第五章 巨人の森の遺跡3
「いない……」
リックは首をめぐらしながら言った。
「探知魔術にも引っかからないわね」
シュゼットも部屋を見まわした。
神像のほかは、祭壇くらいしかなかった。場所によっては壁画や飾り細工や奇妙な彫刻などがあるのだが、ここにはそういったものはないようだ。
祭壇も、ただ天然の石をくり抜いて整えただけで、凝った飾りはついていない。
場所によっては異常なほど精巧な細工を施している場合もあり、ろうそくやランプをはめる部分を設けていることもある。
だが、この神殿はごちゃごちゃとした飾りつけを嫌い、簡素であることを至高としたようだ。
シュゼットの好みから言えば、こちらのほうが好きだった。
無造作に見えて、床や壁、天井などは綺麗にならしてある。魔術でやったのだろうが、意外とこういう作業は難しいものだ。
祭壇にしても、美しく形を整えるのは、そう容易なことではない。
「これを見たかったの?」
「え?」
「あなたたちが、どうしてこの神殿に来ようと思ったのか……って疑問がね」
シュゼットは微苦笑を浮かべた。
「ただでさえ魔女の夜会から追われていて、とても大変なときに、わざわざ変異種と遭遇する危険を冒してまで、神殿に来る必要はあったのかしら? って。不思議なのよ」
「それは……」
「実際、あなたたちは呪言種に襲撃されたわけだし――」
「ごめんなさい……」
リックはしゅんとした様子で謝った。
「責めてるわけじゃないのよ。ただ、本当にどうしてだったのかと思って」
リックはしばらく答えなかった。が、やがてぽつりと、
「確かめたかったんだ」
「何を?」
「昔の――天変地異が起こる以前の人たちが、どういうふうに暮らしていて、生きていたのかってことを。自分たちの目で、ちゃんと」
「それを知ってどうするつも――」
言いかけた途端、シュゼットの探知魔術に反応があった。
即座に神殿の外で小爆発が三度、距離を置いて起こる。轟音とともに熱を持った突風が、シュゼットの背中に吹いてきた。
慌てて振り返るが、視界には何も映らなかった。変異種らしき姿は見えない。
でも――いる!
シュゼットの探知魔術にひっかかっていた。間違いなく変異種だ。
後方地点、ちょうど部屋の入口に当たるであろう辺りにいる。
シュゼットは迷うことなく追撃の魔術を放った――瞬間に敵が姿を現した。強烈な爆炎を受けてもまったく動じず、悠々と白煙のなかから姿を現した。
体長はシュゼットの倍くらいある。見た目はオオカミに似ているが、前足の爪が異様に長く、人間の前腕くらいあった。
だが、なによりもシュゼットの目を引いたのは頭の数だった。オオカミの形をした顔が、全部で三つもあったのだ。
しかもそれぞれの額に第三の目があって、合計で九つの無機質な瞳が、じっとのぞき込むようにリックを見ていた。
シュゼットが容赦なく追撃をかけようとしたところで、変異種の姿がかき消えた。
次の瞬間、シュゼットは反射的に防御障壁を――それも赤光石を砕いて、強度を二倍に増したものを――張りめぐらせていた。
そしてシュゼットは背中に強烈な衝撃を感じた。
振り向いた瞬間、変異種の鋭い爪が目に入り、同時にリックが変異種に襲いかかるのが見えた。
しかし、リックが咆哮とともに自前の爪で相手に切りかかろうとした途端、変異種の姿が消失した。
シュゼットは目で追わず、探知結界で相手の位置を探り、同時に攻撃を仕掛けた。今度は爆炎ではなく氷を喰らわせる。
敵は部屋の入口まで退避していた。巨大な氷柱ができあがり、なかに変異種が閉じ込められる。
しかしシュゼットがさらなる攻撃を加えようとしたところで、突如として変異種の体がふくれあがった。
巨大化だ。
体長が、突然倍以上にふくれあがる。自身を閉じ込めていた氷柱を破壊し、さらに天井の一部をも崩落させて変異種は姿を消した。
探知結界は、部屋から離れた位置に変異種がいることを教えてくれた。
変異種は瞬間移動せず、そのまま走り去って探知結界の外へ逃げようとしていた。
シュゼットはかまわず攻撃を仕掛けるが、変異種に雷を喰らわせた直後にまた位置がわからなくなった。瞬間移動されたのだ。
「追いかけるよ!」
リックはシュゼットを抱え上げると、すぐさま部屋の外へ飛び出した。
暗くてよく見えなかったが、かなり大きな空洞のはずだった。辺りは完全に闇に呑まれていた。
「ちょ、ちょっと待って! 止まってリック!」
シュゼットは慌てて言い、リックはたたらを踏んで立ち止まった。
「なんで!? あいつだよ! 間違いない! あいつがロゼールを――!」
「落ち着きなさい、リック。相手はこっちを眠らせることができるのよ。迂闊に接近して呪術を喰らったら一巻の終わりだわ」
シュゼットは照明となる光球をぽつりぽつりと増やしながら言った。
ひとつだけでは足りない。できるだけ多く発生させ、濃い影を作らないように注意した。探知結界は解除しない。
だが、それでもなお、死角となる部分を作りたくなかった。少なくとも自分の周囲が闇に閉ざされることは避けたい。
神殿の前にある空洞は、シュゼットが考えていた以上の大きさだった。
広場をまるまる照らせるくらいの光量を出したのに、まだ空白となる見えない暗闇があった。
見える範囲に敵影はない。
「とりあえず、今の短いやりとりで相手の能力もだいたい把握できたし――」
「え?」
リックはびっくりした顔つきで言った。
「わ、わかったの……?」
「全部ではないでしょうけどね」
シュゼットは人差し指を立てた。
「まずひとつ、あいつが持っている呪術は最低で三種類以上あるわ」
「眠らせるのと瞬間移動だよね? あとひとつは?」
「リックも見たでしょう? 巨大化よ。いえ、小さくもできるみたいだから、正確には肉体変化のたぐいなのかしら?」
最初、変異種の姿は見えなかった。即座に瞬間移動したせいかとも思っていたが、氷柱の一件を見るかぎりでは違うようだ。
あれはあの変異種の呪術によるもの。おそらく見つかりづらいように体を小さくして接敵しようとしたのだ。
「動きそのものも速くなっているようだから、たぶん肉体そのものも大きさに応じて強化できると考えられるわ」
「じゃ、小さかったら弱くなってるってこと?」
「おそらくね」
最初の一撃を弱めに設定しておいたのは失敗だったかしら……?
そう思ってシュゼットは己の不覚を恥じた。
探知結界のなかに入ってきた直後は油断していたのだろう。だからこそ三度も連続してシュゼットの攻撃を喰らっていた。
増幅した一撃だったら、仕留められたかもしれない。
「まぁ終わったことを嘆いていても始まらないし……」
シュゼットはため息をついてから話題を変えた。
「それと瞬間移動のほうは連続三回が限界みたいね。三回連続で発動すると、多少の間を置かないと瞬間移動できないみたいだわ」
「どうしてわかるの?」
「連続して使ったのが三回だけだったからよ。わたしたちのところへ接近するとき、あの呪言種は三度、わたしの攻撃を喰らってる。そのあと部屋の入り口からわたしの背後に移動するのに一回、リックの攻撃を避けるために一回、さらに退避するために一回――合計で三回よ。そして移動距離は長くないらしいわね」
接近するときの動きがそうだった。攻撃を受けているのだから、できるだけ早く敵のもとへたどり着きたかったはずだ。
なのに一気に距離を詰めてくることはしなかった。逃げるときもそうだ。
シュゼットの探知範囲外へ瞬間移動せず、わざわざ走って逃げていた。これはつまり、長距離の瞬間移動、連続移動はできないことの証明だった。
「厄介な能力ではあるけれど、種が割れていればどうとでもなるわ」
「僕たちだけでも対処できるってこと?」
「現時点ではね。ほかに変異種もいないし、何か隠された能力がないかぎりは――」
不意に爆発が起きた。
シュゼットの張った探知結界に変異種が飛び込んできたのだ。ひとつだけではない。反応は複数だ。
シュゼットは爆発のあったほうへ光球を飛ばし、辺りを照らし出した。
爆炎の煙にまぎれて、黒い靄のようなものが散っていくのが見えた。
変異種だ。
変異種を倒した際に消えるのとまったく同じ現象、しかも探知結界の反応から察するに、間違いなく無数の変異種が突撃してきている。
明かりをより強くすると、小型の変異種が高速で突っ込んでくるのが見えた。
シュゼットの探知結界に入った途端、自動的に迎撃され、変異種は雲散霧消する。
「こんなにいたの!?」
だが、所詮は小物だ。数で攻める心づもりなのだろうが、雑魚がいくら来ようとシュゼットの探知結界による攻撃からは逃れられない。
走って突っ込んできていることを見ても、あの呪言種は自分以外の存在を瞬間移動させられないようだ。このぐらいならば、まだどうとでもなる。
シュゼットは探知範囲を一時的に広げた。索敵し、雑魚を一気に殲滅しようとする。
次の瞬間、突撃してくる変異種の大きさが変わった。小さかったはずの体が進むほどに巨大化し、見る間にゾウを超えるほどの大きさに成長してしまったのだ。
否、変異種の体はなお大きくなっていた。
ほかの変異種も同様だ。近づくほどに巨体になっていく。当然、微弱な魔術攻撃など物ともしない。
シュゼットの探知結界に入っても、ひるむことなく突撃してくる。
シュゼットの思考が旋律のようにあふれ出て、彼女の脳内を駆けめぐった――増幅を……!
いえ、ここで派手にぶちかますと崩落の危険が!
本体――あの呪言種を見つけて撃破すれば……!
巨大化はあの呪言種の呪術!
自分だけでなく、ほかの変異種も巨大化させるあの力!
先に探知して――いえ! 間に合わない!
敵のほうが速い!
やはり増幅して……!
上の岩盤ごと吹き飛ばせば――!
錯綜した思考のなかで、シュゼットが出した結論――それは、自分の周囲すべてを一挙に消し飛ばす攻撃だ。
しかし、彼女が七つの赤光石を握りしめてぶちかまそうとした瞬間、横にいたリックが猛然と動き出した。
シュゼットを抱きかかえると、一匹の変異種にむかって突進。そのまま強烈な蹴りを喰らわせて吹っ飛ばし、逃げた。
走り去っていくリックとシュゼットの背後で、変異種が岩壁にめり込み、轟音と地響きを立てていた。
シュゼットが首を動かして見ると、半ば闇に隠れた変異種の体が雲散霧消し、黒い靄になって消えていくのが見えた。
洪水のような怒涛の勢いでリックは進んでいく。途中にいる変異種も蹴っ飛ばし、リックは大地を蹂躙するように駆けていった。
あっという間にシュゼットたちは包囲網を抜け出し、周囲からは音が消えた――リックは足音を立てないように走っていた。
聞こえるのは、シュゼット自身の荒い息遣いと早鐘のような心臓の鼓動ぐらいのものだ。
驚いた……シュゼットは素直に感心していた。
形勢不利と見るや、すぐさま逃げることを選択し、おまけに敵の包囲網の薄いところを的確に選んで突撃していた。
十一歳とは思えないほどの判断力と行動力だ。
今も――シュゼットが一時的に暗視ができるように魔術を使ってこっそり見てみると――頻繁に耳を動かし、さらに鼻も使って匂いを確認しながら移動している。
慌てた様子はまったく、その表情は冷静そのものだった。
すぐに魔術が切れて、シュゼットの視界は真っ暗になった。光球で照らすのと異なり、夜目がきくように魔術を使うのは難しく、光石の消費も激しい。
シュゼットは何も見えないなかで、リックにぎゅっとしがみつき、そのぬくもりを感じた。
――明かりは、まずいわよね……とシュゼットは思った。敵に見つかる危険が大きい。
ここはこの子に全部任せるしかないのかしら?
彼女がそんなことを考えていると、リックが小声で言った。
「怖い?」
「え?」
言われて気づいた。シュゼットの全身が緊張でこわばり、大量の汗をかいていたのだ。彼女はそっと息をつき、呼吸をととのえながら体の力を抜いた。
リックの優しい声がした。
「大丈夫だよ。ちゃんと外まで連れていくから」
リックは力強くシュゼットを抱きしめた。彼女は呆けたようにリックを見たあと、口元に優しげな笑みを浮かべた。
「頼りにしてるわ」
シュゼットは目を閉じて、リックの肩に頭を載せた。
あの場面、リックがいなければ命を落としていたかもしれない。油断したつもりはないが、様々な点で敵がシュゼットの上を行っていたことは確かだ。
カニスたちが変異種狩りを行なったばかりだから安全だという情報。
森のなかはもちろん、砦にも地下の洞窟にも変異種がいなかったことから敵は呪言種のみと誤認したこと。
なにより敵の戦力を甘く見積もってしまったこと――これらが複合的に重なって、シュゼットは窮地に陥っていた。
慢心――とは思いたくなかったが、先ほどの場面は危うすぎた。岩盤ごと吹き飛ばすとはいっても、敵の数も強さも不明のままなのだ。
結局のところ、苦しまぎれの反撃にすぎない。
いたずらに赤光石を浪費した挙句、敵の大軍勢に包囲され、魔術が使えなくなったところを一方的になぶり殺しにされる可能性すらあった。
リックがいてくれて本当によかったと彼女は思った。
自分ひとりで先ほどの場面に遭遇していたら、あそこですべてが終わっていたかもしれない。
頼りになる相棒でよかったと思うと同時に、やっぱりこの子は昔の自分とは違うのだ、とも感じた。
暗闇のなかでリックに守られつつ、シュゼットは小さく笑った。
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