エンディングテーマに乗って

エンディングテーマに乗って

           


GOOD NIGHT LOVE

 未来はそう大して現在と変わっていないだろう。

何せ最悪な事が過ぎたから。

あの時から違う人生が始まったみたいだ。

当たり前の日常が、当たり前じゃなくなった。

小さい頃、時計の文字盤がなかなか読めるようにならなくて、母によくからかわれていた。

「青」という漢字がなかなか書けるようにならなかった。特徴が無いから。

ある日、少年と会った。

今日はその日のためにあった。

少年の名は川上一途かわかみいちずといった。

岡村麦人おかむらむぎひとだよ。俺だよ。かすみ

その声は少年のものではなかった。

その声を聞いた途端、広尾ひろお霞は何か自分を支えていたものがなくなっていくのを感じた。

死んだはず。あの十年前に。

「生まれ変わりだよ。この子。ちょうど十歳だろ? 前世の記憶は近い内になくなる。その前にお前に会いたくてな」

少年はガムを噛んでいた。

「ああ、麦人か」出て来たのは馬鹿みたいな言葉だった。


「何か嘘みたいだ」霞は言った。二人は路肩のコンクリートブロックに座っていた。

「どうして、会いたかったんだ?」霞は少年を見ないようにしていた。

「ちょっと、頼みがある」聞こえてくる声は、間違いなく麦人の口調そのものだった。

「何だ?」

「神様を知ってるか?」

「さあな」

「俺もまだ会ったことない」

「それを聞きたかったのか?」霞は思わず少年を横目で見た。

「やっと会えたんだ。無駄口ぐらい叩かせてくれよ」少年はそう言って、深い呼吸をした。

道を歩く人たちから見れば、二人は親子と思われていただろう。

「お前ももう三十路か。早いな」

霞は黙っていた。

「俺はまだ二十歳だよ」麦人は笑った。

「人間、死んだ時が寿命なんだよな・・」フッと息を吐いて、麦人が言った。

「子供の形は動き易いよ。身も心も軽い。風になったみたいだ」

「そろそろ言ってくれよ。頼みって何だ?」

「人殺し」思わず霞は少年を見た。

少年はガムをプッと捨てた。

「ガムは味がなくなる。俺は味が抜ける前に死んじまった。だから、味を消すのさ」

霞は少年が吐いたガムを見ていた。皆がそれを避けて通って行く。

「しおりを抜くんだ」麦人が言った。

「まさか。冗談だろ?」霞は立ち上がった。

「また俺を見殺しにするのか?」背中越しに言われた。

霞は振り向いた。痩せた少年は白い鳥に見えた。川上一途は足をブラブラさせて、こっちを見ていた。

少年がその顔に似合わぬ舌打ちをした。

「俺がそばにいないと不安だろ?」事も無げに麦人は言った。

川上一途は霞の前に立って、霞を見上げて笑った。

「消去法で残ったそれが、天命なんだよ」少年が、少年の声で、言った。


運命は影に似ている。

広尾霞はズルズルと背中からマンションのドアにもたれ、崩れ落ちた。

燃えさかる炎が目に浮かぶ。あの中で麦人は。俺は生き残った。

麦人が俺を見る目。

「霞! 行くな!」

俺は呆然と。

死と生に分かたれた時。

生き残り。生まれ変わり?

俺は生きている。あいつは生き残った。あれ、どっちだ?

霞は折れた傘の様に、頭を抱えうずくまった。あの炎の影が伸びてくる。俺は影に溶け込む。真っ暗闇から覗くのは、虚ろな太陽だ。それを見つめる俺の目は、深い穴だ。あの少年は白い鳥になって太陽を横切っていった。

人生が止まった。

窓から見る空は、空なのか、ガラスに映った空なのか。

霞は手だけを伸ばし、ライトを点けた。病室のように整頓された部屋が現れた。

立ち上がり、トイレに入った。

全ての苦しみが小便と一緒に流れてしまえといつも思っていた。トイレの壁を拳で叩いた。

ビールをほとんど無意識の内に二本飲んだ。

本棚の上に埃をかむった、酒の瓶の中に組み立てられた船の模型がある。今ならこれを買った意味も分かる気がする。

消したTVみたいに外が真っ暗だ。

暗い画面に自分が映る。

ニュースを聞き流した。

TVでロードショーが始まった。前に見た映画だった。ああ、思い出した、途中で止めたんだ。

終わりまで見た。良く出来た方だった。

壊れていく。

用の終わった新聞を引き裂いて、本を装丁から引き裂いて、上の、船の模型の瓶に手を伸ばし、躊躇った途端、熱が冷めた。

逃げない鳥は殺される。

足から力が抜けて座り込んだ。

救けられなかった自分が悪いんだ。

平和だったな。口の中で呟いた。

霞は天井を見上げた。

自宅に備えたトレーニングマシンでいつもの様に汗を流した。

汗が滴り落ちる。自分の中にあったものが失くなってゆく。

汗が冷たい。僕が落ちていく。

汗みずくのまま、煙草を吸った。

久しぶりに煙草が旨い。

傷付いた舌と、歯の裏と肺に沁みるのが良い。

シャワーを浴びて、霞は日付けが変わっているのに気が付いた。

今が夜なことも忘れてた。


霞は県警に出勤した。霞は刑事だ。

麦人が死んですぐ警察に入った。

それから着実にスキルを身に付けてきた。

自分でも何が目的なのか分からずに。

午前は書類整理に追われた。

近くの弁当屋の弁当をつついていると、別の課が呼びに来た。

「迷子の子が、広尾さんなら知ってるって」

一途だな。と思って、席を立った。

行ってみると、やはり川上一途がちょこんと座っているのが見えた。

「すみません。お願いできますか」係が言った。霞は肯いた。

「おかしいな。あの歳なら住所ぐらい言えるだろ・・」立ち去りざまに、係が呟いた。

霞が向かいのパイプ椅子に座ると、グッと肩を掴まれて、耳元で囁かれた。

「今夜十一時、緑町公園で」麦人の声で言って、一途が手を離した。

一途が表口から普通に出て行った。

表をキックスケートで横切っていく姿を見た。

「どうしました?」さっきの係に声をかけられて、霞は席を立った。


「道、分かりましたか?」聞いていたのか、後輩が声を掛けた。

「迷子じゃない。俺に会いに来たんだ」

「お知り合いですか?」

「警察学校の頃に、ちょっとな・・」霞は生返事をして、自分の椅子に座った。

「広尾さんのプライベートって謎っすよね」後輩が腕を組んで笑った。

俺なんかいないんだよ。霞は思った。

「ちょっと外回り」霞は最近起こった殺人未遂の資料を持って外に出た。

霞はファストフード店で時間を潰した。

腕時計を時々、見た。


定時になって、霞は県警に戻った。

「お疲れ様です。進みましたか?」

「複雑殺人だな」書類を置いて、霞は言った。

「はあ・・」分かったような分からないような顔をした後輩の横を、「お疲れさん」と霞は言って出て行った。


霞はその日は部屋に帰らずに、ずっと緑町公園で待っていた。

街灯が灯る頃、一途がキックスケートで来た。

キックスケートを近くの植え込みに隠す。その様子は、少年のそれだった。

一途は手を払って、霞の隣りに座った。

「来てくれたんだ」

「親は?」霞は素っ気なく聞いた。

「寝てる事にしてるよ」

「なあ、嘘なんだろ?」

一途は何も言わないで、腕時計を見た。裕福な家庭らしい。

「あそこに隠れてよう」

仕方なく霞は一途に付いて行った。

茂みの陰。一途が縄跳びを渡した。

「決まってここを通るんだ」

霞は縄跳びをビンと張った。

「来た」

遠くに男の後ろ姿が見える。煙草に火を点けているようだ。

知らない男だった。

「誰なんだ?」

「お前は知らなくていい」と麦人は言った。

「殺せるわけないじゃないか」

「もう俺を泣かせるな」顔まで麦人に見えてきた。

男は携帯を見ながら近付いてくる。携帯を見ながら。

二人、いや三人か、に見られていることも知らないで。

俺はこれから人殺しをするのか?

一途が背中を押した。その手が怖くて、霞は茂みから出た。

男の後ろに付く。

その後の事はよく覚えていない。

首を絞めたような気もするが、気付いた時には公園の蛇口で水を頭から浴びていた。

一途がキックスケートで来た。

「死んでないよ。生きてた」

「頼む、頼む・・」霞は声を絞り出した。

「なぜ心をそんなに大事にするんだい?」一途が言った。

霞は頭を振り続け、「頼むよ・・」としゃがみ込んだ。

「手遅れだよ」一途が冷たい声で言って、キックスケートが走り去る音を聞いた。

月が隠れている夜だった。


DARLING,I MISS YOU

手遅れだよ。手遅れだよ。その言葉が繰り返し頭の中に響いた。

横を救急車がすり抜けていった。

「俺の方がよっぽど重症だよ」呟いた。


汚れた窓は、いつも雨が降っているみたいだ。

マンションに帰り着いて、まず霞は顔を洗った。

何だか自分の顔じゃないみたいだった。


「殺されかけたんだよ!」

昨日見た男が警察署に来た。

首にはありありと昨日の跡が見える。

「捕まえます」霞は顔を伏せてそう言った。


「人を傷つけるのは悪意だ」麦人が言っていた。

「お前は悪意もなく殺す。罪もない」


「スタンガンを買うんだよ」

昼休みの空いたコンビニの駐車場で、霞を中心に弧を描くようにキックスケートで一途は走っていた。

「それで痺れた時にやっちゃうんだ」

「終わりにしよう」

一途は黙っている。

「分かってきたよ。だいたい。これが復讐なんだろ? 俺への。最後は、・・俺か」

「学校があるから子供は不便だよ」麦人の声で言った。

霞は眼鏡を外して目頭を押さえた。

「眼鏡にしたのか?」

「ドライアイでね、できないんだよ」

「子供が大人になって失うものは何かな?」と麦人が言った。

「まやかしだよ」

霞はしばし考えて、「夏休みはないよ」と言った。

「偉人なんてさ、生きて、死んで、この世界なんだろ? 偉人なんていないのさ」

「なあ、記憶はその内その子から消えるんだろう? その後、お前は何になるんだ?」

「さあな。風にでもなるんじゃないか」

霞は小首を傾げた。

「ストックホルム症候群って知ってるか? 被害者が加害者に対し、過剰な同情や親近感を抱くこと。特に監禁などの場合に起きる。それで結婚した奴もいるって話だ」一途はキックスケートの上に座った。

「只の動物的本能さ」一途は肩を揺らし笑った。

「お前もそうならないよう気を付けな」

「俺も警察官だからな」

悲しいから生きてるんだ。

たくさんの幸福より、少しの幸福がほしい。

血が止まらないみたいに、死を待つだけだった。


スタンガンを買った。防犯ショップで。

「殺すつもりか?」

昨日の夜、夢を見た。

夏、セミ。

飛行機雲が真上を通る。

公園で見上げる。

誰かを後ろに乗せて自転車。

まだ子供。

いつか見たような夕焼け。

いつか見たようなススキの原を通り抜け。

花屋台かおくだい病院? ずいぶん遠いな」

「糖尿病だそうだ」

「ほっといても死ぬんじゃないのか?」

「よくかんだガムは捨てなきゃな」

一途は俯いた。

行くと、一途が先に到着していた。

キックスケートが脇に置いてある。

何も言わず、傍らに腰かけた。

「あいつ」

見ると、初老の紳士が歩いている。

「どうしてもか」

「天使になれないなら悪魔になれ」

病院の敷地から出る男を目で追った。

霞は腰を上げた。

綿地のパジャマがシワになっている。

周りに誰もいないのを見計らって、首にスタンガンを当てた。

「殺す」

何の音もさせず男は倒れた。

腕で喉を締め上げた。

首の骨が折れる音がした。

見開いたままの目を押さえて閉じさせた。

自分の感情を否定したい。

隣のバイパスからバスのアナウンスが聞こえた。

「空港行き、か・・」


事態を重く見た警察は、合同捜査本部を置いた。

そこに霞も身を置いた。

警察の捜査はずさんだった。

初動がなってない。

「部長!」

何やらヒソヒソ声で喋っている。

霞は横を向いて耳を澄ませた。

「・・岡村麦人?」

グサッと胸が痛む。

「最初の未遂はSR高校在学時の担任でした。今回の被害者は大学の教授です。岡村はガイ者に卒論をボツに・・」

「よし。すぐに挙げろ」

「でも、・・死んでます。十年前に、自動車事故で。・・」

「馬鹿野郎! アゲるなら、もっとマシな情報アげろ!」恫喝に変わった。

「意地でも犯人をアゲろ!」

コーヒーを飲みすぎてめまいがする。

警察はチームプレーだ。

霞はポロシャツの首をよじった。

「SR高校って広尾さんも出た高校ですよね?」さっきの後輩が聞いた。

「よく知ってるな」

「難関じゃないですか」

三角形の椅子は魚の鱗みたいで座り心地が悪かった。


TILL TURN THE TABLES

「つつじに会いに行こう」

「まさか、つつじさんも・・」

「しないよ。まさか」

つつじは麦人の恋人だった。

元恋人だった。

つつじはもう住んでいた所にいなかった。

「もう十年になるからな・・」

一途はキックスケートでついて来ていた。

「名字が変わってる」

ようやく突き止めた表札には「里山さとやま」と書いてある。

ベルを鳴らすと、つつじの「ハイ」という声がした。

「広尾です」

「あら、・・待ってて下さい」

つつじが外履きをつっかけて出て来た。

「ご無沙汰してます」二人とも頭を下げた。

つつじは門の柵を開けようとしない。

「・・その子は?」

つつじは目を伏せている一途を見た。

「僕の子供。事は自然の成り行きで」霞は一途の髪に触れてみた。

「今、幸せかい?」


曖昧に笑ったつつじと別れ、一途はキックスケートに片足だけ載せて歩いていた。

草っ原に寝転んだ。

「つつじのこと好きだったろう?」麦人が言った。

霞は返事をしなかった。

「俺になびいたわけだ。俺だったら霞を選ぶけどな」

「煙草、吸わせてくれよ」

煙が肺に落ちる。

「ゴッホは幼稚だよ」

「レオナルド・ダ・ヴィンチは数学だよ」

「何かに命を懸けたことがあるか?」

「一生の謎だな」

霞は麦人を見た。

「何か人が変わったみたいだ」

一途はため息を吐いた。

「お前が俺を殺すのか?」

一途は黙ったまま目を閉じた。


それから数日後、非番の日に呼び出された。

一途はガムを噛んで待っていた。

クタクタになったタンクトップ姿だった。

「ガムを噛んでると最高の気分になるんだ」

「子供の特権だな」

「僕は死にたい」一途が言った。

「殺せ」

霞は後ずさった。

「麦人じゃないじゃないか」

「お前が死ねば良かったんだ!」

「俺は片時も・・」

「殺せ! 殺せ!」一途はわめき散らした。

「死は救いだ」

「救うなんて言葉、軽々しく口にするな・・!」霞は背を向けた。

「地獄に、堕ちろ・・」

殺せない。遠ざかる。

もうすぐ夏が始まるな・・。

七月は人を狂わせる。

「死んでくれ」霞は呟いた。

その瞬間、泣き喚いて一途が道路に飛び出した。

咄嗟に、霞は道路へ走り、一途を突き飛ばした。

クラクションが響く。

目の前にトラックが。


物言わぬその瞳は、ただ青い空を映していた。

その目を笑顔の一途が覗いた。

霞には何も見えていなかった。


「即死だな」

「ああ」

警察官が言った。


翌日の新聞の紙面。隅っこの小さな見出しの記事になる。

少年をかばって刑事死亡。

運転者、過失運転致死傷罪。

男の子は軽傷。


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 ボトルシップ。

「ゲームやっていい?」

「20秒だけやっていいよ」

「20秒って長い?」

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