第76話 助けること
「どういう意味ですか」
秋乃、深宙ちゃんを失う。浅葱さんはそう確かに言った。
「想像力を働かせるんです。いま僕が偶然かけつけず、誰も助けにきていなかったら......そうなれば、このあとどうなっていたかを」
このあと......深宙ちゃんは、多分、アッキーに連れて行かれた?いや、そんなことはない。そんな拉致みたいなこと有り得ないだろ。しかし僕の考えを見抜いたように彼はこう言った。
「流石にそこまでは、と思うかもしれませんが起こってからでは取り返しがつかないんです。そこをちゃんと覚えておいてください」
そんなわけ......いや。アッキー先輩のあの目を思い出せ。それがないわけ無いと断言できたか?
仮に深宙ちゃんが連れてかれて、もしもひどい目に合わされ、それを後で知ったとき、僕は......。
(......自分を殺したくなる)
「すみません。理解しました......浅葱先輩」
「大切な人ならしっかりと守りましょう」
そう言い残し彼は去っていった。メガネの奥の優しい瞳。
(今、気づけて良かった)
「春くん、ごめんね」
彼女が言う。
「なんで深宙ちゃんが謝るの?」
「......春くんが悪いわけじゃないでしょ。なのに」
「いや、僕が悪いよ。浅葱先輩の言う通りだ。想像力が足りてない......あのまま、もし深宙ちゃんが何かされていたら、後悔どころの話じゃなかった」
「.......」
何が大切か、自分なのか深宙ちゃんなのか。大事なのは、勿論......。
「僕は大切なものを傷つけられたくない」
そうだ。彼女の辛く苦しそうな顔も......見たくない。深宙ちゃんが悲しむのと僕が傷つくのを天秤にかけるのなら、僕が傷つけられるほうが良い。
「深宙ちゃん......ん?」
さっきの見て見ぬふりのような態度を謝ろうと、彼女のほうへ視線を移す。すると深宙ちゃんは一瞬僕と目があったがすぐにそらされた。
(......そりゃそうだ。今更、遅いさ)
けど、でも。
「ごめん、さっきは......何も言えずに助けられなくて。でもこれからは、必ず......深宙ちゃんを守るから、だから」
頬をおさえ急にしゃがみ込む彼女。よほどムカついてるのだろうか。しゃがむ直前までの彼女の表情は笑顔が消え、眼差しは鋭くどこかへ向いていた。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「......いちどだけ、一度だけでいい。許してほしい」
僕がそういった十数秒後、彼女が深くため息をついた。怒りを口から吐き出しているのか、そこからまた更に十数秒かかり、やっと立ち上がる。
(やっぱり、怒ってたか)
頬が微かに赤らみ、眉間にシワを寄せている。僕を睨むように、言いにくそうに彼女は言葉を紡ぐ。
「......べ、別に......一度だけとか、そんな」
「......」
僕は、こういう時は誠意が大事だと思い、真剣に彼女の瞳を見つめた。真っ直ぐに。けれど、彼女の方は視線を合わせたくないのかあちこちへ目が泳いでいた。
「は、ぅ......う」
「あの、深宙ちゃん」
「は、はいっ」
動揺が激しい。彼女の心の傷はそれほどまでに深いというのか。てか、そりゃそうだ。思い出せ、彼女がアッキー先輩に絡まれていた時のその辛そうな表情を。
トラウマは一生残る心の傷だという......なら、僕はそれを一生をかけて償い寄り添う必要があるんじゃないか。
(.......僕は、一生彼女の隣にいる。彼女が僕を望む限り、必要とされる限り......。彼女にいつか良い人ができて、僕が要らなくなるその時まで......)
「僕、頑張るから......お願いします」
頭を下げると彼女は「ええっ」と驚く。
「こ、こちらこそ、お願いします.......?」
小首を傾げる深宙ちゃんは、どこか不思議そうだった。
けれど、「帰ろっか」と言ったら彼女は「うん」といつもの笑顔を見せてくれた。並び歩く僕らの影が前に伸び、夕暮れを知らせる。
「そういえば」
「ん?」
「生徒会長って、お家カラオケ屋さんなんだって」
「カラオケ......凄いね」
「練習したいね。カラオケで」
「確かに。僕らの家じゃアンプとか使えないし」
僕の家の地下室も防音だけど、完全なものじゃない。熱中症とかの危険性があるのである程度通気性のある造りになっている。クーラーも無いし。
(......いずれ完全に防音にしてもらおうかな)
「ちなみにその生徒会長の家はどこにあるの?」
僕が聞くと、深宙ちゃんは人差し指を唇へあてて「ん〜、わからん!」と言った。
生徒会長、浅葱先輩。もしお願いしたらカラオケボックスでの練習を許可してくれるのだろうか。お金ないけど。(無理)
――文化祭、当日。
がやがやと賑わう校内にはいくつもの屋台が設置され、楽しげな雰囲気に満ちていた。行き交う人々の中にはやはり、いや必然的に恋人達の姿も多く目に映り、自身の傍らに彼女の姿を想像してしまう。
(......それは違う)
ぼんやりとあてがわれた店番についていると、遠くの電灯の柱にもたれ掛かる小学生を見つけた。黒い服のそれは俗に言う地雷系、という奴だろうか。
さっきから全然動かない彼女がとても気になる。
「あの、ごめんなさい......ちょっと店番離れていい?」
同じく一緒に座り店番をしていた隣の黒瀬くんに聞く。するとこう返ってきた。
「は?ふざけんな。こっちだって店番なんかしたくねえのに......逃がすかよ」
ギロリと睨む彼。僕は説明した。
「あそこに座り込んでる小学生がいるんだ。具合が悪いのかもしれない......あと迷子かもしれないし。確認してきたいんだけど、だめかな」
「は?いいに決まってんだろ。早くいけよ」
「ありがとう」
グッと親指を立てる黒瀬くん。「もし親捜しするならそのまま行っていいぜ。それと保健室に連れてくんだったらそれもいいから帰ってくんな。......ここは俺に任せろ」といい笑顔をみせる。彼は口が悪く誤解されやすいが、とても優しい男だ。
ちなみにお姉さんがいるらしいが、彼と同じく口が悪くそして彼と同じく優しいらしい。あととてもキレイなんだと黒瀬くんが誰かに自慢していた。
黒い服の少女へと駆け寄ると、彼女は虚ろな表情をしていた。けれど近づいて気がつく。
(うわあ、すごい綺麗な銀髪......)
まるで絵本のお姫様のような美しい銀の頭髪。そして――
「大丈夫?具合わるいのかな」
顔を上げ、見せた瞳は赤く輝いていた。
「......ラ、ライブを......みたくて......」
「そっか、とりあえず保健室に行こうか」
「......ありがとう、ございます......」
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