてするべきじゃないし、それは叶わない。



――ふと見上げる深宙。気がつけば曇り空は晴れ、星々が輝いていた。



(......ああ、気持ち悪い)


異様だよ。本当に......この執着心は、気持ち悪過ぎる。


「でも、深宙のこと......忘れるなんて無理だ」



僕は暗い部屋を出た。



もう、どこか遠くに行きたいな。


ふらふらと彷徨うように。


あの頃の思い出を辿るよう、彼女と歩いた道をいく。


目をつぶれば鮮明に思い出される笑顔と、音。


(.......この気持ちのまま、終わりたい)


今なら、僕は幸せのまま......


上を見上げれば深宙が輝く。








――♪




その時、どこからか懐かしいギターの音が聴こえた気がした。







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