第三章 降下大山5
「そういえば、家を小さくするのはどういう理窟なの?」
「どうって?」
ある日の夕食後、シュゼットはそんなことを訊いた。
「魔術を使ってるようには見えない。でも、リックは魔女の家を小さくしているでしょう?」
「僕もよく知らないけど、家の住人なら誰でもできるみたいだよ」
「家に入るときの合言葉と一緒の原理なのかしらね……」
シュゼットはときどき、光石づくりの気晴らしに魔女の家の構造を魔術的に調べようとした。しかし、結局よくわからないままだった。魔女が使う秘術のひとつだけあって、やはり解析は不可能と考えたほうがよさそうだ。
シュゼットはかわりの気晴らしに、猫とたわむれることを覚え、光石づくりに疲れたときは猫と遊んだり、撫でたりすることで休息をとった。
そうして十日後、まだ日も昇りきらない早朝に、シュゼットはリックを連れて浮遊島の北にある村へ向かった。
別にひとりで来てもよかったのだが、信用されていないのか、それとも心配されているのか、リックが自分もついて行くと言って聞かなかった。
特に困ることもなかったので、彼女はあっさり同道を許可した。
村はひっそりとした谷間にあって、朝焼けによって建物の屋根や壁が照らされていた。街路は舗装されておらず、土を踏み固めただけで、街灯の数も少ない。
変装したシュゼットとリックがやってきたとき、ちょうど街灯の付け替えが行なわれているところだった。かばんを下げた男が街灯のふたを開ける。なかに新しい白光石を入れて、ふたを閉めると新しい街灯のところへ歩いていく。
道の途中ですれ違ったあと、リックはシュゼットに小声で訊いた。
「あれ、何やってるの?」
「白光石を補充してるのよ」
しかし、リックには伝わらなかったらしく首をかしげた。
「街灯は、ランプやろうそくを使っているわけではないの。魔術で光源を確保していて――だから消費が激しいのよ。一晩で白光石が一個は消し飛ぶほどにね」
「だったらろうそくを使ったほうがよくない? 確か黒光石ひとつで最低十本はろうそくが作れるんだよね? 下手な人でも白光石なら一個で一万本は作れるんじゃ……」
「明るさが段違いなのよ」
シュゼットは軽く首を振った。
「個人的にはろうそくでもいいと思うんだけどね。防犯上の観点から、夜の明るさは常に一定以上であるべきだって言われていて……だから、ああやって毎日毎日街灯の白光石を補充する人がいるのよ」
わざわざ白光石が盗まれないよう、街灯に強力な魔術をかけて、指定した人物でなければ開けられないようになっている。加えて、もし街灯の白光石を盗んだ場合、重い罰が与えられる――町の治安を乱した、という理由で。
「効率だけで見たら、ろうそくでも作ったほうがよっぽどいいんだけどね」
一本で六時間前後は持つ。二本入れておいて、一本目が消えたところで二本目が点灯するように魔術をかけておけば、一晩は持つ。
「うまい人なら黒光石ひとつで一〇〇本ぐらいは作れるから。どうしても明るさが足りないって言うなら、ランプの油でも作ればいいんだし」
「ランプの明かりはろうそくより難しいの?」
「コツがいるのよね。下手な人だと燃えすぎちゃったり、逆に全然燃えない油になっちゃったりで……うまく調節しないと、照明としては使えないのよ」
ふぅん、と生返事をして、リックは白光石を補充する男をじっと見ていた。
「行きましょ。あまり時間をつぶすと人が多くなってくるわ」
「ん、わかった」
ふたりは連れ立って雑貨屋へ行った。
魔術協会の支部もあるはずだったが、情報がまわっている可能性も高い。迂闊に足を踏み入れるのは危険とシュゼットは判断したのだ。同じ理由で宿屋も危険だろう、と彼女は見ている。
基本的に宿屋の経営は引退した空挺手が多い。
無関係のものが主人だったとしても、魔術協会から「これこれこういう人物が来ていないか?」と手配書がまわっている可能性が高い。
それらを避けるべく、彼女は早朝からやっている雑貨屋を選んだのだった。ここにも魔術協会の手がまわっている可能性は高い。
だが魔術協会の支部や宿屋に直接足を運ぶよりは、いくぶん安全なはずだった。
事実、店主は朝っぱらにたずねてきたシュゼットたちを見ても、いやな顔ひとつ、不審な顔ひとつせず、ひょうひょうと応対していた。
「うん、浮遊島は予定どおりヘイマー地方だよ。詳しくは知らないけど、今度は北東のほうへ向かう予定だって話だね」
店主は老人で、禿げ上がった頭に小さな丸メガネをかけた人物だった。
「ヘイマー地方で降りるのかい? あんた、空挺手だろ? 何を買ってく?」
「そうね、とりあえず写真用の紙と写し絵と、布地にお菓子類に絵皿とか――あと、ここの名物って何かあるかしら?」
「ちょっと待ってなさい」
店主は奥に引っ込んだ。
「これなんかどうだい?」
一振りの剣だった。
店主は鞘から刀身を抜き放って、カウンターのうえに置いた。ランプの明かりと、窓から入ってくる日の出の明るさに照らされて、刃がにぶい光を放っている。
「いらないわ」
シュゼットは即答した。
「自信作なんだが……理由を聞いても、いいかね?」
「あなた、カニスやカペルのことを知らないの?」
素手と軽装で戦うことを好むフェーレースと違って、カニスは剣や槍といった武器を手に、頑丈な金属鎧を着込んで狩りをするのだ。重い鎧や巨大な武器を振りまわす彼らの体力は底なしだ。カニスは疲れ知らずの持久力を誇っている。
彼らの扱う武器や防具を誰が作っているかといえば、むろんカニス自身だ。
彼らはフェーレースと同じ狩猟民族だが、腕力や脚力では大きく――といっても、人間からすれば驚異的なほどの怪力と駿足なのだが――劣る。
ゆえに力不足をおぎなうべく、新しい武器や防具の開発には余念がない。
以前、クニークルスの里で見せてもらった剣や槍、金属製の甲冑はどれも美しく、きらびやかで、そんなものにはいっさい興味がないシュゼットでさえ、思わずほしくなってしまうほどの魅力を放っていた。
また、カニスほど熱心ではないが、カペルも武器や防具を作っている。
彼らは狩猟民族ではなく、牛や豚や鶏、羊などを育てることで生きている。だが、地上に住まうものである以上、常に変異種の脅威にさらされている。
戦うための武具は絶対に必要で、身を守るためにできるだけ強力なものを作ろうとしていた。
当然、人間が道楽で作った代物に興味を示すはずもない。
彼らが作る武器は凝った装飾も多いが、同時に実戦で使うために徹底的して性能を上げている。この剣は飾り気がなく無骨で、そして間違いなく――切れ味という点でも、耐久性という点でも、カニスやカペルの剣よりはるかに劣っていた。
「やっぱり、ダメかね?」
「むしろ、どうして大丈夫だと思ったのかと訊きたいくらいだわ。どこからその自信は来るのかしら?」
「いや何、うちみたいな――こんな寂れた村に来る空挺手は、滅多にいないんだ。もし空挺手の来客があって、そいつが地上への手土産を買っていくようなら、これを勧めようとずっと思っていてね……。しかし、そうか」
老いた店主は残念そうに息を吐いた。
「やはり……人間の打った剣なんか、相手にもされないか」
「一度、魔術協会か、金持ちの家でもたずねてみたら? おそらく空挺手が持ち込んだ地上の武具がひとつふたつはあるはずよ。あなたがまじめにカニスやカペルと張り合おうっていう気があるのなら、だけど」
「ふむ……まぁ考えておこうか」
微笑とも苦笑ともつかない表情で店主は言った。
それからシュゼットは、かばんに大量の写し絵や写真、布地、お菓子類を詰め込んで、リックとともに村を出た。
去り際、シュゼットは村を振り返って、買ったばかりの写真用の大きな紙を取り出して風景を転写した。本当は浮遊都市の光景なんかを撮ると非常に喜ばれるのだが、今から魔術協会本部のある首都へ行くのは危険すぎた。
あれから十日も経って、捜索の手はさらに広がっているだろう。都市どころか、その周辺へ近づくことすら避けなければならない。
シュゼットはリックに抱き上げてもらい、村の反対側である南へ、ぐるりと島をまわりこむように移動した。
すでに日は登り始めている。薄暗かった風景は太陽に照らされ、森の木々や草花の影が濃くなっている。眼下に見える地上でも、風に流される雲の影が目立っていた。
「どう? 誰かいる?」
シュゼットは周囲に目を向けた。
見晴らしのいい場所で、視界をさえぎるものはほとんどなかった。遠くに森と、山が見えた。あとは木立が点々とあるだけで、隠れられる場所はどこにもない。
一応魔術が使われた痕跡がないか調べてみるが、魔力の残滓さえ感じられなかった。
「大丈夫みたいだよ」
リックはフードの下の猫耳を動かしながら言った。
「少なくとも目に見える範囲に人はいないと思う……隠れてもいない」
「じゃあ、さっそく出発しましょうか。あまり時間をかけてもまずいしね」
シュゼットはかばんのなかからパラグライダーを取り出した。
たたまれたキャノピー(布製の翼)を広げて、いくつもあるライン(丈夫な細いロープ)同士がからまっていないかどうかをチェックする。
「それ、パラシュート?」
「似てるけど別物よ。これは空を飛ぶのに必要なものなのよ」
シュゼットは浮遊島のはるか先にある地平線へ目を向けた。山と川と森と平原の彼方に、空と大地が入り混じる場所があった。
「ちなみに、一緒に空を飛ぶ気はある?」
シュゼットは準備をしながらたずねた。
「別に魔女の家に入って休んでいてもいいんだけど、なんなら空の旅を満喫してみる? 今回は五時間ぐらいぶっ続けで飛ぶことになるからアレだけど、たぶんフェーレースなら耐えられるでしょう」
「それ、僕も一緒で大丈夫なの?」
「一応ハーネスは作っておいたわ」
ハーネス? と言ってリックは首をかしげた。
「要するに座るところよ。イスみたいなものだと思っておけばいいわ」
シュゼットは厚手の布でできたハーネスをぽんぽんと叩いた。座る場所と背を預ける場所があるだけの簡素なものだ。
「どうやって使うの?」
「ちょっとじっとしてなさい」
シュゼットはリックの体とハーネスを頑丈なロープで固定した。外れないかどうか念入りに調べる――別に落ちても怪我などしない。
だが、さすがに気流の境界線に接触して、最寄りの浮遊島まで吹っ飛ばされたら一大事だ。途中でずり落ちてしまわないかどうか、しつこいぐらいに確認する。
「大丈夫そうね。で、同行する?」
リックはしばらく迷う素振りを見せたあと、じっと空の彼方を見つめた。
「ついて行っていいなら……」
「じゃ、一緒に行きましょうか」
シュゼットは自分の体をハーネスに固定した。外れないかどうかをきっちり確認したうえで、今度は二つのハーネスとキャノピーを接続した。
ちゃんと固定されていることを確かめてから、シュゼットは前方にいるリックに声をかけた――リックを前にして、シュゼットがうしろからリックの体を抱きしめるような形になっていた。
「準備はいい?」
「よくわからないから、僕には判断がつかないんだけど……」
「ま、それもそうね」
シュゼットは周囲を見回した。相変わらず人影はなかった。
「どう? 誰か近づいてきたり、遠くからわたしたちをながめてる連中はいる?」
「今のところ、そういう気配は感じないけど?」
「そう。ならいいけど――念には念を入れておこうかしら」
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