第三章 降下大山3

「人間って、そんなことしてまで魔女よりすごいって思われたいの?」


「わたしの知ってる人間は、自分たちのほうがすごいんだ、って言うやつが多かったわ」


「……シュゼットは?」


「わたしはないわよ。ずっと上にいる――特に協会本部の魔導師たちと違って、空挺手はそこまで高慢ちきじゃないの。人間は人間、魔女は魔女よ」


「そうなの?」


「しょっちゅう下に行く空挺手としては、気流の境界線への干渉は本当に便利だとは思うけどね。あれ、うまい魔女だと自分の行きたいところへ飛べるんでしょう?」


「空さえ見えてれば」


「そういう意味では、うらやましいわね」


 シュゼットは扉に背を向けると、


「とりあえず、リックは汗をかいたみたいだから、お風呂に入っちゃいなさい。わたしはそこのテーブルで色々とやらせてもらって、それから入るから」


「え? お、お風呂?」


 リックはあからさまに動揺した顔でシュゼットを見た。


「そうだけど、まさかお風呂ぎらい――」


「違うよ!」


 すねたような顔で、リックはシュゼットを上目遣いににらんだ。


「お風呂には毎日入ってるし――えっと……か、体は洗ってるし! 毎日!」


「ん、とりあえず、何か事情があるのはわかったわ。お姉さんに話してみなさい」


「そ――それは……」


「一応言っておくけれどね、わたしはこれでも綺麗好きなの。せっかくこんな清潔で、快適な家で過ごせそうだっていうのに、お風呂だけはありません、とか言われたら、わたしはこの場で違約金を支払ってでも出て行くわよ?」


 う……とリックはうめいた。


 かわいらしい反応に、シュゼットはとうとう微笑を隠せなくなった。軽い冗談のつもりで言ったのだが、リックにはだいぶ応えたようだ。


 本当にこの子は、とシュゼットは内心でほほえむ。戦闘力はすさまじく高いのに、駆け引きのたぐいにはひたすら向いていないらしかった。


「その……お、お風呂は、お湯が沸かせなくて……」


 リックは叱られた子供のようにしゅんとしていた。


「お湯?」


「いつもはロゼールが魔術でやってて……。でも、僕は魔術、使えないから……」


「ああ、なるほど」


 お湯は普通、風呂釜に水を張って、魔術で熱を加えてちょうどいい温度にするのだ。


「それなら確かに入れないでしょうけど――でも、体は毎日洗ってたのよね? ロゼールが眠ってしまったあとでも」


「近くの川とかに入って、その……」


 言いづらそうにリックはうつむいた。


「いいわ。じゃあ、今日からわたしがお湯を沸かすから。浴室は?」


「こっち」


 案内された先で、シュゼットは歓声を上げた。


 木で作られてた浴槽は立派なもので、三人程度なら一緒に入っても問題なさそうなぐらいに大きかった。


 洗い場や脱衣所も広々としていて、よく手入れされているらしく清潔そのものだった――もっとも、そこら中に猫の姿があったが。


 シュゼットとリックがやって来ると、何匹かは興味深そうにシュゼットの挙動を見守った。浴槽のなかにも猫がいて、シュゼットのことをじっと見つめていた。


 猫が登り降りできるようにするためか、あるいは座りやすくするためか、木製の浴槽には階段のように段差がついていた。


 シュゼットが手のひらのうえに、光沢のある小さな黒い石を載せると、猫は寝っ転がったまま不思議そうな顔つきでそれを見上げた。


 シュゼットは空中に水を発生させて、輪のようにくるくるまわして警告してみたが、猫は浴槽のなかから動こうとしない。


 仕方なしにシュゼットは水を浴槽のなかにそそいだ。猫が濡れないように水を一箇所に細長く集めておいたのだが、逆に関心を引いてしまったようだ。


 猫は柱のように集まっている水に何度も何度も前足を突っ込んで遊んでいた。が、見かねたリックが猫を浴槽から連れ出してくれたおかげで、シュゼットは無事に湯を張ることができた。


 浴槽を水で満たし、熱を発生させて湯を沸かす。すると手のひらにあった黒い石は砕けて粉々になり、空中に散っていった。


「それ、光石?」


 猫を抱き上げたままリックが訊いた。


「そうよ。見るのは初めて?」


「ロゼールは使わなかったから」


「そりゃ、魔女は世界で唯一、光石なしで魔術が使える種族だものね」


 人間――にかぎらず、魔女以外の種族は魔術を使う際、光石と呼ばれるものを必要とする。光石は使い捨てで、使用する魔術が強力であればあるほど、すぐに砕けてなくなってしまう。


 今シュゼットが使った黒光石こっこうせきは、光石としてはもっとも下等なものだ。だから浴槽に水を張って、ちょうどいい温度の湯に変える程度の魔術で砕けてしまった。


「先に入っていいわよ。わたしは食堂にいるから」


 シュゼットはそう言って浴室から食堂へ戻った。イスを引いて座り、宿から持ってきた自分の荷物をあさって、彼女は地図を取り出した。


 テーブルのうえに広げて、どういうルートを通って目的地まで行くかを検討した。予定どおり浮遊島が進んだ場合、十日後にはサーブリー大陸北西部に到着する。


 そして、そのまま浮遊島がサーブリー大陸南部へ向かう場合は地上へ降りず、相乗りするつもりだったのだが……魔術協会がリックを狙っているとなると話は別だ。


 このまま浮遊島にいては連中に捕まる危険が高く、事と次第によっては魔女の騎士までやってくる。あの宿の主人が言ったように、早急に島から脱出するのが上策だろう。


 となると、十日後に降りるのはほぼ確定だ。あとは地上をどうやって突き進んでいくかだが――シュゼットはあれこれと考えた結果、ひとつの結論に達した。


「少し遠いけど、やっぱりドヴォー地方まで飛んだほうがいいかしら……」


 スムルシュ島の進路上にあって、なおかつ一番手近な降下大山はサーブリー大陸の北、ヘイマー地方にある山だ。


 しかしここで降りると、目的地であるリンデル地方までは遠くなってしまう。


 だいぶ距離が離れているが、ヘイマー地方の南にあるドヴォー地方の降下大山まで飛べば、距離の短縮になるうえ、警邏隊の目をごまかすこともできる。


 やはり――これしかない、とシュゼットは思った。


 地上へ降りたあとのルートは、そのまま道なりに南下していけばいいだろう。


 基本的にサーブリー大陸は起伏に乏しく、大規模な山脈や高原は少ない。平野部を突っ切るようにして、南のリンデル地方まで向かえば問題は起きないはずだ。


 この時期ならば、大雪に捕まる危険も少ない。目的地までの旅路そのものは順調なものになりそうだ。


「あとは――できるだけ多く赤光石を作っておくべきかしらね。手持ちは……」


 シュゼットは、荷物から光沢のある小さな赤い石を取り出した。


 全部で十三個ある。


 彼女は赤い石――赤光石を手のひらのうえで転がすと、さっと荷物のなかに戻して、代わりに小さな燭台と底の浅い水入れをひとつずつ、それから黒光石と一定の長さで切られた糸と小石をあるだけ取り出した。


 シュゼットは黒光石を指先に持って、魔術ですべての水入れに水をそそいでいく。


 それから頭のなかで、ろうそくをイメージしながら糸にふれた。人差し指でなぞるように糸を撫でる。


 すると糸を中心にろうそくが一本、出現した。


 シュゼットは同じ要領で糸からろうそくを作っていく。九本目ができあがったところで黒光石が砕けた。


「何かに使ったやつだったかしら、これ」


 シュゼットは不思議そうに指先をながめたあと、気を取り直して作業を再開した。


 糸を荷物のなかに戻すと、ろうそくをしっかりと燭台に立ててシュゼットは魔術で火を灯した。小さな火が煙を吐き出しながらゆらめいていた。


 シュゼットは水入れに小石をひたせるだけひたすと、懐中時計をテーブルのうえに置いた。


 黒光石を手のひらに載せて、ろうそくの煙が小石にまとわりつくように操作する。そのまま時間が過ぎるまでゆっくりと待った。


 おおよそ五分が過ぎたとき、シュゼットは魔術を駆使して、慎重に小石を空中へ浮遊させた。煙をまとわりつかせたまま、水滴がこぼれないようにゆっくりと動かして、小石をろうそくの火であぶっていく。


 十秒ほど熱してから、シュゼットは小石に息を吹きかけた。


 一瞬、ぼっとろうそくの火が燃え上がって、小石全体を焼きつくすように覆った。火が落ち着くと、小石は色が変わって真っ黒になっていた。光沢を放っている。


 黒光石の完成だ。


 シュゼットは同じ手順で、水入れのなかにあった小石をすべて黒光石に変えた。全部で十二個完成した。シュゼットは水の量を確認した――ここまでは素人でも簡単に、練習さえすればできる。


 だが、黒光石を白光石に変える作業はなかなか難しい。ほんの少しでも加減を誤ると、すぐに黒光石は砕け散ってしまう。


 水の量をしっかり測ってから、シュゼットは作ったばかりの黒光石を水入れのなかに沈めた。


 ただし、今度は全部いっぺんにひたすようなことはせず、ひとつずつ入れて作業を進めていった。


 シュゼットは同じように煙を黒光石にまとわりつかせ、途中でろうそくを新しいものに取り替えながら白光石を作った。


 煙をまとわりつかせたまま、水滴が落ちないように空中に浮かび上がらせて、ろうそくの火であぶる――今度は一分ほど使って全体を焼いていく。


 最後に息を吹きかけるが、一瞬ではなく何秒にもわたって火の勢いを強くする。


 そうして炎が落ち着くと、今度は真っ黒だった石が真っ白になり、より見事な光沢感を持つようになる。白光石の完成だった。


「何してるの?」


 リックが入ってきた。タオルで拭いたのだろうが、髪の毛が濡れていた。シュゼットは無言で、リックの頭に温風をまとわりつかせて髪を乾かした。


 びっくりしたリックは小さな声を上げて逃げようとしたが、


「白光石を作ってるのよ」


 とシュゼットが話しかけたせいで逃げられなかった。


「こ、光石?」


 リックが嫌そうな顔で、髪にまとわりつく温風から逃れようとしていた。リックが頭を動かし、手で頭を隠そうとするたびに、シュゼットは指先を指揮者のように動かして、温風を的確に濡れている髪の毛へ当てていった。


「言ったでしょう? 魔女と違って、わたしたちが魔術を使うにはどうしても光石が必要なのよ」


 そのとき、ちょうどシュゼットの使っている黒光石が砕けてなくなった。温風が消えたリックはほっと息を吐いて、シュゼットに近づいてきた。


「それはもちろん知ってるけど――でもそういうのって、専門の人に作ってもらうんだと思ってたよ」


「赤光石なんかは空挺手でも買うやつが多いみたいね。よく知らないけど。わたしは自前で用意できるから作るわ」


 シュゼットは新しい黒光石を手にとって、ふたたび温風をリックに当てはじめた。リックは小さな悲鳴を挙げながらも、とうとう観念した様子でじっと目を閉じていた。


「今は黒光石を白光石に変えているところよ。赤光石の手持ちが少ないし、呪言種の戦闘能力がどの程度かもわからないから、なるたけ多く用意しておきたいところね」


「僕に手伝えることは?」


「ないわ。強いて言うならじっとしていることね。黒光石は簡単に作れるけど、無駄に動き回られると余計に消費してしまうの。もったいないじゃない?」


「そうなの?」


 リックは片目だけ開けて、シュゼットを見た。


「そうなのよ」


「別に、僕は髪の毛を乾かさなくったって……」


「ダーメ。ちゃんと乾かすの」


 シュゼットはしばらく温風を当て続けてリックの髪をしっかりと乾かした。


「なんとか砕けずに済んだわね」


 黒光石をじっと見ながらシュゼットは言った。


「そんな簡単に壊れちゃうものなの?」


「黒光石の砕けやすさは尋常じゃないわよ? 下手くそな魔術師が使うと、ちょっとした魔術で新品の黒光石が砕けてなくちゃったりするの。逆に言うと、うまい人なら黒光石で強力な魔術を発動させたりもできるんだけどね」


「簡単に作れるんなら、白光石や赤光石なんか作らないで、黒光石をたくさん持っていったほうがいいんじゃないの?」


「あなた、白光石は黒光石何個分の価値があると思う?」


 え? とリックは戸惑いの顔でシュゼットを見た。


「空挺手たちのあいだではこう言われてるわ。黒光石を一〇〇〇個持ち歩くくらいなら、白光石をひとつ持っていくほうがいい。白光石を一〇〇〇個持ち歩くくらいなら、赤光石をひとつ持っていくほうがいい」


「……そんなに違うの?」


「作るのが難しい分、耐久性は抜群なのよ。赤光石ともなれば、かなり強力な大魔術を連発してもそうそう砕けないしね。わたしとしても、たくさんの黒光石でやりくりするより、赤光石ひとつのほうがよっぽど安心感があるわ」


 シュゼットはろうそくの火を消すと立ち上がった。


「さて、わたしも今日はお風呂に入って寝ようかしら。色々あって疲れちゃったわ」


「赤光石は作らないの?」

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