第56話 痛み



「......深宙」


 彼女は僕の方へ顔を向ける。その表情は険しく、ともすれば困っているようにも怒っているようにも思えた。


「ごめん......」


「なんで春くんが謝るの?さっき赤名とすれ違った......彼でしょ?これ、やったの」


「いや。でも、僕が油断したから......だから、僕のせいだ」


 そうだ。あいつがどんな奴なのかなんて、嫌というほどわかっていたじゃないか。それなのに大切なギターを不用意に手放すなんて。もっと警戒しておくべきだった。


(失ってから後悔するなんて、僕は)


「そんなことありませんわ、春様」


 青キャップの彼女が言う。


「どのような理由があれ、人の物を壊すというのは許されません」


 深宙は彼女に問う。


「あなたは?」


「あら、これは失礼。わたくしは春様のいちファンです」


「......僕らのバンドの」


 彼女は首を横に振り否定する。


「いいえ。わたくしは、春様のファンですわ」


 僕の......?


「あ、えっと。この人、僕を助けてくれたんだ。危なく赤名を殴りそうになって......止めてくれたんだよ」


「そうだったんですね。ありがとうございます......お名前は?」


 彼女は口元に扇子の先をあて、妖しく微笑む。


「わたくしは青葉あおば妃奈ひなと申します」


「青葉、妃奈......」「......まさか」


 彼女は被っていた帽子、そしてサングラスを外す。すると現れたのはあの伊織と同じく、四人の歌姫として広く知られる人物、【神域ノ女神】の一人だった。


 凛とした雰囲気。すらりとした体躯、明かりに照らされ青みがかって見える美しい長髪は黒く輝く。僕らを見据えるその目は、おっとりとしているが瞳は妖艶な光を宿しているように感じる。


(......なんだ、この人。この威圧感は)


「そう構えないでください。わたくしはライブを観に来ただけです。今、あなた達とやり合う気はありません」


 深宙を見据える彼女。やり合う気は無いと言ったモノの、感じる威圧感に気圧されする。


(さっきまでは抑えていたのか......名乗る前と、今とではまるで別人だ)


「......そうですか。春くんの事、ありがとうございました。ライブ、楽しんでください。行こう、春くん」


「あ、うん。......青葉さん、本当にありがとう」


「いえいえ。春様はわたくしにとって大切なお方ですので。守るのは当然の事ですわ。お気になさらず......では、また」


 帽子を被り直すと彼女は僕らから離れていった。


「......あれが、【神域ノ女神】の一人、青葉妃奈」


 動画やライブ映像では分からなかったけど、実際に目の当たりにした感じ......伊織とは別の意味でヤバい奴の感じがした。まるで値踏みをされているような感覚。


 僕らが敵として足るバンドなのかを、確かめているような。......いや、違う。彼女は多分、僕を見ていた。僕がその力を有しているか。


 あれはそういう眼だった。獲物をじっくりみている、そう......ハンターのような、そんな眼。


 ――ガチャ


「お、いたいた。何してんだよ、春、秋乃......もうそろ準備しねーと。って、うお!?なんだこりゃ!?」「......春ちゃんの、ギター......ですか、これ......?」


 僕らを捜しに来た夏希と冬花。その二人が目の当たりにしたのは砕けた僕の楽器。


「どうした、これ」


 夏希の質問に深宙が答える。


「......赤名だよ」


「!」


 夏希が小さく舌を打ち、扉を開けようとした。その時。


「待って、夏希ちゃん」


「ああ!?なんで止める秋乃!」


「せっかく春くんが我慢したんだよ。無駄にしないで」


 深宙の言葉は彼女自身の怒りが抑え込まれたかのように重く、圧のあるものだった。夏希と冬花もそれを感じ取り息を呑む。


「......けど、これじゃあ......どうするよ」


「春ちゃんのギター......誰かに借りてって感じですか?」


「......」


 正直なところ、人のギターで演奏するのは抵抗がある。ずっと一緒にいてくれたコタロウだからこそ、苦手なギターも頑張れたところがある。


(......そもそも貸してくれる人なんて、いるのか?自分の大切な楽器を)


 先程の恐怖が蘇る。......他人に貸すなんて、僕はもう怖くて出来ない。だからこそ逆に借りるのも怖い。


「あのさ、春くん。夏希ちゃん、冬花ちゃん」


「?」「ん?」「......?」


「あたしに任せて。ちょっとライブぎりぎりになっちゃうかもしれないけど......なんとかしてみせるよ」


 そういうと彼女は扉に手を掛けた。


「いや、お前、なんとかって」


「大丈夫。......あの男、必ず後悔させてやる」


 完全にブチ切れてる。深宙が本気で怒っているのが、僕らにはわかった。どこかに行ってしまった深宙。残された僕達。


「......とにかく、私達はライブの準備をしないと」


 冬花がコタロウの破片を拾いながら言う。そしてそれにならうように夏希も腰を落とし欠片を拾い始めた。


「まあ、そうだな。こいつの為にも、ライブを成功させねーとな......」


「うん」


 冬花が割れたコタロウを撫でている。「痛かったね」と言いながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る