【第5話】  オトコゴコロ

「――二度と、会うのは御免だ」


 最小限に抑えた動作で、戸を開ける。女が起きぬよう――、



~=~=~=~=~=~=~=~=~=~



 ――11時間前



 日の下を見られたのは、わずかの間だった。ちょっと前に逃走してきたはずの古民家が、目を覆う。


「なんでこんな様に――」


「ただいまー」


 元気溌剌な声が、否、快活を演じる声が渓谷を木霊する。


 ここを飛び出してくる前までは、ただただ女の情緒の不安定さに驚愕していた。つまり、現在は違う。

 今この時、男には恐怖の念が心中を渦巻いている。なにも、物理的な話だけではない。歌女とか言っていた老婆への態度、声音。



 ――全てが末恐ろしい



「えっと、ばんそーこー絆創膏。ごめん、ちょっとそこらへんに座ってて」


 命令、なのかは判断できないが、従う判断をする。

 

 木製の椅子は足の耐久がとうに限界値を超えており、着席しようものなら壊れていくだろう。

 ただ、男に『座らない』という選択肢は与えられず、やむを得ず座る事を覚悟する。


「がっ」


「え、大丈夫⁉」


 予定通り、椅子は崩れ落ちた。


「怪我とかない?」


「…こんなことで怪我の一つする訳ねぇだろ」


「んー、パイプ椅子もあったと思うからそれ使ってもいーんだけど……」


「ベットの上にでも座っとく」


 不要だった女への懸念は消え去り、代打の案も軽々と承認される。女のあさる薬用箱には『常備薬』と記された、大量の薬があった。


「なんだそれ」


「あ」


 男がそれを発見するや否や、女は一心不乱に薬を押し隠す。女の弱点分析には必須条件、興味がある訳でもないが、すぐさま問いかける。


「なんで隠すんだよ」


「いいから!見られたらいやなの!」


「そんなの気にする仲じゃねぇだろ」


「んっー--、と、とにかく駄目!乙女心ってやつなの!男には理解できない秘密よ!」


「それ単に教えてくれてねぇだけじゃ――」


 想像以上に見られるのを嫌った女に、唖然した。男からしたらどうでもいい事柄に、女は拘っている。不思議だ。

 そう思うのは秘匿にされてる故、なのかもしれない。弱点分析は延期とする。


「分かった分かった、もう見ねぇ。絆創膏、早く探してくれ」


「うん」


 無邪気な返事が返ってくる。いつの間にか男からは、畏怖の感情が消え去っていた。そして、美貌に対する興味も再熱してきている。


 さっきまでとは別の行動原理で、女を見つめる。改めてみても綺麗だ。それに薄着ではなく、服を着ている事も今更発覚する。


「み、見つけたー!て、なんでこっち見てるの……」


「い、いや違う。お前を見てただけだ」


「えっ、えええええ!それって…」


「それも違ぇよ!服、変わったなって思っただけだ」


 ジャージを羽織っている辺り、この女の衣服に対する意識は低いのだろう。ただ、それでも到底抑えきれない美貌が女にはあった。



 ――女は魅惑の魔女だ



「あ、当たり前でしょ?あんな格好で外出られないから」


「それもオトメゴコロ――」


「一般常識よ!」


 羞恥に塗れた言葉は、より一層女の魅力を引き上げる。先程まで渦巻いていた恐怖の念とは打って変わって、自分には解明できない感情が男の心に芽生えていた。

 オトコゴコロ、とでも言っておこう。そのオトコゴコロは男を狂わせる――、


「お、おおおおい」


「ちょっとじっとしてて――」


 女は親指ほどの絆創膏を手で支え、もう一方の手でかさついた前髪を掻き分ける。


「絆創膏貼っとかないと怪我治んないからさ」


「お、おまえのせいだったろ、あれ。気にすんなって」


「何言ってるの。だからよ」


 正論が返ってくる。悪いことをしたら償う、当たり前の事だ。その前提条件である謝罪は、未だ行われていないが。


「我慢だって、痛いかもしれないけど」


 女の吐息は首にかかり、互いの足は混じりあい、華奢な手はごわついた額に歩を寄せる。



 ――その距離は、いつしかなくなっていた



「自分で貼る!」


「いいからいいから。はい、もう貼れたよ」


「へ」


 ここから悪戦苦闘を長時間生き抜くはずが、平穏は案外早々に訪れた。死期は免れたのだ。


 安堵に浸っていると、女が突然顔を燃やし――、


「は、裸。なんで裸ぁあああああ!」


「ずっと裸だったろ」


 大音声を家内へ響かせ、その音は熱を帯びていた。


「なんで君は服着ないの、常識って言ったよね⁉」


「いや、俺も不思議だった。だが、家の中ならセーフ的なやつなんだろ」


「んな訳ないでしょ!バカ!」


「は、気づいてなかったお前の方がバカだ」


 秩序は混沌へと成り、棚からは女の服を中心とした凶器が男の下へ投下される。


「いでっ。あでっ、なにすんだお前」


「服着て服着てぇ!」


「着させるつもりねぇだろ……」


 女の瞳は大粒の涙を蓄え、その粒は肥大していく。男はどうすることもできなく、足掻き、藻掻いた。


「な、なぁ。話は聞けねぇか」


「ムリ、無理ぃ!服着てからぁ!」


「く、くそが」


 このような状況で服を着ろ、など無理難題にも程がある。着る服はあるにはあるが、もしそれを着ようものなら混沌はさらに苛烈なものと成るだろう。

 そもそも、着れるかどうかの問題が出てくる。なにせ、それはワンピース――、


「も、もう投げるものもねぇだろ」


 銃弾は底をついた。


「くっ」


「なぁ、落ち着け、服なら出せば着るから」


「ご、ごめんほんと」


 秩序は保たれたが、涙は消えない。


「ま、またか」


「ううん、今度こそごめん。こういうことするから嫌われちゃうんだ」


「分かっ……そんなことはない」


「甘やかさないで、反省しないといけない」


 女は自省する。彼に逃げられ、怒られ、嫌われたのは自身の行いのせいだ。と、それだけを信じて。


「よーし!元気100倍!アームマン!」


「は、なんだお前」


 予想外の回復の速さに男は、口をがん開きにする。情緒の不安定ぶりには驚かされるが、いい方向へ事が進んだようなのでよしとする。


「そしたら、掃除だ――」


「あ」


 男女は同じ惨状を目の当たりにし、絶望する。部屋は散らかり、埃は宙を舞い、薄い布切れは男の頭上に――、


「なんだこれ」


「あ、きゃあああああ」


「あべしっ」



 ――女の手のひらは男の頬目掛けて加速する、そして衝突する



「このやろう……」


 やはり、女を好きになれない。

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