第78話 不快な


「やほー」


 体育館の扉前、手をひらひらさせ深宙ちゃんが僕を呼ぶ。リハ中は立ち入り禁止で、僕と彼女は扉前で音を聴きはじめた。


「音出し、すごい迫力だね」


「ね。音おっきいねえ、アンプ使うと」


 正直いうと僕はこの時点で心を動かされていた。まるで心臓に直接楽器を繋がれたかのような衝撃。痺れる頭と、全身をつつむ高揚感。


「......」


 扉越しでも伝わってくる迫力と臨場感。画面越しの世界とは違い、リアルな振動が肌を震わせる。


(そうか......音は振動。体で感じるものなんだ)


 ......今なら深宙ちゃんの気持ちがわかる。全然違う。これが本物の『音』なんだ。


「春くん?」


「え?」


「どしたの?ぼーっとして」


「あ、いや」


 心配そうに下から顔を覗き込んでくる深宙ちゃん。距離の近さにどきどきと心音が高鳴る。しかし、僕は気がついていた。この鼓動はそれだけじゃない......。


「ちょっとトイレ」


「?、うん、わかった......」



 トイレへと向かう道中。見知った顔とすれ違った。


(あ......)


 アッキー先輩。あれからも執拗に深宙に接触しようと試みていた彼。けれど事前に帰り道を変えたり、時間をずらしたりしてなんとか避けることが出来ていた。


(まずい、このままだと深宙がアッキー先輩と出くわす!)


 振り返り、先に戻ろうとしたその時。ドン、という衝撃とともに跳ね飛ばされた。


「!?」


 尻餅をつき、見上げたそこにはアッキー先輩が僕を見下ろし立っていた。


「おまえ、あれだよな?深宙ちゃんの――」


 バレた......いつも僕を居ないような扱いをするから、顔なんか覚えられていないと思っていた。


「――金魚の糞」


 ......き、金魚の......糞?


「あのよー、前から言おうと思ってたんだけどな......お前、ちゃんと空気を読もうぜ?」


「......え」


 はあ、と彼はため息をつくと、冷たい眼差しで微笑んだ。


「わかんねえって顔だな。なら、はっきり言ってやるよ。おまえみたいなクソだせえ奴が深宙の後をくっついて歩いてたら、彼女に迷惑だろってこと。わかるか?頭の悪い後輩ちゃん?」


 ぽんぽんと頭に手を乗せ、睨みつける。


「いやな?俺、おめーのせいで欲求不満なんだわ。おまえがいるから二人きりになれねーし。まともに口説けねーじゃん。ホントならもう俺の女にして調教してるはずなのに。あーあ、早くあの体で遊びてえ......なっ、と」


「――いっ!?」


 ぐいっ、と僕の髪を掴み引っ張り上げた。そして、ぺしぺしと頬を叩きながら彼は言う。


「まあけどさ、バカとハサミは使いようっていうだろ?つーわけで、これからお前を俺の奴隷くんに任命する。一生懸命俺と深宙の仲を取り持てよ。失敗したら......こうだ」


 ドスッ!


「がっ、は」


 みぞおちに走る鈍い痛み。僕は思わず廊下に転がり腹を押さえた。


「これ、百発の刑。別名、サンドバッグの刑だな。嫌ならしっかりやれよ?上手くできたらお前にもおこぼれやるからよ」


「......お、おこぼれ......?」


「俺らでヤりまくった後でお前にも回してやるよって事。美味しい飴ちゃんやるよ」



 ......は?



 虫唾が走るとはこの事だろう。奴の発言に吐き気がする。誰をどうするって?


「ん?なんだその目......ああ、嘘じゃねえよ。ちゃんと裸の写真撮って言いなりにさせるから。お前にもヤらせてやるって安心しろよ。そのかわりしっかり頑張れや......痛いの嫌だろ?気持ちいい思いしたいよな?あいつの体好きにさせてやるぜ?ひゃは」


 どうにかしなきゃ、という思いとは裏腹に。動かない体と脳裏で繰り返される生徒会長の言葉。今、なのに......深宙を守らなければならない、それなのに。


 体が震えて動けない。


 あの痛みが、恐ろしい。


「つーかさ、あの顔にあの乳だろ?あいつ使ってフツーに金とれるんじゃね?やべーな。そこらの芸能人より可愛いからなあ深宙は。ああ、ライブ前なのに勃ってきちまったぜ。ははっ」


 舌なめずりをしながらヘラヘラと笑う。


「んじゃま、そゆことでな。お前の第一の任務は深宙にライブで俺のカッコいい姿を見せること、だ......やれるな?」


 ジッと僕を睨む。


(......こ、怖い.......)


「――あ、こんなとこに居た。アッキーなにしてんだよ。リハ終わっちゃったじゃねえか」


「!」「......!」


 バンドメンバーが呼びに来たらしく、「ああ、わりい。まあ俺天才だからリハしねーでも上手いから大丈夫だろ」と奴は腰をあげた。


「そーいう問題じゃ......って、ん?この子だれ?アッキー」


「ああ、可愛い後輩だよ」


 ニタリと歪んだ笑みを見せる。おそらくは「わかってるな?」というような意味合いを含んでいるのだろう。


「後輩か。なるほど。......君、バンドが好きかな?もうすぐ始まるライブに俺らもでるんだけどよければみていってくれ。こいつ、アッキーはこんなんだが、ボーカルスクールにも通ってて歌めちゃくちゃ上手いからさ!」


「おい、こんなんてなんだよ!」


 ボーカルスクール......。


「あ、ごめんな。そろそろ行かないと......ほら、アッキー行くぞ」


「あいあーい。またな――」




 奴は口パクで「――奴隷くん」と言い、その場を去っていった。



 ......僕は、なんて......臆病で、弱いんだ。



 深宙、ごめん。





 ――ピンポンパンポーンッ



『――これから体育館で軽音楽ライブが行われます。ご来校の皆様、もしよろしければ是非ともご鑑賞ください』



 ライブが始まる。






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