第二章 魔女2
シュゼットは吐息をすると、思考を打ち切ってリックに問うた。
「つまり、この子は呪いにかけられて眠っているわけね?」
リックはうなずいた。
「なぜ、すぐに呪言種を仕留めなかったか、訊いてもいいのかしら?」
呪言種の呪いは多種多様だが、いくつか共通点があった。
そのうちのひとつが、呪いを解く方法だ。呪いをかけた呪言種本体を倒せばよい。どんな強力な呪いであろうと、それだけで解呪できる。
この魔女の娘にしても、呪いをかけた呪言種をさっさと仕留めてしまえば、その場で問題は解決していたはずだ。
「その、喰らった直後はなんともなかったから……」
リックは言いづらそうにうつむいた。
「初心者にありがちな油断ね」
シュゼットは苦笑した。
「呪言種の呪いは、即効性とはかぎらないわ。遅効性のものもあるの。この子――ロゼールが喰らった呪いもそのたぐいみたいね」
呪言種の呪いを受けたら、何がなんでもその場で仕留めなければならない。逃げられたり、見失ったりしたら事だからだ。
呪いを解く唯一の手段を自ら捨て去るなど、手慣れた者ならまずあり得ない選択だった。
「とりあえず、眠っているだけでほかに変化はないのね? 苦しんだりとか」
「そういうのはないよ」
「不幸中の幸い、かしらね? 呪術のなかには永続的に苦痛を与えたり、衰弱させたりするようなものもあるから。眠っているだけなら、時間的な余裕はあると見ていいわ」
シュゼットはベッドのそばに寄って、ロゼールの額に手を置いた。リックの言うとおり、衰弱している様子はない。本当に眠っていて目が覚めないだけのようだ。
これならば、ロゼールが苦しんだり死んだりする心配はないだろう。
「ごめんなさい……」
リックは落ち込んだ様子で、消え入りそうに言った。
「反省はあとよ。とにかく呪いをかけた呪言種を仕留めないと。それに、逃げる判断をしたのは、ほかならぬこの子自身なんでしょう?」
地上の民では、どうあがいても気流の境界線を越えられない。
だが、魔女が一緒ならば話は別だ。魔女ならば、気流の境界線に干渉することができる。
魔女と人間は、種族的には似通っていて、姿も能力もそっくりと言っていい。
ともに肉体的には脆弱で、まるでその代わりだと言わんばかりに厖大な魔力を持っている。
魔術の扱いに長ける点でも共通しているが、この両者はまったくの別種族なのだ。違いはいくつかあって、気流の境界線に干渉できるか否かもそのひとつだった。
魔女は気流の境界線を自由に行き来することができる。それどころか、気流の境界線を利用して望む場所へ行くことさえできた。
普通の人間――否、魔女以外の種族が気流の境界線にふれれば、即座に吹っ飛ばされてしまうというのに。
魔女だけは、その魔力で気流を制御し、自分を――必要とあらば、別のものも一緒に――移動させられるのだ。
ロゼールも魔女として、すぐに逃げることを選んだのだろう。
さすがに遺跡のなかでは無理だろうから、地上に出た瞬間に自分とリックを安全な空のうえまで運んだに違いない。
「反省なら、この子が起きてからにしなさい」
「ん、わかった」
リックは神妙にうなずいて、まっすぐにシュゼットを見上げた。
「じゃあ、すぐに僕を地上に――」
「それはダメ」
リックはきょとんとした顔でシュゼットを見た。それから、急にハッとした様子でシュゼットにつめ寄り、襟首をつかんで顔を近づけた。
「ど、どうして? あれじゃ足りないの? もっと宝石あるよ!」
「そういう問題じゃないのよ」
シュゼットは必死に踏ん張って、転びそうになるのをこらえた。フェーレースだけあって、すごい力だった。背丈は自分のほうが高いのだが。
「落ち着いてリック。地上と一口にいっても広いし、大陸だって全部で七つ――いえ、ひとつは除外してもいいでしょうから、実質六つあるの。十分多いわ。標的がどこにいるかによって、降りる場所だって変わってくるし、短絡的に『どこでもいい』なんて言っていたら、いつまで経っても倒せないわよ?」
シュゼットはリックの肩に手を置いて、そっと離れさせた。
「ビセンテ地方じゃないというのは聞いたけど、具体的にはどこなのかしら?」
「えっと……サーブリー大陸のリンデル地方」
ふむ、と言ってシュゼットは手持ちの地図をふところから取り出した。
部屋にある小さなテーブルに広げてリックを招き寄せた。指先で地図を示しながら説明する。
「現在地はここ、イェルニック大陸の北東よ。今、このスムルシュ島はこの辺りを飛んでるわ。で、予測される進路はこう」
シュゼットは東に向けて指先をずらしていった。
「一応サーブリー大陸に向かってはいるわ。いきなり浮遊島が気まぐれを起こさないともかぎらないけれど、十日ほどでサーブリー大陸北部に到着するはず」
ただ、リンデル地方は南部にあった。
「そこから浮遊島がうまく南に向かってくれるかはわからないわ。さすがに十数日後となると、予測進路はかなりズレてしまうから」
「じゃあ……どうするの?」
「浮遊島がサーブリー大陸南部へ向かうようなら、このまま相乗りね。向かわないのならいったんドヴォー地方で降りるわ。その後は陸路でリンデル地方へ向かうっていうのが一番無難で手っ取り早いかしら」
結構な長旅になりそうね、とシュゼットがつぶやくと、
「ついて来る気なの?」
とリックはいぶかしげに訊いてきた。
「逃げたのはどうして? ふたりで倒すには骨が折れそうだったからでしょう? ひとりになってしまって勝てるの?」
リックは答えなかった。
「援軍の当てがあるなら手を貸す理由もないけど、ダメみたいだしね」
「どうしてそう思うの?」
「だって『魔女の夜会』に助けを求めていないんだもの」
魔女は数が少なく、女しか生まれないという共通点を持つためか、独自に相互扶助組織を作っていた。
それが魔女の夜会だ。
情報交換、魔術研究の支援、魔女と敵対するものの排除、罪を犯した魔女の捕縛などを主な目的としていると聞いた。
「仲間の魔女が呪言種にやられて困っている――そう訴えれば、彼女たちは動いたはずよ。でもあなたはわたしに――ほかならぬ空挺手に助けを求めた。魔女の夜会なら苦もなく地上へ連れて行ってもらえたし、呪言種を始末するのもすぐに済んだでしょう。違う?」
リックは目をそらした。
「頼れない事情があるんでしょ? だから魔女の夜会ではなく空挺宿へ来た」
「……追われてるんだ」
「だいたい予想どおりの答えだけど、何をやったのかは教えてもらえるのかしら?」
「ロゼールの母と祖母が、同じ罪を犯して、だからロゼールも捕まえろって話になった」
シュゼットは眉根を寄せた。
「今ひとつ事情がつかめないのだけど?」
「ロゼールの祖母はフリーダ・ヴァノと言って、魔女の騎士だったんだ。魔女の騎士については……」
「要するに、兵隊さんでしょ? 魔女の夜会が結成した自警団みたいなもの」
「うん。まぁ、魔女をつけ狙う敵を排除したり、罪人を捕まえたりっていう意味では間違ってないけど……遺跡調査とか、変異種討伐なんかもするよ?」
「へぇ、そういえば魔術研究もしていたから、その関係で遺跡に行くことも多いわけね。つまり荒事専門の集団――じゃあ、本来は取りしまる側の魔女が罪人になってしまったと、そういう理解でいいのかしら?」
「そうなる――のかな? 僕も話を聞いただけで、直接見てはいないんだけど」
フリーダ・ヴァノが事件を起こしたのは二〇年ほど前、リックが生まれる前の話だいう。
「そういえば、リックって年はいくつなの? 十歳?」
「十一歳。ロゼールは一つ上だよ」
「ふぅん、八歳も年下なのね」
そして昔のわたしより二つも年下なのか……とシュゼットはぼそりとつぶやいた。リックはフードの下の耳を動かして、不思議そうに首をかしげた。
「昔って?」
「なんでもないわ。それより話を続けて」
「あ、うん、えっと」
リックは聞きたそうだったが、黙って話題を戻してくれた。
「フリーダ・ヴァノは魔女だったんだけど、十歳までは普通に浮遊島で暮らしていたらしいんだ。彼女の母親――つまり、ロゼールの曾祖母は浮遊島の人間と結婚していて、娘にも自分が魔女であることを黙ってたらしくて」
女しか生まれない魔女は、その性質上どうしてもほかの種族の男を必要としていた。当然だが男女が揃わないと子は作れない。
つまり、魔女は全員混血児だのだが、生まれてくる子は必ず魔女になるらしい。
本当かどうかは知らないが、さほど不自然な話でもないだろうとシュゼットは思っている。
魔女は生涯に一人の子しか生めない。二人生めるものは稀で、三人生めたら歴史の教科書に名前が載ると言われているのだ。
実際、シュゼットが子供のころに学んだ教科書には、三人の娘を生んだ魔女の名前が写真つきで載っていた。
「それで十歳の誕生日に魔女の夜会に連れて行ってもらって」
「自分が魔女であることを知ったわけね?」
「うん、母親のほうは魔術とは無縁の生活を望んだみたいなんだけど、娘であるフリーダは魔女としての生き方に心惹かれて、魔術の研究にのめり込んだ。魔女の騎士になったのも、主に遺跡探索で古い時代の魔術を研究するのが目的だったみたいで……」
「優秀だったの?」
「そう聞いてるよ。研究者としても、魔術師としても、すごい人だったって。フィッサムノス大陸にも足を運んで、遺跡調査を繰り返していたって」
シュゼットは目を瞠った。
フィッサムノス大陸は、特に凶悪な変異種が住むとされる土地だ。天変地異が起こる以前は、多くの人間が住んでいたと伝えられている。
だが、現在では人間はもちろん、地上の民でさえ一人も暮らしていない。
なにせ『氷の大陸』の異名をとるような場所だ。一番暖かいはずの真夏ですら猛吹雪が吹き荒れているというのだから、それだけでも居住地としては最悪だろう。
そのうえ強大な力を持つ変異種が大陸中をうろついているのだ。誰だって逃げ出す。遺跡を調査するどころか、現地におもむくだけでも命懸けだろう。
「フリーダ・ヴァノはとても頼りがいのある魔女だったらしいよ。ずいぶん慕われていたみたいだ……四三歳までは」
「事件を起こしたのね?」
「フリーダはある儀式を行なったんだ。人間と、フェーレースと、カニスと、クニークルスと、カペルと、アウィスと……要するに、魔女以外のすべての種族を一人ずつ連れてきて、彼らを生贄にする儀式を行なった」
シュゼットは顔をしかめた。
「それ、なんの儀式だったの?」
リックはしばらく押し黙っていた。
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