第三章 降下大山4
「時間がかかるのよ。一個作るのに二時間ぐらい……。しかもちょっと魔力の調節を誤っただけであっさりと砕け散って、せっかくの
「僕はかまわないけど――えぇと」
困ったようにリックはまわりを見渡した。あちらこちらに猫がいる。興味津々でテーブルとシュゼットを見ていた。
「片づけておいたほうが無難みたいね」
シュゼットはため息をつきながら道具をしまった。空き部屋を借りて、シュゼットはそこに荷物を置き、猫が入ってこないようにしっかり扉を閉めた。
それから風呂に入って、ベッドにもぐり込んで眠ろうとしたが、魔女の家はいつまで経っても明るいままだった。
「この光、どうにかならないの?」
「ロゼールなら暗くできるんだけど……」
「……快適そうに見えたけど、意外な難点があったわね」
仕方なしに、シュゼットは昼間のような明るさのままで眠った。
思っていた以上に疲れていたようで、目を覚ましたときには正午をまわっていた。懐中時計を机のうえに置くと、彼女は朝食を食べるために階下に降りた。
宿で買った食材を使って、何か作ろうと思っていると、リックがやって来た。
「食べたいものってあるかしら? って言っても料理はあまり得意じゃないし、簡単なのしか作れないんだけどね」
「だいたいのものは食べられると思うよ」
「そう? じゃ、適当に卵と野菜で――」
そこまで言ってから、ふと気になってシュゼットはたずねた。
「そういえば、あなたたちって食事はどうしてたの?」
「ロゼールが作ってたよ。僕は――その、作れないけど……」
リックは目をそらした。
「料理上手なの? あの子」
「おいしかったよ。アンフィーサさんとロゼールの料理しか食べたことがないから、よくわからないけど」
「じゃ、ロゼールが眠ってからは?」
「えっと……川で魚とってきて焼いて、あとは果物とか探して……」
「狩猟はしなかったのね、フェーレースなのに」
「だって、獲物を殺すとさすがに目立つかなって。追っかけてる途中で誰かに見つかったら大変だし、それに浮遊島だと放牧してある家畜もいるから、そういうのを間違えて狩っちゃいそうで……」
「賢明な判断かしらね。ともかく簡単なものだけど作るわ」
魔女の家の台所は豪勢だった。なんといっても、かまどがある。火を使って料理を作るための設備がととのっているのだ。
だが、当然シュゼットは使えないので、彼女は手早くテーブルに皿を並べて、その隣に生のままの食材を置いた。
じゃがいもは魔術で皮と芽をとり、手頃な大きさに切っていく。
にんじんとブロッコリーも、同じように手を使うことなく魔術で空中に浮かしたまま切っていく――むろん、どの野菜も切るまえに水を発生させて汚れをとっていた。
「何やってるの?」
リックが怪訝な顔で言った。不審者を見るような露骨な目でシュゼットを見ていた。
「そうね。かまどがあるんだから、きっと火を使って作ってたんでしょうね」
「火を使わないと、料理はできないと思うんだけど」
「ところが魔術師はそうでもないの。魔術師というか、人間はね」
シュゼットはベーコンを取り出すと、これまた魔術で薄切りにして皿のうえに敷いた。ブロッコリーと重ならないように注意する。
それから黄身と白身がちゃんとベーコンのうえに来るようにして卵を――もちろん魔術で――割った。綺麗にベーコンのうえに載ったので、よし、と小さくシュゼットは言った。
次にたまねぎを取り出して、空中で皮をとってから水洗いして魔術でざくざく切った。にんじんとじゃがいもの入っている深皿に投入して、魔術で水を発生させて即座に沸騰させた。
野菜自体にも熱を加えて、最後に味つけとして塩気とだしを深皿のなかに作り出して完成させた。
さらに卵とベーコンのほうも魔術で熱してベーコンエッグにし、ブロッコリーは水気を帯びた熱で蒸すようにさっとゆでた。
最後にパンを取り出して、適当な大きさに空中で切ってから魔術で焼き目をつけて温め、皿に載せる。
「できあがったわ」
シュゼットが言うと、リックは口をへの字に曲げていた。
「なんていうか……すごい魔術の無駄遣いって感じがする……」
「別に普通よ? かまどを使うと火の管理やら掃除やらが面倒だし、料理については子供の頃から仕込まれるから、
「僕の知ってる料理と色々違う……」
「ま、そりゃ本格的な料理を作る魔女さんには劣るでしょうけどね。それなりにおいしいはずよ、それなりには。少なくとも、まずくて食べられないということはないはずだわ」
リックはいぶかしげな顔でシュゼットを見つめていた。
だが、やがて観念したように席について料理を食べ始めた。最初はおそるおそる……という感じだったが、すぐに勢いよく食べはじめた。
スープを飲み、パンをほおばり、ベーコンエッグをかじる。
「どう? なかなかいけるでしょう?」
「意外とおいしいね」
「そういえば、猫たちの食事はどうしてたの?」
シュゼットがパンをかじりながら訊いた。
「裏庭にあるよ」
「裏庭?」
疑問に思ったが食事を済ませるほうが先だと思って、シュゼットはひとまず皿を空っぽにしようと口と手を動かした。
それからリックに案内されて裏庭へ行った。大きな木が一本生えていて、太い枝をあちこちに伸ばしていた。
葉が生い茂っていたが、よくよく見るとさくらんぼくらいの大きさの木の実がたくさんなっている。
その木の周囲には、猫のエサ入れに使われるような容器がいくつも置かれていて、なかに木の実が入っていた。
いや、まさしくあれはエサ入れなのだろう、とシュゼットは状況を見て考え直した。
猫たちが集まってきて、エサ入れの木の実を食べていたからだ。近くには水飲み場になっていると思しき小さな泉があって、エサ入れの木の実を食べ終えた猫たちが、のどの渇きを癒していた。
一匹の猫が、木の幹に近づいて糞をした。
すると、むき出しの砂のなかから太い木の根っこが這い出してきて、食虫植物のように猫の糞を喰らって砂のなかに舞い戻った。
根の動きに応じて大木の幹も枝も振動し、その揺れで木の実が落ちる。
何もない空中であるはずなのに、木の実は階段を転がり落ちるように跳ね跳びながらエサ入れの容器に綺麗に入っていった――かすかだが、シュゼットは魔力を感じた。
「これ、ロゼールが作ったの?」
「うん。楽だし清潔だし、猫たちも好きなときに食事ができていいだろうって」
「こっちのほうがよっぽど魔術の無駄遣い……って指摘は無粋かしらね。猫のエサと糞尿の始末のためだけに、ここまでやってるやつは初めて見たわ」
半ば呆れながら、シュゼットは猫専用の巨樹を見つめた。
「この木の実、猫以外も食べられるの?」
「一応大丈夫らしいけど、あくまで猫用に作ってあるから、たくさん食べるのはやめておいたほうがいいって言ってたよ」
ふぅん、とシュゼットは木を見上げた。
「まぁいいわ。とにかく猫のことは気にしなくていいみたいね」
シュゼットはそう言うと、踵を返して割り当てられた部屋に戻った。
それから自室で
二時間ほど意識を集中し、懐中時計を見ながら頃合いを見計らって、ろうそくの火で表面を慎重にあぶった。
ここで加減を誤ると、白光石が砕け散ってしまう。十五分ほどそうしていなければならない。
最後に息を吹きかけて全体を火で覆うが、ここでも失敗は許されなかった。
強すぎても弱すぎても、もちろん時間をかけすぎても少なすぎてもいけない。
赤光石をひとつ作り終えたとき、シュゼットはイスの背もたれによりかかって、長く細いため息をついた。目を閉じて、疲労をぬぐうようにまぶたを揉む。
それから伸びをして、ふと目を開けて扉のほうを見ると、いつの間にかリックがやって来ていた。縞模様の猫を抱きかかえて、神妙な顔でシュゼットを見ていた。
「いつからいたの?」
「だいぶ前から。邪魔しちゃ悪いと思って」
少し申しわけなさそうにリックは言った。
「別に気にしてないけど――そうね、声をかけなかったのはいい判断だわ。集中力が乱れると、すぐに砕けて、それまでの苦労が水の泡になるからね」
「僕に手伝えることは?」
「魔術の素人でしょ? 何もないわよ。あ、そうだ。口開けて」
「いいけど、なんで?」
不思議そうな顔をしたリックが口を開くと、シュゼットは魔術で水を発生させて歯を磨いた。驚いたリックは尻もちをついた。
抱きかかえていた猫が声を上げて逃げていく。
リックは文句を言おうとした。だが、口のなかでは水が暴れ狂っている。とても声を出せない。結局はされるがままだった。
「はい。終わり」
「なんだったのさ、いったい……」
リックはちょっと怒った顔で言った。
「歯みがきよ。まさか知らないわけじゃないでしょう?」
「知ってるよ! 歯みがきくらい僕だって毎日してるし! というか、してなかったのってシュゼットのほうじゃないの!? みがいてなかったよね昨日!?」
「うん、わたしも今思い出したわ。そういえばしてなかったなぁって。で、先にリックのほうをみがいておこうかなって」
「なんで問答無用でいきなりやったのさ?」
「お風呂のあとの髪の乾燥と、朝食の様子から考えて、拒否される恐れがあったから」
「そりゃ拒否するよ! 歯みがきくらい毎日してるし!」
「でもあなたの言う歯みがきって、あれでしょ? やわらかい木の枝を細かくブラシみたいに割いたやつでやるんでしょう?」
「普通の歯みがきじゃないか、ロゼールだって……」
「ダメよ。あれじゃ細かいところはみがけないし。ほら、見てみなさいよ」
シュゼットは滞空させていた水の玉をリックの目の前でゆらゆらさせた。先ほどまでリックの口を洗っていた水だ。よどんでいた。
「出血こそないものの、汚れがすごいでしょ? 取りきれていなかった証拠よ証拠」
「取りきれていなかったって……。なんか歯と歯のあいだとか、歯ぐきのなかとか、普通なら届かない場所まで無理やり細い水で洗い流された感じがしたんだけど?」
「そりゃそういう場所を綺麗にしないとね。それにこの水、ただの水じゃないのよ? ちゃんと虫歯にならないように特殊な水になってるんだから」
シュゼットが指を弾くと、水が燃え上がって跡形もなくなった。
「後始末だって楽だし、ロゼールもやればいいのにね?」
「なんていうか、シュゼットってさ……なんでもかんでも魔術で解決しそうだよね。もう洗濯とか掃除とかも全部やっちゃいそ――」
「そりゃやるわよ」
「やるの!?」
「どっちもまじめに手でやったら面倒でしょ? 時間もかかるし」
「お風呂はきっちり入ったのに?」
「労働と娯楽を一緒にしたらダメでしょう? そりゃあ、わたしだって時間がなければ魔術でちゃちゃっと汚れと汗を落としてしまうけれど」
「あのさ……人間ってみんなそうなの? それともシュゼットが変わってるだけ?」
「わたしはこれ以上ないぐらいに普通の生活をしているつもりよ? 歯みがきも料理も掃除も洗濯も――あと、不本意ながらお風呂に入れないときも、体を清潔にするための魔術も、全部空挺手になる前に習ったものだからね」
「ああ、そう……」
何かをあきらめた様子でリックはため息をついた。
「ちなみに歯みがきは毎食後やらせてもらうわよ? まぁリックがどうしてもいやだって言うなら、夜寝る前だけにしてあげてもいいけど」
「さすがに毎食後は勘弁してほしいかな」
「じゃ、夜だけにしましょうか」
リックはげんなりした顔をしていたが、シュゼットはいっさい気にしなかった。
光石づくりの息抜きに、彼女はたまっていた洗濯物の汚れをその場で洗い落として即座に乾燥させて折りたたんだ。
昼食も朝食とまったく同じ方法で作り、魔術で歯をみがいた。
その後は魔女の家全体を魔術で掃除した。風を操ってホコリやゴミや猫の抜け毛などを集め、さらに少量の水を発生させて床を綺麗にみがいていく。
「黒光石が結構派手に割れてる気がするんだけど、いいの?」
見物していたリックがぼやくように言った。
「黒光石は楽に作れるから別にいいのよ。それにこのぐらいの消費はごく普通よ?」
掃除が終わると、シュゼットは部屋にこもって赤光石をまた作り始めた。彼女はそうやって予定の十日後まで過ごした。
もちろんリックに頼んで、常に魔女の家の場所は移動してもらっている。リックが魔女の家を小さくして持ち運んでいるときでも、なかの様子は何も変わらなかった。
一度など、移動中であることにシュゼットが気づかなかったほどだ。
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