第60話 捕食者と獲物


『それに、私、知ってるんだ……。まこちゃんと永井さんが仮の恋人関係なんかじゃなくて、本当はもう付き合ってるって……』


 僕は、自分の耳を疑った。


「え、ゆきちゃん、今、なんて……?」


「永井さんと本当は付き合ってるの知ってるよって言ったんだよ……?」


 ゆきちゃんは、薄ら寒さを感じる笑みを浮かべながら言った。


 やはり聞き間違いではなかったみたいだ。


 しかし、ゆきちゃんにはまだボロを見せていないはずだ。


「そんなわけないよ……。もし、鈴音と本当に付き合ってたらこんなところ来ないよ……」


 まだ確証は得られていないはずだと判断した僕は、愚かにもこの場をまだ切り抜けようとした。


「ふーん……。嘘つくんだ……。私は、悲しいよ」


 悲しいという割にゆきちゃんは、どこか嬉しそうだ。


「いや……。嘘なんて……」


 僕がそう言いかけると、ゆきちゃんがスマホを取り出し、操作し始めた。


「これでも、そんなこと言えるかな……?」


 ゆきちゃんが僕に近づいてきた。


「え?」


「いいから聞いて」


 有無を言わさぬ圧をかけながらゆきちゃんがスマホを僕の耳元に突き付けてきた。


『えっと、これは、私の憶測だけど、鈴音ちゃんと真琴君、ただの友達じゃないよね……? 少なくとも、友達以上恋人未満かな……? 何ならもう付き合ってたり……?』


『はい……。付き合ってます……。でも、どうしてわかったんですか……?』


 ゆきちゃんのスマホから先日の先輩とカフェでした会話が流れてきた。


「な……!」


 ゆきちゃんのスマホから流れてきた決定的な証拠に僕は、体を震わせた。


「もう、いいかな? どう? 言い逃れできないね……?」


 ゆきちゃんは、不気味なまでにニコニコとしながらスマホを操作し、音声を止めた。


 ――これは、もう無理だ……。諦めるしかない……。


 僕は、どうしようもなくなって、その場にへたり込んでしまった。


「そんなに悲しそうな顔しないでよ……? まこちゃんは可愛いなあ」


 へたり込んで呆然としている僕をゆきちゃんが抱きしめてきた。


「このこと、皆に黙っておいてほしい……?」


 耳元でゆきちゃんが囁いてきた。


 僕は、突然、舞い込んできた救いの言葉に迷うことなくコクコクと、頷いた。


 僕が頷くと――、


「あは! じゃあ、私の言うこと聞けるよね……?」


 ゆきちゃんがうっとりとした表情で言った。


 背筋が凍るほど瞳孔を開かせ、僕を抱きしめながら真っすぐ見つめてくるゆきちゃんを前に僕は、首を縦に振るしかなかった。


「うんうん。いい子だね……。私も、これ以上まこちゃんのこと脅すようなことしたくないから安心したよ……!」


 そう言いながらゆきちゃんは、僕の頭を撫でてきた。


***


 ゆきちゃんに頭を撫でられ続けて、数十分が経過した。


 このころには、冷静な思考がだんだん戻ってきており、僕は、頭を撫でられながら、今の状況を整理し始めることができるようになってきていた。


 しかし、だからと言って、打てる手があるかと言うと、全くなかった。


 ――今のゆきちゃんは、僕の知っているゆきちゃんじゃない。


 今のゆきちゃんは、瞳孔は完全に開ききっており、鍵も閉めて僕が部屋から出れないようにするという用意周到さも見せている。


 はっきり言ってしまうと、俗に言うヤンデレのような雰囲気を醸しだしている。


 おそらく、これがゆきちゃんの本性なのだろう、と僕は思った。


 そう考えると、僕がここでゆきちゃんの機嫌を損ねるようなことをしたら、僕が鈴音と付き合っていることをみんなにバラすという脅しは、ゆきちゃんが冗談でなく、本気で言っていることは明白だ。


 ――どうにか、ゆきちゃんの機嫌を損ねないようにやり過ごして、この部屋から出ないと……。


 僕がそんなことを考えていると――、


「さてと、そろそろお願いしようかな……?」


 ゆきちゃんが僕の頭を撫でる手を止めた。


 心拍数が一気に上がったのを感じる。


「あはは……。緊張しすぎだよ。簡単なお願いだから大丈夫だよ……?」


 なぜかゆきちゃんは、舌なめずりをしていた。


 一方の僕は、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまい、声を出すこともできなかった。


 まさしく捕食者と獲物の関係だ。


 僕は、大人しく、どんな運命が待っていたとしても自分の運命を受け入れるしかないのだろう。


 せめて、ゆきちゃんのお願いが僕にとって、最悪なものじゃありませんように――。


 僕は、心から願い目を閉じた。


 その瞬間――、


「まこちゃん、私のこと抱いて……?」


 ゆきちゃんの声が耳元で聞こえ、僕の耳が熱いものでなぞられた。


 僕は突然、襲ってきた快感に身震いした。


 ――今、ゆきちゃん、『抱いて』って言ったよね……?


 言葉の意味を理解し、僕は、咄嗟にゆきちゃんから距離を取ろうとした。


 しかし――、


「ダメだよ……? なんで逃げるの……? 言うこと聞くって約束したよね……?」


 すぐに腕を掴まれ、ベッドに押し倒された。


「それは……。でも、こんなことは……。僕たちは付き合ってるわけじゃないんだし……。それに僕は、鈴音のことを裏切れないよ……!」


 僕は、どうにか言葉を振り絞って言った。


 しかし、僕の言葉はゆきちゃんには届かなかった――。


「そんなこと言うんだったら永井さんと今すぐ別れて私と付き合うにお願いを変更しようかな……? それに、渡辺君たちに、まこちゃんがしてたこともバラしちゃおうかな……? そしたら、まこちゃんには、私しか残らないし、永井さんを裏切ることにもならないしいいよね……? あれ……? 私にとってもまこちゃんにとってもいいことじゃない……!? これ!? うん……! それがいいよ……!」


「それは……。それだけは……」


 僕は、ゆきちゃんは本気で言っていると感じ、縋るようにベッドに押し倒された僕に跨るゆきちゃんの制服の袖を掴み、言った。


 そんな僕を見て、ゆきちゃんが恍惚の表情を浮かべ言った。


「泣きそうな顔してるまこちゃんもすごく可愛いよ……! 可愛いまこちゃんに免じて、もう一度だけチャンスをあげるね……?」


 そう言い、ゆきちゃんは、僕の頭を撫で始め、続けた。


「みんなにまこちゃんがしたことを秘密にする代わりに――私のこと抱いてくれる……?」


 僕は、その言葉に頷いてしまった。


「あは! じゃあ、早速……」


 ゆきちゃんがそう言い、僕の口を唇で塞ぎ、舌を絡めてきた。


 ――鈴音……。ごめん……。


 ――僕は、間違えてしまったみたいだ……。


 快感と罪悪感で、僕の頭はおかしくなりそうだった。


 その後のことは、もうあまり覚えていない。


***


 あの後、何度もゆきちゃんと身体を重ねるよう強制された僕は、眠ってしまっていた。


 気がついたときには、外は完全に暗くなっており、時計の針は午後9時13分を指していた。


 隣を見ると、制服をはだけさせたゆきちゃんが心底幸せそうな顔をしながら僕のことを抱きしめ、スヤスヤと寝ていた。


 幸せそうに眠るゆきちゃんとは対照的に、僕に残ったのは、罪悪感のみだった――。


 これは、みんなを欺き続けようとする僕への罰かもしれないと思い、僕は、間違え続けていることを改めて思い知らされた。


『ピロン!』


 部屋に押し込まれたときに落としたスマホが通知音を鳴らした。


 おそらく、鈴音からだろう。


 母親から帰りが遅いというクレームの連絡かもしれないが、用意周到なゆきちゃんのことだから、きっと、既に根回しは済ませてあるのだろうと考えたため、その考えは排除した。


 スマホに手を伸ばそうとするが、ゆきちゃんに抱きしめられているため、スマホに手が届かない。


 ゆきちゃんを払いのけて、スマホを取りに行けばいいのだが、あまりゆきちゃんを刺激したくなかった僕は、スマホを取ることを諦め、天井を眺めた。


 ――明日からどんな顔をして鈴音に会えばいいんだろ……。


 僕は、罪悪感に押しつぶされそうになった。


 後で連絡すると言った僕から連絡が来ないのを心配に思い、鈴音が繰り返しメッセージを送っているのか『ピロン!』とスマホが繰り返し鳴り続けている。


 通知音が1件また1件と鳴る度に僕の罪悪感を増幅させる。


 「鈴音……。ほんとにごめん……。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……」


 僕は、何度も鈴音に対する謝罪の言葉をボソッと呟き続けた。


 それから10分以上鳴り続けたスマホの通知に耐えきれなくなった僕は、気づけば、再び眠りへと逃れていた――。


 


 


 




 


 




 



 


 










 



 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る