第五章 巨人の森の遺跡2
「今さらそんな忠告は不要よ。わたしはこれでも一人前の空挺手なの。危ないと思ったら、即座に逃げさせてもらうわ。もちろんリックも一緒にね」
リックは目を丸くした。
「とりあえず相手の力量がわからないし、もし呪言種と遭遇して、勝てそうにないと思ったら逃げるわ、すぐにでも。わたしたちまでやられてしまったら、助けられるものも助けられないもの。リックだってそうよ?」
「でも、僕たちふたりで勝てなかったら……」
「その発想が間違っているのよ」
シュゼットの苦笑いに、リックはきょとんとした。
「別に、わたしたちで呪言種を仕留める必要はないんだから」
え? とリックは呆けた顔をした。
「言ったでしょ? カニスやフェーレースにとってはね、呪言石は栄誉の証なのよ。ここに呪言種がいるとわかったら、彼らは間違いなく仕留めにやってくる。リックは、呪言石のほうには興味がないんでしょ?」
「僕、そもそも呪言石の存在を知らなかったんだけど……」
だったらなおさらね、とシュゼットは笑った。
「別に、倒すのはほかの連中に任せてしまってもいいのよ。呪術は、かけた呪言種が死ねば勝手に解けるものだから、呪言石の入手は必須ではないし、ロゼールを目覚めさせるだけなら、わたしたちで討伐する必要もないの。ほかの――それこそカニスなりフェーレースなり、近場の里の連中に教えてやれば勝手に狩ってくれるわ。なんなら今から戻ったって別にかまわない。一度ここまで来ているわけだから、この遺跡の奥に呪言種を見かけたと持ちかければ、わたしたちが直接戦わなくっても、勝手に周辺のフェーレースやカニスが狩りに来てくれるわ」
「勝手に……?」
「そうよ。だから」
とシュゼットはいたずらっぽく笑って、片目を閉じた。
「どうしても不安なら、今すぐ逃げちゃいましょ」
リックはぽかんとした様子でシュゼットのことを見つめていたが、やがて吹き出した。
「そっか、そういう選択肢もあるんだ……」
「そうよ。変異種はみんなの敵なんだから『自分たちだけでなんとかしなきゃ!』なんて気負う必要はないの。しかも相手は呪言種だし、カニスとかフェーレースとか、そういう手慣れた連中に任せてしまうのもひとつの手なのよ」
「じゃあ、今から戻っちゃってもいいのかな?」
「そこはリックの判断に従うわ。実際に遭遇したのはあなただし、わたしたちだけだと戦力に不安がある、倒せそうにない……っていうなら、クニークルスの里まで戻って、カニスへの仲介を頼むのも選択肢のひとつだわ。呪言種がいた場所への案内と、呪言種との戦いに手を出さないって条件を出せば、たぶん動いてくれるだろうし」
「手を出すなって?」
「部外者に手伝われたら、自分たちの手柄にできないでしょう?」
彼らにとっては、自分たちだけで撃破してこそ完全な勝利なのであり、ほかの仲間(たとえ、それが同じカニスであっても)の力を借りて倒したのではダメなのだった。あくまでも己の力のみで倒さなくてはならない。
「でもカニスって集団で戦うんじゃ?」
「いくつもの隊に分かれてるのよ」
カニスは集団で行動するが、もちろん里の者が一丸となって動くわけではない。彼らは気の合う仲間と組んで活動するのだ。
それらは○○隊とか××隊といった名前で呼ばれ、おおむね三人から六人程度が集まって戦う。狩りに行くにも、変異種を討伐するにも、必ずこの隊を基準にして動くことが取り決められているのだ。
「大規模な討伐だと、誰かが複数の隊を統括して動くことになるわ。あらためて確認しておくけれど、敵はロゼールに呪いをかけた呪言種一体だけでいいのかしら? ほかに変異種がいたりとか、そういうのはあった?」
「いなかった――はずだよ。少なくとも僕とロゼールが戦ったときはそいつだけだった」
「能力は? 眠らせるだけ……じゃないわよね。リックがいたんだから」
さすがに遺跡のなかなら、リックもそれなりに警戒しているだろう。変異種が接近してくれば、あの超人的な聴力で気づいたはずだ。
「うん……よくわからないけど、突然目の前に現れたんだ」
「突然? なんの前触れもなく?」
リックはうなずいた。
「それにいきなり姿が見えなくなって、また別の場所に現れたり……」
「瞬間移動能力でも持ってるのかしらね」
「これも呪術なの?」
「たぶんね。つまり、眠らせる力と瞬間移動する力のふたつか」
どちらも厄介な能力だ。しかもリックですら捉えきれないとなると……。
「でも、シュゼットなら魔術で相手の位置を探知できるんだよね?」
「確かに探知魔術はさっきからずっと使っているけれど」
突然、目の前に呪言種がやって来たとして、うまく対応できるだろうか?
「やり方次第、かしらね」
探知した瞬間に変異種を攻撃すること自体は容易い。そのように魔術をあらかじめ組んでおけばよいのだ。
範囲内に入ってきた敵に対して、自動的に攻撃が発動するようにしておけば、問題なく迎撃できる。
難点は相手の区別がつかないことだ。
仮に呪言種が、自分以外の存在も強制的に瞬間移動させられるとしたら、シュゼットは本命以外の敵に対して、ひたすら魔術を無駄撃ちする形になってしまう。
赤光石が無限にある環境ならそれもありだが、実際には数にかぎりがある。無駄な消耗はできるだけ避けたかった。
「少なくとも敵がその呪言種だけなら問題ないと思うわ」
「なら、僕らだけで倒せると思う。ほかの変異種はいなかったはずだし」
「わかったわ。なら、とりあえずは進んでみましょう。そもそも目的の呪言種がまだここにいるのかどうか、わからないのよね。リックに逃げられたことで身の危険を感じて、根城を変えている可能性もあるわけだし……カニスかフェーレースに話を通すにしても、やっぱり確証を得てからのほうがいいかしら?」
シュゼットはため息をついた。リックが小首をかしげて、
「ひょっとして、クニークルスの里で呪言種の情報を話さなかったのって……」
「任せちゃってもよかったのよ。ただ、知らせて呪言種がいなかった場合――いらぬ恨みを買いそうだったから」
ただでさえ魔女の夜会に追われていて、このうえカニスにまで目をつけられるのはごめんだ。
なによりカニスは横のつながりが強いと聞く。
下手をすると、風のうわさに乗ってシュゼットのよくない情報がサーブリー大陸を駆けめぐる可能性さえあった。そうなると、今後はこの大陸で活動しづらくなる。
「知らせるにしても、一度様子を見てからのほうが……って考えちゃったのよね。完全に保身だけれど」
「じゃあ、とりあえず先に進んで確認したほうがいいんだ?」
「安全策をとるなら……って言い方も変だけれど、そうね、カニスを敵にまわさないという意味では、そっちのほうが上策だとわたしは思うわ」
「うん、わかった。じゃ、危なくなったら即座に逃げる……だよね?」
「危なくなくっても、逃げていいのよ? とにかく呪言種がここにいるんだと確認できさえすれば、それでいいんだから」
シュゼットは笑ってみせた。
ふたりは慎重に進んでいき、やがて砦の中央部分にまでやって来た。もともとは中庭か何かだったのだろう。四方を壁に囲まれ、空が見える。
手入れのされていない芝生がぼうぼうに伸びていた。巨大化しているので草丈がシュゼットの胸あたりまである。
中央にひときわ大きな樹木があり、リックはその木にむかって小走りに駆け寄っていった。
「ここだよ、シュゼット。この下」
「下?」
シュゼットはリックが指さす先を見た。
芝生のせいでわかりづらいが、木の根元に大きな穴が空いている。相当な古木のようで、枝葉が中庭全体を覆い尽くすほどにまで生長していた。
巨大化により、幹も枝も葉もさらに大きくなっている。草をかき分けて穴をのぞくと、どうやら木の内側は空洞になっているようだ。
照明用に光の球を作って照らしてみると、地下にむかって続いている。光球を操作して下のほうまで照らしてみるが、底がどうなっているのかはわからなかった。
「よくこんなの見つけたわね……」
「ここに住んでいた人たちは、地下に神殿を作っていたんだって。地母神エイグを祀っていたそうだから」
「ふぅん、大地の神だからこそ大地のなかに神殿を作ったわけね」
なかなか興味深い話ではあったが、今は神さま談義を楽しんでいるときではない。
「これ、降りられるのかしら?」
「大丈夫だよ。前に来たときも、僕がロゼールを抱っこして降りたから」
リックはシュゼットを抱え上げると、木の幹にぶつからないように注意しながら穴のなかへ入った。
光球はまだ消していなかったので、シュゼットは自分たちの近くまで戻し、辺りを照らしてみた――といっても、リックは落ちるように地下へ駆け下りてしまったので、結局は観察するヒマなどなかったが。
地下はとてもひんやりとしていた。
地下水が湧いているのだろう。どこかから水の流れる音が聞こえてきた。
シュゼットは光球を自分の手許に戻した。今度こそ、きちんと辺りの様子を観察する。
といっても、見た目は普通の洞窟と変わりなかった。人為的に掘ったわけではなく、天然の鍾乳洞をそのまま再利用したらしい。
天井は場所によって高かったり低かったりした。足元にしても一定の傾斜を保っているわけではなく、いきなり崖のようになっていたり、逆に壁のように盛り上がったりしていた。
「神殿は?」
シュゼットは首をめぐらしたが、それらしいものは見当たらない。
「もっと先。結構歩くんだ。ここ、本当の入り口じゃなかったみたいだから」
リックは上を見上げて、ぼやくように言った。
ずっと上のほうから外光がかすかに入ってきていた。空気中のほこりが小虫のように見える。
「そりゃ、あれは正規の入り口じゃないでしょうしね」
おそらく砦のどこかに神殿へ行くための階段があったのだろう。ただ、長い年月で砦が崩れ、土のなかに埋まり、階段は使えなくなってしまったと考えられる。
「じゃ、悪いけれど、このまま運んでもらっていいかしら?」
人が歩くように整備されていないので、人間の足では移動に難儀しそうだった。
「いいよ、前に来たときもそうだったし。それに……」
「それに?」
「変異種と遭遇する前に疲労してもらっても困るから」
「しっかり休ませてもらうわ」
シュゼットはいつ襲われても大丈夫なように探知魔術を使い、そして変異種が来たら自動的に迎撃できるように細工をした。
様子見ということでそれほど強力な攻撃ではなかったが、牽制にはなるはずだった――少なくとも不意打ちを喰らうことはあるまい。
リックは軽やかなステップで洞窟のなかをするすると進んでいった。
歩きを困難にする高低差も、でこぼこの岩場も、途中にある水たまり――というより地下水脈――も、リックにとってはなんの造作もなく越えられる程度の障害でしかなかった。
人間なら転げ落ちてしまいそうなわずかな出っ張りに足を載せ、リックはふわりと飛ぶように地下水脈のうえを突破する。
天井が低くて、跳ぶと頭をぶつけそうなところは、シュゼットを片手で抱いて、もう片方の手で天井のくぼみに指を引っ掛けて、先へ先へと器用に進む。
そうして、おおよそ二十分ほどだろうか。
シュゼットとリックは神殿の手前までやって来た――急に道がなだらかになり、高低差がなくなって歩きやすくなったことで、シュゼットにもここが神殿だと理解できた。明らかに人の手が入っていた。
シュゼットは地面に下ろしてもらい、自分の足で立った。
硬い石の感触が靴ごしに伝わってくる。目の前には、扉のような四角い穴が空いていた。
本当に扉があったのか、それとも最初からこの形だったのかはわからなかった。が、ともかく人工的に魔術でくり抜いた四角い穴が石壁に開けられている。
リックは穴にむかって歩き出した。シュゼットもそれに倣い、ふたりはなかへ入った。
まず目についたのは、部屋の奥にある若い女性の石像だった。ケープを着て、長い髪を垂らしている。
おそらく地母神エイグを模したものだろう――おそらく、というのはエイグがどういう姿をしていたのか、まったくわからないからだ。
エイグにかぎらず、神の姿は曖昧模糊としていた。これ、という姿がないのだ。
人間が地上にいた頃に書かれた文献を紐解くと、神に関する話がたくさん載っている。しかし、背格好はまるで一致しなかった。
地母神エイグはもちろん、最高神とされる天空神スラウン、火をつかさどる女神メーザ、その夫とされる水神ノーディエ、風神イオメナとその妻である雷神レテフィーなど、神の名前は共通しているのに、どういうわけか見た目は千差万別なのだ。
シュゼットも昔、興味本位で遺跡をめぐり、こういった神像を見に行ったことがあるが、どれもこれもまるで違った姿をしていて、なんだこれは……と白けた気分になったものだ。
同じ姿のものと遭遇したことは一度としてなく、やはり神など架空の存在だったのではないかと確信するに十分な出来事だった。
なにせ地域によっては性別すら変わっていることもあるのだから。
たとえば、炎神メーザは女神だったとされることが多い。
だが、場所によっては男神として崇められていて、男の姿をした神像もあった。もちろんその場合、夫である水神ノーディエは女神になっている。
ほかの神も同様で、場所によって男だったり女だったりする。髪型も背丈も千差万別だ。
ある地域では長髪、別の地域では短髪、ある地域では幼い姿、別の地域では若者、あるいは老人になっている。
そんな始末だから、各大陸に伝わる神話なども胡散くさいものが多く、どうしようもないほど性格や役割が一致しない。
「穏やかで戦いを嫌う神」とされていたはずなのに、別の大陸では「戦神」として祀られている。
どうやらここの地母神は長髪で、結構な読書好きだったようだ。
知恵の神、あるいは学問の神とされていたのかもしれない。両手に大きな本を抱えた姿で描かれている。
表情は笑みを浮かべていて、物静かな女性を思わせる――シュゼットが見たことのあるエイグの石像のなかには、勇ましい甲冑を身につけ、馬に乗り、剣を振り上げ、今にも「敵を殲滅せよ!」などと叫び出しそうなものさえあったのだが。
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