ミレミ
森川めだか
そして新世界HEAVEN
そして新世界HEAVEN
「自称神との対話」
「この世界は楕円なのです。回るプールのように運命は流転しています。堂々巡り、イタチごっこ、人は誰でも、サイクルの中に入ってるんですよ。その無間から脱け出し、“続き”の世界へと、それが私の教えです」
ルポライターの
「それで、あなたが神だという根拠は?」
「神に理由があるのですか? あなたが人間だという理由は?」
「詭弁ですよ、それは」
「要するに、古代、エジプト人はスカラベを神の象徴と捉えていました。しかし、その実体はフンコロガシです。私を神だと信じる自由もあれば、信じない自由もあります」
「スカラベはフンコロガシではありません。コガネムシです」
「そんな知識などどうでもいい。言葉尻をとらえるのは止めてくれませんか? どうせ付け焼き刃でしょう」
「饒舌ですね」
「あなたは客人として招いているのです。失礼じゃありませんか?」
「私はそんなつもりで来ているのじゃありませんよ」
二人の仲に険悪なムードが漂った。
「話を元に戻しましょう。つまり、あなたが神であることは証明できないと?」
「食べ物を見て下さい。魚や肉、野菜、どれも皆、あまりにも食べ易くなっていると思いませんか? その殆どが食べられ、栄養素になります。魚だって骨を取れば、丸ごと栄養素になります。出来すぎてると思いませんか。なぜなら私は神だからです」
「ちょっと待って下さい。あなたは人間なのですか? 神なのですか?」
「私は人間であるからこそ神なのです」
「他の人間にも言えるのでは?」
「気付きです」
「気付き?」
「私がそれに気付いたこと。そのものが神なのです」
「なんとでも言えますよ」
「私は神として生まれてきた人間なのです。であるからこそこの世界があるのです。私が死んだら、この世界は消えてなくなります」
「では、あなたの収入源は何ですか? あなたは宗教法人の資格も取ってない。まさか海水を飲んで、土を食べてるとでも? 都内の一等地にお宅を建ててますよね? 別荘も、」
「本の印税です。最初は自費出版でしたが、好評でこの頃は予約しないと手に入りませんよ」
「それは、つまり、あなたの、
「もちろんでしょう」
「それは搾取にも映りかねませんよ。新興宗教がよくやる手だ。もし、被害者団体が発足したらあなたはどうするつもりなんですか?」
「心配ありませんよ。作家と読者の間に宗教が必要ですか?」
「そのために教団名も作っていないのですね?」
「理由などありません。ないことを説明できないのと同じ様に、あることも説明できないのです」
「それはつまり、あなたが神であるということも説明できないと?」
「声です。私は声を聞きました」
「神なのに神の声が聞こえるんですか?」
「運命に輪をかけてあなたはバカな人だ」神々井は笑った。
「私は神で、あなたも神なのです」
「どういう事ですか?」
「信じるも信じないも自由です」
「さっぱり分かりません」
「信じるも信じないも自由です」
「言われなくても、出て行きますよ」
名前のない宗教が一室を利用しているマンションを見上げ、森生成は悔しさにも似たため息を吐いた。
「ジンクス刑事」
「おはよう」
「おはよう」
「今日は月曜日か・・。月曜日はロクなことがない」亘はため息を少し吐いた。
「ちょっと、あなた、剃り残しがあるわよ」
亘は髭を触った。
「止めよう。一日に二回髭を剃ると悪い事が起きるんだ」
「あっそ」直子は鼻で笑った。
「はい、月曜日のコップ」
亘は朝食はいつも同じ食器で食べる。
亘は朝食を食べながら、新聞を読んだ。
亘は刑事だ。
「じゃ、行って来ます」スリッパを家の内に向けて揃えた。無事に帰って来れるように。
「だからジンクス
「何言ってんだよ。直子と出逢えたのもいつも左足から靴を履いてたから・・」
「よく言うわ」直子はまた笑った。
「本当だよ」
「悪い宗教に引っ掛かるよ?」直子は鞄を渡した。
「そんなことにはならないよ」亘も鞄を持って笑った。
「いい人には変わりないんだけどね」亘が出て行った後で、「あら」とクッションの下に昨日の新聞が挟まっているのが見えて、直子は急いで古新聞置きに放った。
昨日の新聞は昨日の内に片付けておく。これも亘のジンクスだ。
その理由は、直子と夫婦ゲンカしたから。
直子は自分もコーヒーを飲みながら思わずちょっと笑った。
直子はジンクスを守らないこともしばしばだ。
月曜日がツいてないのはカーペンターズのRainy Days And Mondaysかららしい。
「おはようさん」刑事部に着いて、亘は昨日までの書類に目を通した。
「芝さん、デカ長が用があるとか」
「ん? ああ」
「・・で、この件を君に任せる」
「任せるたって、まだ何も、」
「実はもう待たせてあるんだ。それにその森生成って人は前にすっぱ抜かれたから、上も気にしてなあ・・」
「はあ・・」仕方なく亘は応客室に行った。
やっぱり月曜日はロクなことがない。
「お待たせしました」客の前のお茶はもう空になっている。
お互いに名刺交換をして、席に着いた。
「ルポライター・・。どこかの出版社の方?」
「いえ、フリーランスです」森は焦っているのかもう空の湯呑を傾けて飲もうとしていた。
「あ、持って来させます」
「いえ」森は手で制した。動きに無駄のない人だ。
「で、そのー、新興宗教が危険だという話だと伺っておりますが」
「ええ」
「ただですね、警察としてはまだ何の問題も起こしていないところには動けないんですよ。お分かりでしょう?」
「それは重々。ただ、私はこれからもこの取材を追っていきます。それに協力していただきたいんです」
「はあ。あなたがそんなに気になるものなんですか?」
「勘です。急に台頭して来たんですよ。つい数年前までは存在すら僕も、・・存在といっていいのか・・」
「さっきから何だか曖昧ですねえ」
「教団名が無いんです。だから掴みにくくて」
「教団名が無い?」
「はい。実態が把握しづらいんです。教祖は神々井豊と名乗っている人物なんですが」
「かみじいゆたか?」
「ええ。神々と書いて、井戸の井・・」森生成は手帳に書いた。
「まさか、本名じゃないですよね?」
「ええ。本名は
「割と普通の名前なんですね」
「いずれ問題を起こす危険性、あるいはもう問題を起こしてるかも。それを突き止めたいんです」
「そうですね。僕がその担当になると思いますが、名前が無いのは面倒ですね」
亘は考え出した。
「そうだなあ、・・続きがある、続き、続き、・・そして、そして教では?」
「そして教?」森は律儀に手帳に書き込んでいた。
森生成はビル群を交差点から見回していた。
ここで情報提供者と落ち合う筈だった。
プルプルと携帯電話が鳴った。
情報提供者のAからだ。
「あんまりキョロキョロするな。俺は今あんたが見える所にいる。俺はヤバすぎて近寄れない。要件だけ言う。卵特売日にスーパーに並んでる奴らを尾けろ。直近では、13日にアジサイっていうスーパーだな。卵だけ大量に買っていく一団がいるはずだ。雇われたホームレスだ」
「そこに何が」
「見りゃ分かる。金は振り込んどけよ」電話は切れた。
「おっ、芝さん、うらやましい、愛妻弁当」
「いつもの」
「しかし、芝は、早食いだなあ」
「食事に命懸けてますから」
「また芝のノロけが聞きたいなあ」
「家内を持つことが僕の夢だったので」
「芝は幸せ者だなあ」
「ええ!」
橋の下。
ブルーシートの小屋。
長靴が干してある。
「サンタでも待ってるんですかい?」
からかわれてもホームレスは顔を出さなかった。
芝亘、40歳、芝直子、45歳。
子供がいない。
子供ができなかったのだ。
十年前に結婚。
五年前から不妊治療を受けた。
医者から告げられたのは、「原因不明不妊」。結構多いそうだ。
自分たちで決めた道は「養子縁組里親」だった。
その日も児童養護施設くじゃく園に
れんは小学4年生、親の育児放棄によりくじゃく園で育てられた。
帰りに、「あの子、人の顔色見るの。色々あったのね・・」と直子が言った。
亘も気付いていた。れんはまだあどけない笑顔を見せたことがなかった。
「今日はナポリタンを食べよう」
直子はあら、と顔をした。
亘のジンクスで仕事が一段落ついた時は、ナポリタンを食べる事になっている。
大好物ってことではないんだが、直子と結婚する前から決まってた。
亘にはいいジンクスはあまりない。
直子はそれを臆病だからだと笑ったことがある。
亘は、「臆病な奴ほど、長生きするのがこの世界だ」と語ったことがある。
亘らしいといえば亘らしいが、直子はそれに変に納得した。
だから、今がある。
死ぬ時は一緒だよ。
「お巡りさん、帰った?」親友の
「帰った」れんは藍にしか心を開こうとしない。
「Rainy Days And Mondays」
「忙しい朝が来た、希望の朝だ」芝は口ずさんだ。
「あなた、折り畳み傘」
「折り畳み傘を持って行くと嫌な事が起きるんだよな・・」
「雨が降るかもってよ」
「潔く雨が降ってほしい。そうしたら大きい傘が持ってけるのに」
「何ウダウダ言ってんのよ。会社、遅れるわよ」
直子は警察のことを「会社」と呼ぶ。
「やることがいっぱい。主婦って大変なのよ」
「刑事が何ででかって呼ばれるか、知ってるか?」
後輩は首を振った。
「態度がデカいからだよ」
「落ち合うはずだったんですが、かわされました。今、スーパー「アジサイ」に来ています。予想通りすごい数だ。何をするんでしょう? 後をついて行ってみます」
芝は森からの連絡を受けていた。
「何か異常があったら連絡下さい」
「お一人様1コまででーす。お願いしまーす」
ゾロゾロとホームレスが買って行く。
あの橋の下のホームレスの姿はなかった。
生成はホームレス達の後をついて行った。
皆一様にマンションの中へ入って行く。
生成は諦めて、外で待った。
マンションの一室。
「・・野菜だって、皮を剥けば全て栄養素になります」
正座した信者たちが拍手をする。
「今、ここに聖別された卵が届きました。並んで」
特売の卵の封が切られていく。
生成はまたゾロゾロと出て来たホームレス達に話を聞いた。
「俺達は頼まれてやっただけだよ」
「一人、弁当一個」
「時々ね。場所は変わるけど」
「何のため? そんなの知らねえなあ」
「公園連中は大体集まっとるよ」
神々井の前に一人ずつひざまずく。
「口を開けて」神々井は卵を一個受け取る。
と、信者の額で殻を割り、口の中に生卵を落とす。
信者は恍惚とした表情で卵を飲み込むのであった。
宮瀬れんと野山藍はフラフープで遊んでいた。
「マリエちゃんじゃない」
「誰?」
「同じクラスの桑塚さん。おーい」
通りがかったマリエが手を振り返した。
「金ピカね」
「みんなシャネルなんだって。お父さんは神様やってるの」
待ちかまえていた森生成。
出て来たのは、主婦たちが大勢だった。
「お料理教室です」
口を揃えてサッサと行ってしまった。
亘と直子は今日もれんに会いに行った。
れんはその日もじっと下を見て心を開いてくれなかった。
「はい、幸運の折り畳み傘」直子は黄色い傘を亘に渡した。
「霊験あらたか。今日の昼間、買って来たのよ」
「心臓に一本毛が生えたよ」
「一本だけ?」フフと直子は笑った。
「あなたらしいわ」
直子は亘の額に手を当てた。
「おまじないかけてあげる」
「直子・・」
「カルマ」
「集団食虫毒?」
「今朝の新聞に載ってるわよ。あなた」
「管轄内だな・・。腹痛や嘔吐・・ノロウイルス・・」
芝は新聞を読みながら朝食を摂った。箸が折れた。
「箸が折れた。誰かが死ぬ」
「・・割り箸は平気で折るクセに」直子は鼻で笑った。
「つながりが分からない集団食虫毒ね・・」
「怪現象ですね」
これらしい事件もなかったので署内はこの話でもちきりだった。
森から電話が来た。
「はい」
「森です。芝さん、今回の食虫毒、そして教の仕業ですよ」
「森さん、何か知ってるんですか?」
森は昨日の顛末を話した。
「骨折り損のくたびれ儲けだと思ってましたが、あの卵を何かの儀式に使ったんだとしたら合点がいきます」
「つまり、神々井豊の手にあるいはノロウイルスがついていたと?」
「それだけじゃありません。特売の卵は全て雇われたホームレスに買い占められました。営業妨害です」
「それは先走りだと思いますが、一応調べてみましょう。桑塚正信でしたよね?」
都内の新築の一戸建て。
二名の刑事がインターフォンを押す。
バスローブ姿の桑塚正信が出て来た。
「桑塚正信さん?」
「はあ」
「少し事情を聞かせてもらいたいことがございましてね、同行して下さいますか」
「任意ですか? 強制ですか?」
「どちらでも」
取調室に神々井豊と芝亘。
「九州で詐欺の前歴がありますね。逃げて来たんでしょう?」
「九州は世間が狭いのでね」
「手配書もここにあります。名前を変えれば気付かれないと思ったんですか?」
「見逃してくれませんか」
「奥さんもいて、子供さんもまだ小さいんでしょう? 反省の色なければそれだけ厳しくなりますよ」
神々井豊は黙った。
「逮捕、勾留します」
神々井豊は供述を二転三転させた。
「人の幸せは、僕の不幸せです」
「信じる者は救われる」
「どっからどこまでが神で、どっからどこまでが私なのか」
「生まれ変わりなんてナンセンス。それなら一生は何のためにあるんですか?」
「宗教に責任があるのですか?」
芝亘は言った。「宗教なんて必要ありません。うちにはカミさんがいるんでね」
芝は一つジンクスを忘れていた。
自分が名前をつけたペットは早死にする。
芝は忙しく、なかなかれんと会えなかった。
直子は足繁く通っていた。
「行った方がいいよ」
「藍・・」
「迷ってるんだったら行きなよ」
「だって・・」
藍はれんの手を握った。
「会いに来てね。会いに行くから」
今日は久しぶりに、亘と直子が来た。
「れんちゃん、洋食屋さん行こうか?」
れんは肯いた。
亘と直子はナポリタンを頼んだ。
れんもナポリタンを頼んだ。
じっと黙ったままだった。
「本当にこれでよかったのかな?」亘が言った。
れんがタバスコを取った。
「辛いの好きなの?」
れんは黙ったまま肯いた。
「あなたって真面目でいい人ね」直子が言った。
「ねえ、あなたはRainy Days And Mondaysって言うでしょ? でも、カーペンターズはWe've Only Just Begun。私達は始まったばかり」
「パパ、ママ、って呼びます」じっと黙っていたれんが宣言のように言った。
亘も直子も呆気にとられた。
「あ、あ、そう? どうでもいいよ、お父さんでもお母さんでもパパでもママでも」亘は焦っていた。
「そ、そうよ。でもれんちゃんは女の子だから親父とかおふくろとかは、ね?」直子も早口になった。
亘は煙草に二回火を点けた。
「おばちゃーん、ビール!」
「タバスコもう一本!」
れんだけがナポリタンをズルズルと食べていた。
「We've Only Just Begun」
橋の下のホームレスが散歩に出た。
ゴミを漁っていると、カバーの取れた古びた文庫本が落ちた。
「スカラベ・エッセイ 神々井豊」と書いてある。
「何て読むんだ。こりゃ」
ホームレスは暇つぶしにそれを拾って読んでみた。
「神、・・ね。そうか、その手があったか・・」ホームレスは安心したように文庫本を開いたまま目の上に置き眠りについた。
そして今日。
「やれば五分で終わることがどうしてできないの?」
「面倒臭いから」れんは寝そべって本を読んでいる。
「れん!?」直子が怒った。
亘はそれをソファで寝そべって笑って聞いていた。
家族が一人増えた。
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