第59話 何でもするなんて軽々しく言ってはならない
金曜の放課後、比較的活動日数が少ない部活に所属する僕のような学生にとっては、この上なく幸せな時間だ。
そんな幸せな時間に僕は、幼馴染のゆきちゃんと共に帰り道を歩いている。
僕の彼女――鈴音には、もう既に、ゆきちゃんと用事ができたことを伝え、その埋め合わせとして土日は一緒に過ごすと約束し、了承を得ることができた。
鈴音は、いつぞやに僕が女子と話しているだけで嫉妬してしまうと言っていたが、僕のできれば秀一など周囲の友人を傷つけたくないという考えを尊重してくれていて、かなり我慢させてしまっているため、本当に頭が上がらない。
――今日は、帰って迷惑じゃなかったら鈴音に電話をかけて、土日のことを決めよう。
僕は、可愛い自分の彼女のことを考えて、頬を緩ませた。
「何をニヤニヤしてるの……?」
隣を歩くゆきちゃんが僕に声をかけてきた。
「あ、いや。ゆきちゃんとこうして一緒にいれて嬉しいなーって思って……」
僕は、咄嗟に鈴音と付き合う前の僕だったらこう言うだろうという予測の基、嘘を言った。
「そっか……。それならよかった……! てっきり、他の子のことでも考えてたのかと思ったよ」
僕は、微笑みながらそう言うゆきちゃんを見て、背中から汗が噴き出すのを感じた。
「そんなわけないよ……」
僕は、なるべく平静を装って言った。
――バレてるなんて、そんなことはさすがに……。
さっちゃん先輩もゆきちゃんは勘が鋭いから気づきそうだとは言っていたが、まだゆきちゃんの前でボロは出していないはずだ。
「ところで、結局、お願いって何なの……?」
僕は、とりあえず今の話題が続くのは危険だと判断し、別の話を振った。
「まだ内緒!」
ゆきちゃんは、まだ勿体ぶって、お願いが何なのか教えてくれなかった。
「そっか……。それじゃあ、どこに向かってるの……?」
僕は、買い物とかかな? とばかり考えていたが、僕とゆきちゃんの自宅の最寄り駅で降りて、見慣れた住宅地を歩いているのだ。皆目見当がつかない。
「もうすぐで着くから!」
ゆきちゃんがそう言うため、僕は、困惑しつつもゆきちゃんについていくしかなかった。
そのまま、歩くこと5分――。
「着いたよ」
ゆきちゃんが立ち止まり言った。
ゆきちゃんが立ち止まったのは、ごく普通のマンションの前だった。
「えっと……? ここは……?」
僕は、思わず困惑気味に聞いてしまった。
「私のお家だよ」
「え……。お母さんとかは……?」
僕は、思わず聞いてしまった。
「あれ? 前に一人暮らししてるって言わなかったっけ……?」
ゆきちゃんが衝撃の事実を言ってきた。
「いやいや……! 聞いてないよ……?」
僕は、驚きつつも、目の前の状況を整理して、ゆきちゃんのお願いは部屋の掃除を手伝ってほしいとかそのあたりのことだろうと予測し始めていた。
「まあ、細かいことは後で話すとして――行こ……?」
ゆきちゃんは、可愛らしく首をかしげ、そう言うと、僕の手を引いて、マンションのエントランスへと僕を引っ張っていった。
***
僕は、ゆきちゃんに手を引かれるまま、エントランスをくぐり、エレベーターに乗って5階で降りた。
5階でエレベーターを降りて、少し歩くと、僕の手を引いて歩くゆきちゃんが501号室の前で立ち止まった。
「ここが私のお部屋だよ」
いくら以前に鈴音の部屋に入ったことがあるとは言え、やはり女子の部屋に入るのはいかがなものか? ましてや、彼女でもない女の子の部屋に入るなんて……と考えていたため、僕は、少し躊躇っていた。
「えっと……。一人暮らしの女の子の家に上がるのは抵抗があるんだけど……。いいの……?」
僕は、今、自分が考えていることを包み隠さず言った。
「大丈夫だよ。お願いしたいことがあるから呼んだんだから……。部屋に上がってくれなかったら、また、まこちゃんと口利かなくなっちゃうかもよ……?」
そう言われると、樹にも協力してもらった手前、これ以上、ゆきちゃんとの関係を悪化させるわけにもいかない。
「わかった。ゆきちゃんがそう言うなら……」
僕は、まだ躊躇う気持ちがないわけではないが、了承した。
「じゃあ、早速、上がって……?」
ゆきちゃんが部屋の鍵を開け、重そうな音を立てて開くドアを抑えて、僕に部屋に入るように促してきた。
「お邪魔します……」
僕は、おそるおそる部屋に上がった。
――あれ……? モデルルームかな? ってくらいめちゃくちゃ綺麗な部屋なんだけど……?
部屋に入るなり、僕は、部屋の清潔さに驚いた。
一人暮らしだというのに、隅々まで掃除が行き届いていて、読書家のゆきちゃんのことだから大量にあるだろう本も散乱している様子は一切ない。
部屋の片づけを手伝ってほしいとかそう言ったことを頼まれると思っていた僕は、ますます困惑し始めていた。
「部屋の掃除の手伝いをお願いされるって思ってたんだけど……。お願いってほんとに何なの……?」
僕は、困惑している様子を隠せなかった。
「あ、そうそう。ここは綺麗なんだけど、寝室というか書斎がすごく本で散らかってるから手伝ってほしくて」
どこかその場の思いつきで話しているような口調でゆきちゃんは言った。
完全に困惑している僕は、そんなゆきちゃんの様子に気づくことができなかった。
「あ、やっぱり、掃除だったんだ……! そういうことなら任せてよ」
「ありがとう……! それじゃ、書斎に案内するね」
ゆきちゃんは、満面の笑みを浮かべて言い、僕の手をぎゅっと握ってきた。
「ちょっ……!? ゆきちゃん?」
手をいきなり繋がれ僕は、驚きのあまり声を上げてしまった。
「いいじゃん! また、拒絶するの……?」
――うう……。そんな悲し気な顔で言わないでくれ……。
悲し気な顔で言われ、僕は、何も言えなかった。
「ううん……。そんなつもりはないよ……。このまま、書斎まで案内してくれる……?」
僕がそう言うと、嬉しそうな顔でゆきちゃんが頷き歩き始めた。
――それにしても、本当に綺麗だな……。この様子じゃ、書斎に全部の物が集中してて、散らかってるとか……?
読書家のゆきちゃんは、家でも書斎にいる時間が長いから、書斎に自然に物が集中してしまうのだろうと僕は、予想した。
僕がそんなことを考えていると――、
「ここが書斎だよ」
ゆきちゃんがドアを開けて言った。
そして――、
「えっ」
僕は、驚きのあまりその場に立ち尽くしてしまった。
なぜなら、開かれた扉の先は確かに書斎だった――。
しかし、全く散らかっていなかったのだ。
本は、綺麗に整頓されて本棚に並んでおり、ベットもホテルにチェックインしたときみたいに綺麗に敷かれている状態だった。
――なんで……? どういうこと……?
僕は、呆然と立ち尽くして、その場から動くことができなくなっていた。
わけがわからない。
どうしてゆきちゃんは、書斎が散らかっているなんて嘘をついたのか? など疑問は絶えない。
そんな風に僕が立ち尽くしていると――、
「ごめんね、まこちゃん」
ゆきちゃんが僕を部屋に押し込んだ。
そして――、
『ガチャン!』
部屋の内側に取り付けられていたパスワード式の鍵が閉まった音がした。
僕は、もうわけがわからず、部屋に押し込まれたときに、尻餅をついて転倒し、そのまま座った状態でボーっとしていた。
――本当に何が起こっているんだ……? それに鍵……?
何とか状況を理解しようと僕は、必死に思考を巡らせた。
しかし、どんなに考えても、僕の理解は追いつかなかった。
「ほんとにごめんね。こんなことするつもりはなかったんだけど……」
ゆきちゃんが悲しそうな顔で言った。
「あはは……。ゆきちゃんは昔から悪戯っ子だからね……。部屋をわざと間違えたんだよね……?」
僕は、どうにか言葉を絞り出した。
「ううん。この部屋であってるよ」
「え、どういうこと……?」
「今日は、私とこの部屋で過ごしてね。まこちゃん」
ゆきちゃんが恍惚の表情を浮かべながら言った。
見たことのないゆきちゃんの様子を見て、僕の思考はどんどん追いつかなくなっていった。
「何で、そんなこと……?」
「あはは……。まこちゃん、何でもお願い聞くって言ったよね……? 何でもなんて、私みたいな女に軽々しく言っちゃダメだよ……?」
――ダメだ。全くわからない。
僕は、目の前で話している女の子がゆきちゃんだなんて信じることができなかった。
未だにわけがわからずにいる僕に追い打ちをかけるように――、
「それに、私、知ってるんだ……。まこちゃんと永井さんが仮の恋人関係なんかじゃなくて、本当はもう付き合ってるって……」
ゆきちゃんは、耳を疑うようなことを言った。
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