12 種

 鈴さんが眠るというので鈴さんのいる部屋を後にし、展示室に戻ると芹沢館長がわたしに言う。

「早水さん、助かったよ」

「いえ、わたしは何もしていません」

「鈴が屈託なく喋ってくれただけでもありがたい」

「いつもは違うんですか」

「わしとは会話にならんな。実務的なこと以外は……」

「そんなことはないですよ。ただし鈴さんは大きな子供みたいな人だから感情がすぐ外に向うのでしょう」

「それはわかっておるが、手に負えないこともある」

「絵を売れば良いんですよ」

「えっ」

「売れば鈴さんの収入になります。おそらく養われていることに気を遣っているんですよ、鈴さんは……」

「それは知らなかったな」

「あの絵が完成するまでに何億円も使ったんでしょう。良い先生を付けるとか、世界中の風景を見させるとか……」

「何億は大袈裟だが、多少はな」

「鈴さんは一部だけでも、そんな形で恩が返したいんですよ」

「自分を里子に出したのが、わしだというのにか」

「詳しい事情は知りませんが、他の判断はないと考えたんじゃありませんか」

「そうかな」

「その確信は芹沢館長に内緒で岡田笙に会いに行ったときに得たんだ思いますよ。幼い岡田笙の口から家庭の事情や母親の性格や結婚生活を聞き、判断したのだと思います」

「本当か」

「さあ。わたしは自分が考えたことを述べただけです」

「……」

「絵の買い手はいるんでしょう」

「欲しいという知人はおる」

「きちんとオークションをして最高額で売ってください」

「わしが買ってはダメなのか」

「残念ながら、この美術館は別の作者を探す必要がありますね。もちろん今すぐではありませんが……。それまではオークション会場を兼ねれば良いと思います」

「手厳しいな」

「芹沢館長は本来商売人でしょう。この美術館は道楽でも商売の仕方はご存知のはず」

「なるほど、一本取られたな」

「よろしくお願いします」

 わたしが頭を垂れて鈴さんの芸術家としての将来を芹沢館長に託すと館長が重々しい表情で首肯く。

 暫くは今後の展開を考えていたようだが、それも終わると晴れやかな笑顔を浮かべ、

「いずれは早水さんの作品を飾らせていただくかな」

 と吃驚するようなことを言う。

 本日二度の青天の霹靂。

「今のところ、お言葉だけ頂いておきます」

「何じゃ、自分に関しては自信がないのか」

「いえ、ないことはありませんが、わたしは一般受けが……」

「鈴の作品に他の誰かと似たところはないよ。じゃが、わかる人にはわかる。早水さんもその一人じゃ」

 完全に形成逆転。

 わたしはただ首肯くしかない。

「今度来るときは絵を持ってきなさい。いや、持ってきて欲しい。わしでは心もとないが鈴が常態でいれば見てもらおう」

 その言葉も青天の霹靂。

 鈴さんに絵を見せれば、おそらくわたしの弱点をすべて指摘するだろうから物凄く怖い。

 けれどもわたし自信が気づいていない長所を見出してくれるかもしれないのだ。

 もっとも鈴さんは芸術家で、批評家ではないから、頓珍漢なことを言い出すかもしれない。

 だが、それも一興。

「ところで、お腹が空いたんですが……」

 それまで殆ど空気のような存在だった岡田笙がポツリと言う。

 そういえば時刻はいつの間にかお昼に近い。

 わたしのお腹が急に鳴り出す。

「ああ、そうだな。食べに行くか」

 芹沢館長も思い出したように言う。

 ところがそこに仕事の電話が入り、

「済まんな。今日のところは笙と早水さんで行ってくれ」

 と食事代を差し出す。

 最初わたしも岡田笙も遠慮したが、そんな態度も大人気ないと受け取ることにする。

 鈴さんの問題はまだ解決していない。

 更に鈴さんと岡田笙の母親の問題も手付かずだ。

 だが岡田笙は少し安心したのかもしれない。

 わたしが芹沢館長に提案した方法が鈴さんの病気を少しでも回復に向わせれば、もしかしたらいずれ、すべてが丸く収まるかもしれないと。

「岡田笙は鈴さんがあの後何を言いたかったかわかる……」

 芹沢美術館を辞し、芹沢館長に教えてもらった洋食レストランに向う途中、わたしが岡田笙に問う。

「わたしが絵の題名を想像した後で……」

鈴さんはその後急に疲れが出たようで、一言わたしたちに断ると吸い込まれるように眠ってしまう。

 だから、その先を聞けなかったのだ。

「姉の絵の題名はすべて吉村さんが付けているよ」

「そうなんだ」

「最初は自分でも付けていたみたいだけど、一度吉村さんに付けてもらってからは、おんぶにだっこ」

「絵の題名だけなら、おんぶにだっこ、じゃないだろう。まあ、いずれ鈴さんがそうなれば良いけどね」」

「オレは複雑だ」

「弟としてはそうかもね」

 一先ず会話が途切れ、わたしたち二人が洋食レストランに入る。

 ともにオムライスを注文し、待つ時間にわたしが岡田笙に問いかける。

「ところで岡田笙はどうしてわたしが良いと決めたの。そういえば理由を聞いてない……」

 すると岡田笙が困ったような表情で答える。

「いや、数日前、偶然律子のお姉さんに会ってね。いきなり言われたんだよ。岡田くんはウチの妹が昔から好きだったって自分で気づいていないでしょ、って。それでよくよく思い起こしてみると……」

 えーっ。(了)

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わたしが岡田笙に恋したのはあの彫刻のせいではない り(PN) @ritsune_hayasuki

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