第二章 魔女3

「……フリーダは、魔女の騎士になる以前から不老不死や神に関する研究を熱心に行なっていた。フィッサムノス大陸に何度も足を運んでいたのも、未調査の遺跡が多くある氷の大陸なら、神についての情報が手に入ると思ったからで――」


「ありがちって言えば、ありがちなのかしらね? つまり自分が不老不死、または神に準ずるような存在になろうとして儀式を敢行したと」


 シュゼットはため息をつきながら、やはり神がどうこうと言い出す輩にろくな奴はいない、と思った。実は空挺手にも、そういう神に関する情報をひたすら収集している手合いがいるのだ。


 そして、そういうやつは得てして悪名で知られている。


「で、そのフリーダ・ヴァノは?」


「まだ捕まってないよ。魔女の夜会は今でも行方を追ってる」


「それが二〇年前に起きたロゼールの祖母の事件ね。母親のほうは?」


 一年前、とリックは人差し指を立てた。


「ロゼールの母親アンフィーサ・フリーダは、ロゼールの祖母フリーダ・ヴァノとまったく同じ儀式を行なったんだ」


 リックは手を下げた。言うべきことはすべて口に出した、と言わんばかりの態度で、それ以上何もしゃべろうとしなかった。


 猫が一匹、のそのそと部屋に入ってきてベッドのうえに飛び乗り、ロゼールのとなりで寝息を立て始めた。


「同じって――つまり、魔女以外の六種族を全部犠牲にする……?」


「そうだよ。だからアンフィーサも魔女の夜会から追われるようになった。その娘であるロゼールも、危険だと見做されて、すぐに捕縛されそうになった。だから、ふたりで逃げてきたんだ」


 リックは、まるで台本でも読むかのように言った。


「親子二代にわたって、まったく同じ儀式をした……?」


 シュゼットは無意識にイスを引くと、腰を下ろして考え始めた。テーブルにひじを置き、ゆっくりと目を閉じて思索にふける。


――今の説明は、一見すると理にかなっているように見える。しかし違和感はぬぐえなかった。


 魔女とそれほど接点があるわけではない。むしろシュゼットは人付き合いを極端に忌避していた。人間も含め、あらゆる種族と必要以上に接触しないようにずっと気を使って生きてきた。


 だから、これはほとんど直感といってもよかった。


 いくらなんでも罪人の娘だからという理由だけで、捕らえようとするだろうか? 


 もちろん警戒はされるだろう。場合によっては監視ぐらいはつけられるかもしれない。しかし問答無用で捕らえるとは思えない……。


 シュゼットは目を開くと、そっとリックをうかがい見た。リックは、ベッドに寝転がる猫を撫でまわしていた。猫は気持ちよさそうに鳴いていた。


「追われているのは本当なのよね?」


 返答までに、間があった。


「疑うの?」


「そうね。魔女との付き合いが深いわけじゃないけれど、二代続けて同じ罪を犯したからという理由だけで、何もしていない善良な娘を容赦なしに捕まえようとするほど、偏狭な連中ではなかったように思えたわ」


 リックは黙っていた。フードの下から、鋭い眼光がのぞく。シュゼットは降参するように両手を上げた。


「別に、話せない事情なら深追いはしないわよ。とりあえず、下に行きたい理由やら目的やらはわかったもの。十分よ。ところで、いい加減フードを外したら?」


 リックはためらっていた。


 だが、やがてフードと一緒にローブを脱いで素顔をさらした。見た目はごく普通の少年だ。頭頂部から猫の耳が、そしてお尻から尻尾が生えていなければ、人間の子供と間違えてしまっただろう。


 思っていたよりもずっとかわいい。シュゼットはそんな感想を抱いたが、リックの顔は相変わらず険しかった。愛くるしい顔が台無しだ。


「今の話を聞いても、僕らに協力してくれるの?」


「報酬がもらえるなら、ね。報酬なしなら、ここでおさらばよ?」


 シュゼットはおどけてみせた。リックの猫耳が困ったように垂れ下がる。どう反応していいのかわからない表情を浮かべていた。


「あのね、リック。あなたに色々と事情があるように、わたしにもわたしなりに色々と事情や理由があったりするの。ご大層なものじゃないけれどね」


 シュゼットは小首をかしげて、リックに目を向けた。


「あなたは、わたしにいろんなことを隠してるでしょう? さっきの話だって、決して嘘ではないんでしょうけれど、決定的なところは隠しているはずよ。少なくともわたしはそう感じたわ。わたしが信頼できないから、本当のことを一から十まで全部話す気になれない――そういうことなんでしょう?」


 リックは不安そうにシュゼットを見上げた。シュゼットは笑って、


「そんな顔しないの。別に普通のことよ。わたしだって、あなたに自分の過去や秘密を全部話す気なんかないんだから。出会って一日と経っていないのよ? そりゃ信頼関係なんて築けるわけないじゃない」


「それは――そうだけど……」


「現時点で、あなたが全部を話す気になれないのは当たり前のことだし、わたしはそれを咎める気はない。会ったばかりの人間に『何もかもを打ち明けろ』なんて無茶もいいところだもの。もちろん仕事に支障が出るような隠し事は困るけど、必要最低限の情報さえわかっていれば、わたしにはそれで十分なの。だから、あなたも同じように満足してくれないと困るわけ」


「協力する理由は訊くなってこと?」


「別に話しちゃってもいいんだけど、わたしの過去に関わる話題でもあるし、赤の他人にいきなり話すのはちょっと気が引けるのよね。それに報酬目当てってのも別に間違ってないのよ? 仮にあなたが報酬を支払えないというのなら、わたしはこの場で手を引かせてもらう。そこはわかってるわね?」


「それは……大丈夫だよ」


 シュゼットは小さく笑った。


「もっとも、わたしが協力を拒否したら、あなたは無理やり手伝わせるんでしょうけどね。あの空挺手たちみたいに」


「あ、あれは……」


「剛胆よね。自信家でもある。そして実際、その自信に見合うだけの実力も兼ね備えている――まさか圧倒するとは思わなかったわ」


 ひとりで空挺宿を訪れた時点で、それなりに成算あっての行動だろうと思ってはいた。だが、苦戦すらしないとは思ってもみなかった。


 フェーレースの戦闘力を甘く見すぎていたようだ。認識を改めなければ。


「そういえば、あなた……わたしのことは完全に無視していたわね。どうして攻撃してこなかったのかしら? 漁夫の利を狙ってつけて来たかもしれないのに」


 詰めが甘いのね、とシュゼットは言おうとして――


「だって、心配でついて来てくれたのはわかってたから」


 二の句が継げなくなった。目を丸くしてリックを見ると、相手はきょとんとした顔で首をかしげた。


「どうかしたの?」


「いえ、その……どうして、そう思ったのかしら?」


「どうしてって、だって敵意はなかったし、ずっと僕のこと心配そうに見てるから……」


 不思議そうな顔でリックは答えた。


「敵意のあるなし……わかるの?」


「うん、優しい人かどうかもわかるよ。なんとなく」


「そう……」


 つまり、最初から敵と見なされていなかったわけだ。てっきり七人もいらないという理由だと思っていた。そうではなく、害意から敵味方を識別して……第六感というやつだろうか?


 フェーレースが生来持つ力なのか、それともリックが特別なのか、シュゼットには判断がつかなかった。


「あ、あとね! あれは誤解だから!」


「誤解?」


「そうだよ。僕だって依頼を引き受けてくれる人がいたら、普通に頼んでたし」


「その割にはロープとか準備してあったけど」


「あれは――荒事になるかもしれない、とは思ってたから」


 バツが悪そうにリックは言った。


「ダメだって言われたら、誰か適当な人を見つくろって攫おうかなって……。僕だって六人もついて来るとは思わなかったし。人間って短気なんだね」


「そういう人もいるというだけよ」


 シュゼットは微苦笑した。


「そだね、シュゼットは違うし」


 リックはそう言うと、脱ぎ捨てたローブから、宝石の入った袋を取り出した。それをテーブルのうえに置く。袋の小ささに反して、重々しい音が響いた。


「まだあるから、必要ならもっと――」


「当座はこれで十分よ」


 シュゼットは布袋を手に取り、中身を確認する。


「とりあえず、追加料金については今後の旅次第ってことで。魔女の夜会に追われていることもわかったし、もし魔女の騎士とかに襲われたら、そっちは別料金で請求させてもらうわ。あと旅にかかった経費とか、呪言種の強さによっては追加報酬も要求するから、そのつもりで」


「あ、うん……わかった」


 そう言いながらも、リックはどこかしら腑に落ちない表情をしていた。


「そんなにわたしの過去が気になるの?」


 シュゼットがからかうように笑って聞くと、リックはおずおずとうなずいた。


「単に優しいってだけじゃ、きっとここまでしてくれないと思うから」


「ダメよ。話してあげない。言ったでしょ? わたしはまだリックを全面的に信頼したわけじゃないって。あなただって隠し事をしてるんだし、これでおあいこよ」


 シュゼットは楽しげにころころと笑った。


「少なくとも、今は商売上の関係でなんの問題もないはずよ。別にお互いが親友同士でなきゃ、うまく行かないってこともないでしょう? あなたはわたしを雇った。わたしはあなたに雇われた。それで解決できる問題のはずよ、これは」


「それは、そうなのかもしれないけど……」


 リックは目を伏せていた。尻尾も元気なく垂れ下がり、猫耳もうしろを向いていた。フェーレースの少年は、眠り続ける魔女を見て、しばらく考えこむように押し黙った。


「ロゼールが起きてから、ふたりで相談してもいい?」


「何を?」


「隠し事について。説明が難しい――というか、できないんだけど、僕は……シュゼットになら、話してもいいんじゃないかなって思ったから」


 シュゼットは呆れたようにリックを見て、それから微苦笑を浮かべた。


「そんなにわたしの過去を知りたいの? 大したものじゃないから、たぶんあなたたちの秘密とは釣り合わないわよ」


 がっかりしそうだわ、とシュゼットは言った。


「そういうわけじゃないんだけど、こっちにも、その……」


 委細は分からないが、リック――というよりも、この場合はロゼールも含めてなのだろう。シュゼットには想像もつかない複雑な事情があるようだ。


「まぁ、どっちにせよそっちが全部を打ち明けるつもりなら、わたしも話してもいいのかしらね」


「別に無理やり訊き出そうと思ってるわけじゃないよ?」


「そう? ふむ……」


 リックの申しわけなさそうな姿を見ていたシュゼットの心に、ちょっとした悪戯が思い浮かんだ。


「ねぇ、引け目を感じてくれているなら、わたしの言うことをひとつ聞いてくれない?」


「何をすればいいの?」


「こっちに来て、耳をさわらせて」


 シュゼットはイスに座ったまま、おいでおいで、とリックを呼んだ。リックは耳と尻尾をぴんと立てて、びっくりした顔でシュゼットを見た。


 だが、やがて警戒混じりにそっと足音を立てずに忍び寄って、シュゼットのそばまでやって来た。


「暴れないでねー」


 と言って、シュゼットはリックの体を抱き上げて膝のうえに載せると、頭を撫で、ついで包み込むように猫耳をさわった。


「結構毛並みいいのね、あなた。何か手入れしてるの?」


「別にしてないけど……」


 リックは何か言いたそうにつぶらな瞳でシュゼットを見つめた。


「わたしに撫でられるのは不満?」


「不満じゃないけど――ひょっとして、猫好きだから協力する気になったのかなって」


「それがわたしの隠し事だって言ったら、信じる?」


「信じないよ。そんな理由なら最初から言ってると思うし」


「そうね、わたしは猫好きなのを隠していない――まぁ報酬と同じで、これも理由の何割かに入ってはいるんだけどね」


「じゃあ僕が人間だったり、カニスだったら、協力しなかった?」


「そんなことはないわ。一番の理由は報酬よ。二番目はわたしの個人的な事情というか、ある種の感傷みたいなものね――それもすごく自分勝手で、一方的な……。で、三番目がリックの種族かしら」


 シュゼットは尻尾にさわりたい衝動に逆らいつつ答えた。


「別にリックがなんの種族であったとしても、わたしは協力を申し出たわよ?」


「本当?」


 リックはいぶかしげに言ったが、それ以上疑問を口にすることはなかった。彼はおとなしくシュゼットに撫でられていた。しばらくすると、リックはぽつりとつぶやいた。


「ありがとう、シュゼット。協力してくれて」


「礼なら仕事が終わってからにしてちょうだい。まだ始まってすらいないのよ」


 シュゼットは眠り続ける魔女の娘に目を向けた。

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