第10話 期待


 その日は黒瀬さんの家で昼食を終え解散した。旅館の一室を借りての食事。高級旅館の一部屋ってことで最初はなんだか落ち着かなかったけれど、皆が馬鹿騒ぎするから気にならなくなった。


 気を許した人に見せる笑顔。深宙がこの二人を大切に思っている事が見て取れた。少しばかりの嫉妬と寂しさ、大切な人達に囲まれて幸せそうな彼女を見る喜び。


 バンドを組んだことで色んな物を手に入れた、そんなような気がした。


 家に帰ると、僕は地下室へ行く。


 いつもの日課。防音対策を施した薄暗く狭いこの部屋は、夏になれば灼熱地獄。冬は寒さで震える気温となる。


 けれど僕はあの頃から一日としてこの日課をしなかったことはなかった。


「さて、今日も歌いますか」


 スタジオで歌ったけど、僕はまだまだ下手だ。もっと、より高い所に。彼女達と、バンドメンバーとずっと居るために......居場所を失わない為に、僕は。


(......まずは音程チェック)



 ――日に約六時間。休日ともなればその練習は十時間を超える。そしてその異様な練習から生まれた強靭な声帯と肺活量により、もともと低めの声はハイトーンボイスでの歌唱を可能にし、女性レベル高いキーの曲を安定的に歌うことが出来るまでになった。


 それもこれも、全ては秋乃深宙のため。彼女の望む歌声を手にするためだった。




 ◇◆◇◆◇◆◇



「......ん」


 一日の終わり。夕飯食べて風呂入って、ベッドに戻り時計を確認しようと携帯を見た。するとメッセージが入っている事に気がつく。

 差出人は黒瀬さんだ。食事の際に有栖さんと黒瀬さんと連絡先を交換した。


『やほー。今日はありがとな。突然で悪いけど、呼び方なんて呼んだらいい?俺は夏希って呼び捨てでいいからな。さん付けは性に合わないから』


 呼び方か。なるほど......って、呼び捨て!?ちょっとハードル高いな。深宙は小さい頃からずっと呼び捨てだったから呼べるけど。


 でも、せっかくそう言ってくれてるなら、そうしたほうが良いのか?


「......な、夏希......」


 ボソリと口に出してみる。


「なつき!?だれよその女っ!?」


「!?」


(妹の声!?あいつまた!!)


 と、ベッドから飛び起き部屋を見回すが、その姿は見当たらない。


「え、あれ?」


 頻繁に侵入してくるからか?ついに妹の幻聴がきこえだしたのか?


「......刹那さん?」


 名前を呼んでみる。すると、扉横の壁紙の一部がペラペラと剥がれ落ち潜んでいた刹那は姿を表した。いや、もう忍者だろこいつ!どこの里の者だよ!!


 げんなりとした顔で彼女に問いかける。


「それ、どうしたの?」


「ふはははっ、これは私が作ったんだよ!すごいっしょ!?お兄ちゃんが地下で頑張ってる間に、私は部屋に忍び込む術を磨き上げていたのだ!!」


 陰の者過ぎる。陽キャのすることかよ。なんでそんな陰湿なことばかりするの。


「えっと、す、すごーい......じゃ、退室願いまーす」


 刹那はニヤリと笑みを浮かべ、頷く。


「嫌、ですッ!」


「あー、はいはい。よっと」


「きゃーっ!」


 いつも通りとっ捕まえてお姫様だっこ。強制退出です。


 運ばれている途中、腕の中でにこにこしている刹那が言った。


「なつきちゃんかあ。彼女さんかなあ」


 思わず足が止まる。


「違います」


「えー、違うの?でも名前呼ぶだけであんなに緊張するかなあ......少なくとも好意のある人とみた!」


 好意はそりゃあるさ。バンドメンバーだからな。しかし、バンドを組んでいる事すら知らないこいつにどう説明したもんか。

 これは、地味に難易度が高いかもしれない。


「なあ、刹那」


「はい」


「冷蔵庫にプリンあるんだよ。そのプリンをお前にやるからこの話はもうやめないか?」


「んー、プリンかあ」


 こいつ......!


「はあ、わかった。わかったよ」


「む、やっと観念したか、お兄ちゃん!」


「冷凍庫のカリカリくんもやるよ。コンポタ味」


「はい!終わりますっ!話はついた!早く私をおろして!!」


 こいつの好物カリカリくん。しかもその中で一番好きなのがナポリタン味。そして二番目に好きなのがこのコーンポタージュ味!!


「はい、行ってらっしゃい」


 ひょいっと下ろすと、まるで嫌がっていた猫のように物凄いスピードで冷凍庫へ走っていった。


 よし、邪魔は消えた。黒瀬、じゃなかった。な、夏希に連絡しなければ。


 えっと、『こっちも呼び捨てで良いよ』っと。ポイッとベッドへ携帯を置く。すると着信を知らせる振動がした。


 返信はやっ!と思い画面を見ると、それは夏希ではなく深宙からだった。


『春くん、今日はありがとう!』


『こちらこそ。すごいメンツ集めたな』


『えへへ。春くんの歌声を活かせるようにがんばったよ』


 それぞれがその道の最高峰にいる。深宙、有栖、夏希。この楽器隊三人の力はどうみても高校生レベルではない、紛れもなくプロクラスだ。


『こっちこそ。深宙の期待に応えられるようがんばる』


『うん。最強のロックバンドにしよーね!』


 彼女らがどれほどの努力をし、時間を捧げたのかは知らない。けれど、その実力が想像させる。高度な演奏技術の向こう側を。



 だから、僕は期待に応えなければ。



 深宙の......



 いや、あの三人の期待に。




「......僕は、最高傑作なんだから」




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