【第10話】 いつかはさ、私を好きでいてよ

 死を覚悟し、死を与えることを覚悟し、銃弾は放たれた。


「殺してやるって……言っただろ?」


「っが、ごふっ、な、何を考えているっ…!」


 名もない男は、刹那に背後へ振り向き――拳銃の引き金を引いた。


「俺はワタルって奴ではない、お前も言ってくれてたじゃねぇか」


 名もない男は、下衆のような顔つきで拳銃を構える。


「そう!そうだ!だから、美奈を殺し――」


「なら!盟友か何だかがこいつに殺されてたって、俺からすればどうでもいい。違うか?」


「君は何を言って、ごほっ、がふっ」


 銃弾は放たれた。


「この極悪非道人が!ふざけるな!この化け物は数えきれない程の人を殺めてきたんだぞ!分かっているのか!」


「分かってる――だからなんだよ」


 名もない男は、嘲笑を浮かべながら拳銃を構える。


「そ、総員撃てっ!」


「が、ごふっ、ぐっ、だぁっ――」


 無数の銃弾は名もなき男に放たれる。

 銃弾は脚を貫き、眼を失わせ、胴を崩壊させていく――、


「さ、流石だよ。これだけの攻撃を喰らっておきながら尚、その魂を燃やすとは」


 名もない男は、顔を赤く染め、醜体を前へ進め――拳銃を構える。


「化け物はやはり、ここにも居たか――」


「早く死んじまえよ。俺もすぐに死んでやるからよ」


 銃弾は魁人の額を貫き、名のない男はその場へ倒れこむ。


「ワ……ワタルっ!」


 美奈が顔も目も真っ赤にしながら、ワタルの顔を覗き込んでくる。

 名がない男はそれを愛おしく想い、最期の力を振り切り、指の足りない手を美奈の頬へ添えていった。


「――オトメゴコロはどうした?やけに距離がちけぇじゃねぇか」


「う、うるさい!ねぇ、どうして――」


 記憶の残らない男の口は――世界で唯一残したい、そう願った口と重なる。


「っん……なにこれ」


「う、うるせぇ。聞くんじゃねえよ」


 世界に残るその顔は満面の笑みを浮かべ、満更でもない涙を流す。


「ワタル……」


「すまんな、ワタルじゃなくて」


 嫉妬が吐き出ていくのを、死力を尽くして抑える。

 と同時に、愛おしい人の一番の笑顔を引き出せてやれない、自分の不甲斐なさに名さえない男は憤激した。


「ご、ごめんそんなつもりじゃ――」


「悔しいが、お前を幸せにしてやれるのはきっと……ワタルって奴なんだろうな」


「そんなこと、ない!」


「じゃ、ごほっ、今俺が記憶取り戻せるってなった時――お前は俺とワタル、どっち選ぶんだよ」

 

 妬みに塗れた最期の言葉は情けなく、それでも世界で一番美しい女は必至に男を想って、言葉を選ぶ。


「どっちも、じゃダメ?」



 ――厳選した結果の台詞がこれなのだから、本当に可愛い奴だ



「欲張りな奴だな――いいんじゃねぇか。俺に異論はねぇよ」


「う、うん。ワタルもきっとそう言ってくれると思う」


「そうかもな」


 名を亡くし、記憶を亡くした男は、最期の時が刻々と迫ってくるのを肌身で感じ取る。


「すまん、もう話せそうにない」


「ま……あ…え」


「なんてな、まだぎり話せる」


「も、もう!君はいつもそうやって………」


 強がりをみせ、瘦せ我慢を言う男の瞳は、死期の接近と共に光を失いつつあった。

 

「ねぇ、君は生きたい?」


「死に際の人間に言うことか?お前と道を歩める未来があるのなら、迷わず取る」


「そう。叶えられなくてごめん」


「俺が望んで選んだ道だ、謝る事じゃねぇだろ」


「それって矛盾してない?」


「かもな」


 最期の最後の言葉の逢瀬が二者の隔絶を縮め、それはやがて完全になくなっていく。


 一生の一部始終は女で始まり、美奈で終わる。死が押しかけてきて尚、愛の止まない男は未だ正直になれずにいた。

 

「私のこと、好き?」


「嫌いだ――」


「ひどいなぁ………ありがと」


 死が完成する。瞳は影を落とし、呼吸は止み、意識が途切れていく。



 ――好きだ



 その言葉だけが男を取り巻き、最期まで離れることはなかった――



~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


 

 銃弾は放たれた。


「よくやってくれた、助かったよ。っておい、聞こえているのか」


「はぁ、はぁ、はぁあぁ――」


 名もない男は、刹那に背後を撃ち抜き――その場へ倒れこむ。


「み、美奈……?」


 男の倒れこんだ目先には、自分の手で護ったはずの女が血に染まっていて――、


「は、は?は、ははっ?どういう事なんだよ」


 その怪奇的な出来事を男は理解できず、ひたすら苦虫を嚙み潰したような苦笑を浮かべていた。


 代わりに己の体の障害は全て取り払われている、まるで時が遡ったかのように。


「み、美奈、おい、おいい。起きろって、なぁ、なあ!どうしてなんだ、なぁ?聞いてんのかよ!」


「――君が殺したんだろ?その銃で」


「は」


 下衆の口から恐ろしく、有り得ない妄言が発される。


 自分が美奈を殺しただと、何を言っている。お前を憎み、恨み、撃ったまでだ。有り得ない、美奈を殺すなど――、


「ふ、ふざけんな!お前を殺したんだよ!この銃で。お前の頭をぶち抜いて!」


「はぁ……なるほど。私は勘違いをしていたよう――」


「勘違いどころじゃねぇ!いい加減にしろ!なんで、美奈が、美奈がぁ――」


「だから君が殺して――というよりかは、彼女が私を守ってくれた。さしずめ、そういったところなのだろう」


「な、は、有り得ねぇ」


 美奈はこの下衆を忌み嫌っていた――そんなことはこの短時間でも容易に理解できたことだ。


 その美奈が下衆を護るなど、到底有り得ない。


「あ、あぁ。あああああ!」


 男はありのままの現実が信じられず、頭を地に打ち付け、額をよどんだ血に染めていく。


 何故だ、何故だ。何故、美奈はこんな下衆を庇う真似を――、


「気が狂ったか?まぁ、いい。これで目的は果たされた。総員撤退だ!」


 下衆は下衆らしく、利用し終えた男など見捨て、早急に足を引いていった。


「ま、ま、待て!く、クソ野郎が!お、お前が殺したんだぁ!お前が…お前がぁあ!!」


 血に塗れた男はどす黒く染まった唾を、逃走していく下衆に吐きつけていく。


「き、きみ。げほっ」


「み、美奈?」



 ――その時だった、美奈がまだ息をしていることに気付いたのは



 助かる可能性がある。そんな単純明快なことに気付けないほどの下衆への執念が、男にはあった。

 絶対に許さない。何があってもあの男への復讐を果たす覚悟が、男には芽生えていた。


「だ、大丈夫か。すぐに手当てを――」


「いいよ、私は。こうしたくてこうしたんだから」


 救おうと伸ばした手は、美奈の言葉によって振りほどかれる。


「は、何言ってんだよ。だ、だってよ、お前あの男が嫌いなんだろ」


「まぁね、君を不幸にした人だもん。でもね、それはあの人だけじゃないし、本当は私が悪いのに八つ当たり的なところもあるんだ」


「何言って――」


「君は私を撃っちゃったことを後悔してるんでしょ?でも、私が君を一番不幸にしたんだから、君は正しいことをしたんだよ」


 美奈は男の動機を正当なものだと、真正直に主張してくる。

 が、男にはそれが戯言でしかなかった。


「ふざけんな」


「え」


「ワタルって奴はお前に不幸にされたのかもしんねぇ、けどな。お、俺は俺が幸せと思えたのは、全部お前なんだよ!」


「――!」


 男の必死の想いが、言葉足らずに美奈へぶつけられていく。

 その想いは美奈に涙を流させ、男の愛への欲求を生む。


「あ、ありがと――じゃ、じゃあさ、私のこと好き?」


 期待と愛を孕んだ言葉は、切望に満ち溢れていた。



 ――好きだ



 たったその一言だけを求めて。


「す、すっ、嫌いに決まってんだろ」


「やっぱ?」


「なんだそれ、分かり切ったこと聞くんじゃねぇよ」


 本音を打ち明けられない男の口からは、当然そんな愛の言葉は出ていかない。

 なのに、美奈の口はどこか満足気に、笑みを浮かべているようにみえた。



 ――そして、もう一度開口の時が訪れる



「分かった。じゃあ約束ね」


「なんだよ急に――」


「いつかはさ、私を好きでいてよ」

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