イノセントモーニング

森川めだか

イノセントモーニング

イノセントモーニング


 これが人間? 肉塊じゃないか。

俺はそう思ったね。誰に笑われようと。

ガイ者はただのグシャグシャの血の塊だった。

深村ふかむらさん、どう思います?」

「ただの殺しじゃねえな」

俺は笑われながらそこを後にしたよ。廃油の流れる工場裏で胸がムカムカしたし人に笑われてるから胃がキリキリしたせいもある。俺はよく分かってるんだ、笑われてるんじゃない、そういう気がしてるだけだってことさ。

こうやってるのも気にしないでくれ、人に話してないと落ち着かないんでね。

署に戻った俺は今日見た遺体のことを考えて胃薬を人にどこかで見られて笑われながら飲み下した。

「おいワタル、これ見てみろ」

呼ばれた俺はすぐさっきまで俺のことを笑っていた刑事課長のとこに行った。

「念のため、こいつを洗ってみてくれ」

課長に渡されたのは女の捜索願いだった。課長が言うには、俺が笑われながら聞いたとこにはさっきの肉塊とちょうど同じ日にこれが提出されたらしい。

そういう事はままあるが、まあいい。

樋口八重子ひぐちやえこか・・」俺は即座にその樋口八重子って女にも笑われてる気がしたよ。

「研究所勤務となってますが」課長は首をひねった。俺のことを陰で笑いながら。

「どんな研究所だろうな」席に戻る俺に後ろで課長が呟いたが、それも俺を回りの奴らと指を差して俺を笑ってるんだろうなと俺は思ったよ。

その研究所は明石所在になっている。特に俺は車を運転したい気分でもなかったがその足で運転して行くことにした。

その海近くの「研究所」とやらは保養所みたいなとこにポツンと建ってた。人っ子ひとりいないんで、俺は笑われることもなく上機嫌だった。

応対に出た博士とやらはロングデイルという年取った男で、俺が上機嫌で外をウロついていた時も建物から俺を見て笑ってやがったんだな。

「・・カプセル?」

ロングデイル博士はこの研究所のことをそう呼んでるらしい。確かに樋口さんはこの所、無断欠勤ですよ、とも言う。俺は周りで俺を笑ってる奴らがいるような気がして気が気でなかったが。

「ちょっと見せてくれますか、中」

ロングデイルは少し困った顔をしていたが、腹の底ではこんなバカな事を言う俺を指を差して笑ってるんだろう。

「歯ブラシの研究か何かですかね」

それはこの建物が真っ白いせいもある。まるで雲に溶け込むカモフラ柄みたいに白いでやんの。

俺が案内されたのはカーテンが引かれた大窓の前だった。というか、この研究所はそれしかないみたいに思えたな。入口を入ってすぐそこで、研究員とやらはその狭いスペースであっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。モニターが何個かあって今はどれも黒くなっていた。

「このモニターで中の様子を観察でもするんですか」

「そうです」

どうせ俺を笑ってる奴らを隠しているんだろう。俺は頭が白くなって周りの笑いに堪えていた。

「早く開けてくれませんか」

「これは・・口外無用ですよ」

「分かっています」

分かっています、と言いながら俺はイライラしていた。俺を笑って何が楽しいんだ!

開けられたのはカーテンではなく、録画用のモニターの画面だった。笑うのも程々にしろ、そうやって俺を笑ってるんだろう。

「今は中は夜なんでね、二人とも寝ているんです」ロングデイルは訳の分からないことを言った。そして俺を笑って、周りの、後ろの奴も声を立てないように俺を隠れ笑いしてやがる。

モニターに映し出されたのはある少年と少女の二人が部屋の中にいる、それだけだった。

「この子はラブー、女の子の方はラビー」ロングデイルはまるで自分の子供でも差すようにその柔らかそうな指で教えてくれたよ。

ラブーはloveu、ラビーはloveeの語呂合わせらしいが、なぜそんな名が許されたのかは博士の説明を聞くまでは分からなかった。

ロングデイルは分かりやすく説明してくれた。この二人は人工的に作られた最初の人間で我々はそれを24時間監視、違う、観察しているのだと。

俺は笑われてることも忘れて驚いていた。俺は知らない内に国家機密でも握っちまったんじゃないか。

「それで中は今は夜なわけなんですね」モニターは一時停止されていた。

「あの子たちの体内時計に正確に合わせておりますので、一日一日変わります」

畜生! 俺を笑いやがって。

「で、その一端を見せてくれると?」

嫌々なんですが、とロングデイルの顔には書いてあったよ。その前に俺の電話が鳴ったもんだから俺はその場をちょっと中座した。当然のごとく出ていく俺を誰も彼も盛大に笑っていやがった。

「別人? 樋口八重子じゃなかったのか」電話は鑑識の結果でそれは誰のものか分からないがともかく家族に提供された八重子の型ではないということだった。電話の向こうでも笑いを感じたよ。

「そうか、ご苦労。だが、俺はこれを続けるよ。いいだろ? こっちも何かニオうぜ」

向こうじゃ笑っていたが、それは毎度のことだったから特に恨まなかったぜ。

「失礼しました、ちょっと電話が」俺はわざとらしく電話を隠して用件を言わずモニターの前にドッカと腰を下ろした。

「今からお見せしますのは一日の記録です。まあ、お見せできるのは今のところそれぐらいだと理解してもらいたいのですが・・」

「ええ、ええ、分かってますよ」

カーテンの奥からは相変わらず物音一つしない。俺を陰で見てて笑ってるのは分かってるが。

巻き戻しされたテープは再生に回った。そこにはラビー一人だけいて床で何か遊んでいたな。そこに画面の端からラブーが出てきた。

「結局、お前だけが友達か」ラブーはラビーを見下ろして行った。細い声だったな。

「外に出てきた」そう言ってくっつくでもなくラブーはそこの床に座った。

モニターに映る窓の向こうでは雲が離れて浮かんでいる。

「誰かが僕を見ている?」ラビーがラブーの後ろを指差して、ラブーは後ろを振り向いた。それはこのモニターの近くだった。

聞こえてくるのはラブーの声だけなんだな。この子は喋れないのか? と訝しく俺はロングデイルに目を向けた。

そうなんです、と目でロングデイルは肯いていた。腹の底では俺のことをとやかく笑ってるくせに!

「口がきけないんですか」

「何せ、初めての実験でしたから・・」

いやしかし、見れば見るほど信じられない。誰かが俺を騙して笑っているんじゃないか。このモニターに映る二人はどう見ても人間だ。普通の人間だ。白猫みたいに色が白いが。

ラブーは何かふてくされて、つまらなそうに白い床を見ていた。照明はほのかなピンク色で二人の顔色をよく見せていた。

「神様は僕が何か悪い事をしたと思ってるらしい」そうラブーは呟いた。

「畜生!」ラブーは床を拳で叩いた。

俺は目を疑ったよ。あまりにそっくりだったので自分のことかと思ったほどだ。

「この世界はコラージュだ。一枚じゃ分からない」誰に言うでもなく、ラブーが口にした時にモニターの録画は終わった。

俺をモニターを見ている間も笑っていた奴らも奥に引っ込んで、中にはロングデイルと俺しかいなかった。きっとちょうどランチの時間だから弁当でも何でも食べながら俺の笑い話でもしているんだろう。

「この子が・・、ラブーが初めて口にしたのは、白いシャツが欲しい、だったんですよ」思い出話でもするようにロングデイルはやけにしみじみと言った。

「ふーむ、要約は分かったような気がしますが・・」こんな研究を続けてどうするんです? と思った。生命の倫理だの尊厳だのは野暮だから言わなかったがね。

「まあ、私が来たのは樋口さんのことを調べに来ただけで。樋口さんもこのような研究を続けていらしったのですか」

「我々は命も生活もこの二人に捧げていますよ」ロングデイルは笑った。優しい笑い顔だったが、俺を笑う時はもっと意気地の悪い嫌な笑い顔をしているんだろうぜ。

「そうですか・・。何か心当たりはございませんか。殺されたのは樋口八重子さんなんですがね」俺はカマをかけてみた。

「さっき電話で確かめましたが」

ロングデイルは驚愕した顔をした。そしてカーテンの方を見て、「そんなはずは・・」と思わず口走った。

「何かお知りなんですね」

「い、いや、私は・・」ロングデイルは下を向いた。もう俺を笑う余裕もないみたいだった。

「話してくれませんか。殺されたのは樋口八重子さんではなく誰なのか」

「・・ラビーです」

俺もカーテンの方を見た。

博士が笑いながら話してくれたことにはラブーがある日、ラビーを殺したらしい。

「犯すことしか知らなかった。発覚を免れようとして・・」それを言うのがやっとだったよ。だがそれを黙って観察していたってわけだ!

「なるほど、で、あの肉塊は何なんです? どうしてあんな姿に? 人工的に作られた人間には超能力でもあるんですか」

「あれはロックスパンです」

「ロックスパン?」

博士の言うことにはこのカプセルとかいう研究所の敷地外にある「身体をグチャグチャにする機械」のことらしい。また俺を笑ってやがる。ランチが終わったか。別室に移動したのだが。

「縦横から岩でグシャグシャにするんですがね、何のためにそのような機械があると思いますか」

「さあ」

「食べるためです。食べるため、もしも彼等のような人類が生き残ったらエコノミーの私たちを食べるためです」

「つまり我々は彼等の未来の食料になると?」

「つまりそうなりますね」ロングデイルは笑いもせずに言った。俺の肌感覚には笑われてる気がビンビン、アンテナに届いているのだが。

「しかしロックスパンの鍵を持っていたのは樋口さんだけなんですよ」

「それじゃラブーを逮捕できない」

全く警察は手続き上の仕事だな。八重子の証言でも何でも何か取らなければ何もならない。

何を誤解したのか、ロングデイルは俺に取りすがった。

「彼等はシートモデルなんだ! 人類の存続に関わる未来なんだ」こんな醜態を演じて俺をみんなで笑おうって気なんだろう。俺は腕を振りほどいた。

「これは人類淘汰の歴史なんですよ」今度は泣きそうになってロングデイルは俯いた。俺を笑う計画が台無しになって悲しいのか。

「スキニーレッドの連中の犯行ということにしてくれませんか」

「スキニーレッドとは何ですか?」

「私たちの研究を、どこでどうやって嗅ぎ付けたのか反対している連中のことですよ」

「ま、それも調べてみますがね」

俺はカプセルを後にした。カーテンの中を覗こうとしたが中から閉じられてるので無駄だった。俺を笑ってる奴をちらっとでも見るつもりだったのに。

しかし、壮大な人体実験隔離施設だな。俺は俺を笑うために待ち構えていた奴らがズラズラいる通りを歩きながら上手く回らない頭で考えていた。

質量保存の法則について考えていた。要するに質量は後にも先にも変わらないという話だったな。では、自分の肉を食べているのと同じだけか、奴らが俺らを食うことになっても。

いつかああいう未来人が増えて俺らが死んでもこの地球上の質量は変わらないのだ。

「ワタル、スタンドプレーはいかんぞ、スタンドプレーは」課長は俺が署に帰るなり笑い出した。俺が帰る前も俺を種にして笑っていたんだろうが。いや、ラブーやラビーのように24時間俺を監視して、みんな笑っているんだろうか。

「しかし、面白いことが分かりましたよ。今は何とも言えませんがね。私は八重子探しをやめませんよ」

俺は博士に聞いたスキニーレッドの暗号を検索サイトにかけてみた。おかげでドギツい赤のページに辿り着いた。

不可人つとむ計画をぶっ潰せ」とドクロの上に血文字で書いてある。不可人計画というのは今もカプセルで行われているあの研究のことだ。

俺はそこに樋口八重子の情報を探したがなかった。ただ職員の顔写真が載っていてそれをコピーした。

樋口八重子を見つけるのは訳なかった。明石とは違うが千手湾近くのカルチャーセンターで本名で講習を開いていたからだ。俺はコピーした顔写真を持ってそこに行ったが本人だった。

「探しましたよ」

八重子は寄せ植えの講習を取り止めて俺とカルチャーセンターの別室で話し込んでいた。あちらこちらで講習に訪れたのかじいさんばあさんの狂ったような笑い声が聞こえて、俺まで気が変になりそうだった。

「これからは子供を生むんじゃなく自分を人工化するべきです」話を切り出すなり、八重子は研究員らしい生真面目な口調で早口で言った。俺は人に笑われてるのが分かって手が震えていたが、それを黙って聞いていた。

八重子がパーフェクトイブという不可人計画の私家版とでもいうような計画はそうだった。不可人の行き詰まり、ラビーの失敗を糧に自分自身を完全な人工人間にする計画を立てたのだ。だからあのカプセルの研究所も辞めるつもりらしい。

「いや、私はそんなこと聞きたくないんですよ、もうねえ・・。私が聞きたいのはラビーの遺体をどうしたかという一点ですよ。あなたがラブーに鍵を貸したんですね? そしてあなたがあの肉塊を外に運び出してここにいる、違いますか」

「私はラブーに鍵を渡しました。そうして、ここにいます」

「これで裏付けが取れました。これでラブーを逮捕できます」俺はさっさと席を立った。

「深村さん、ご存知ですか、不可人、あのカプセルにいるのはマンタの皮膚免疫から作るんですよ」

「ほう」ほう、だ。これで俺が笑われるのは決定的だな。語り草だ。

泣いている八重子を残して、俺は車を運転する気になれなかったが明石まで飛ばした。

「樋口さんから聞きましたよ、パーフェクトイブだか美人白肌化計画だかの計画も聞かされましたがね、そんなことはさておき、ラブー君を逮捕しに来ました」

ロングデイルはショゲて二倍にも三倍にも小さくなって見えた。

俺は違う入口から入ってあのカーテンの部屋に入った。そこには小さな男の子がいて俺を笑ってもいなかった。飾り暖炉のすぐそばに座っていた。白い床だと思っていたカーペットにはまだ血の跡が気をつけると見えた。

「自分がこの世界を作り出してる、って思ったことない」プーと口をふくらませてラブーは俺に言った。

後ろからついて来ているロングデイルが後ろで笑っているのが分かったから言わなかったが俺は、ある、と答えた。こうやって俺を笑っている奴らも俺が作り出したんだと何度も思った。

誰かに笑われてるんでなければ俺の人生は一遍にバラ色だ。

それか、一生静養するしかないのか。

天使がよそ見してる。今日はカーテンが引かれていない外には白い雨が降っている。

これもモニターでモニターされてるのか。そうやって俺らとショゲてるロングデイルを笑っているに違いない。ここは凝った動物園みたいにガラス越しから向こうの研究員たちが見えないようになっている。

「夢を見るぐらい眠いから」ラブーは俺の目をつめていた。

俺はそっと手を差し伸ばしてラブーの体を抱き上げてやった。

「俺も人が虫みたいに怖くなったよ」俺はラブーにだけ聞こえるくらいにか細い声で囁いた。ラブーはそれを聞いてもう眠っていやがったが。

風でしか鳴いてない。

もう何も守ってくれない。

「僕なんか置き腐れ!」ラブーがうなされて大きな声で怒鳴った。それだけは笑い声とは無縁だったな。

ロングデイルもモニターを見ている奴らもまだ笑っていやがったが、俺がガチャッとドアを開ける時にラブーを起こしちまった。

「悪い事したからだ」自分に言ったのか、ショボンとラブーは俺に言った。言いやがった。

そして、床の方を振り向き、「さようなら、マイスウィートハニー」と言ったよ。

良くなることを信じて今日も眠る。

無駄なことをして日々も重なる。

ちぎれちぎれの意識の中で目を開けたり閉じたりした。

その朝、ロングデイルにカプセルに呼び出された。

カプセルの中にはラビーが一人だけいた。しかしそれはあの時モニターで見たラビーとは少し違う風に見えた。樋口八重子に見えるのだ。

「またラブーの方も製造する予定です」ロングデイルは笑いながら俺の横でカプセルの中を覗き見ながら言った。

俺の見間違いだろう、どうも違うようだ、とても似ているが・・。

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イノセントモーニング 森川めだか @morikawamedaka

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