第57話 ミルクはコーヒーの苦さを誤魔化せない


 朝から色々なことがあったが、時は過ぎ、放課後になっていた。


『今日は、部活なしでお願いね~!』


 愛理と部室に向かおうとしていたら先輩からそんなメッセージが届いた。


「これ、絶対顔を合わせにくいだけよね」


 愛理が先輩から写真部のグループチャットに送信されたメッセージを見て、苦笑いを浮かべていた。


「あはは……。絶対そうだね」


 僕は、スマホを眺めながら言った。


「まあ、こっちも先輩に会わないで済むなら、それが楽だしラッキーってことにしましょ」


「そうだね。それじゃ、僕は、図書室で下校時刻まで本でも読もうかな……」


「そう……。私は、お姉ちゃんに買い出し頼まれてるから、先に帰るわね」


 愛理は少し、残念そうな顔をしていたが、そのまま教室を出て行った。


 僕も、図書室へ行こうと、教室から出ようとしたときだった――。


 後ろから制服の襟をぐいっと、引っ張られた。


 おそるおそる僕が後ろを振り返ると――、


「今日、暇になったの?」


 ゆきちゃんがはりつけたような笑顔を浮かべていた。


「ええっと……。はい……。まあ、暇です……」


 僕は、なぜか敬語で返答していた。


「じゃあ、一緒に帰ろ……?」


 ――なら、ここで一緒に帰るんだろうけど……。


 僕は、教室の隅の方から鈴音が僕の方を心配そうに見ていることに気がついた。


 やはり、鈴音は、僕が女子と親しくしているのは面白くないみたいだ。

 

 可愛い彼女のそんな様子を見てしまった以上、彼氏としては、ここはうまく切り抜けたい。


 しかし――、


「ダメ……?」


 ゆきちゃんが少し不安げな顔をして言った。


 ――これ、どうすれば……? 考えろ……。


 板挟みにされながら僕は、この場をどうにか切り抜ける策を必死に考えていた。


 そんなときだった――。


『ピロン!』


 スマホが通知を受け取ったことを知らせた。


 僕は、「ちょっと、ごめん」と言い、スマホを確認した。


『真琴君、今から私の教室まで来れる?』


 さっちゃん先輩からのメッセージだった。


 ――あ、もしかして、このために部活が中止になったのか……?


「えっと、霧崎君、どうかした?」


 僕がスマホを眺めてボーっとしていると、ゆきちゃんがわざとらしく咳払いをし、声をかけてきた。


「あ、ごめん……先輩から呼び出しされちゃって……」


 少し言いにくかったが、先輩の呼び出しを無視することはできないため、僕は、両手の手のひらを合わせて言った。


「ふーん。それじゃ、仕方ないか」


 ゆきちゃんの機嫌が再びあからさまに悪くなった。


「ほ、ほんとにごめん! そ、それじゃ!」


 困り果てた僕は、逃げるように教室から出て行った。


***


「あ、きたきた~!真琴君、やっほ~」


 2年生の教室があるフロアに着くと、2年生の教室に僕が顔を出さなくてもいいように配慮してくれていたのか、廊下の壁に寄りかかって僕のことをさっちゃん先輩が待っていた。


「えっと、どうもです……」


 僕は、朝のことがあるせいか先輩にぎこちなく挨拶をした。


「そんな硬くならないでよ~……。――って、それは、無理があるよね……。朝は、ほんとにごめんね……」


 珍しくさっちゃん先輩がしおらしい様子で謝ってきたため、僕は、思わず狼狽えてしまった。


「あ、その、気にしないでください! 僕の方こそすみませんでした。今回は、お互い様ってことにしましょう」


 気にしていないわけではないが、これ以上気にしても仕方がない上、今回ばかりは自分にも非があるため素直に謝罪の言葉を返した。


「ううん。今回は、ほんとに私のせいだから……。いつも気を遣わせちゃってごめんね」


 ――ええ……。ほんとに先輩らしくないな……。


 いつもの先輩なら、『うん! これで仲直り! それでさ~……』と、自分に都合よく話を続けてくると思われるが、今の先輩は、しおらしい態度を取り続けている。


「えっと、先輩……? ほんとにもう大丈夫ですから……」


 僕は、逆に申し訳なく思ってしまった。


「真琴君、ありがとうね。鈴音ちゃんに怒られて目が覚めたよ」


「先輩……」


 僕は、先輩にこんなことを言われる日が来るなんて思っていなかったため、驚きを隠せないが、どうやら改心したようだ。


「朝の様子を見るに、秀一君にも嫌われただろうし、愛理ちゃんにも悪いことをしたって思ってるから、お願いしてたお出かけはなしでいいよ。振り回してばかりでごめんね」


 先輩が困ったように笑いながら言った。


 僕は、すかさず『何もそこまで……』と言いかけたところで、先輩は――、


「そうそう、後、1つ言いたいことがあるんだけど」


 僕の言葉を遮るように言った。


 言葉を遮られた僕は、先輩が秀一とのお出かけを取りやめるという意志を今は変えるつもりはないと悟り、諦めた。


 僕がそんなことを考えていると――、


「愛理ちゃんとのことどうにかしないと大変なことになっちゃうと思うよ……? 今日の朝、だいたいわかっちゃった」


 先輩は、いつになく真剣な顔で言葉を続けていた。


「えっと……。何のことでしょうか……?」


 僕は、何の話か分かっていたが『もう鈴音と付き合い始めました』なんて言えず、白を切った。


「そんな風にとぼけちゃダメだよ。まあ、こんなとこで立ち話もアレだし、移動しよっか……?」


 先輩は僕に優しく微笑みかけながら言った。


「はい……」


 僕が返事をすると、さっちゃん先輩は教室に荷物を取りに行った。


***


 僕はさっちゃん先輩に連れられ、某有名カフェチェーン店に来ている。


「それで、一体何がどうなってるの……?」


 先輩はアイスティーを一口飲んでから言った。


「……」


 僕は、何も言えなかった。


 まだ知り合って数カ月だが、僕は、先輩がかなり鋭いことを知っている。そのため、下手に嘘をつこうものなら、簡単にバレてしまう可能性があるため、下手なことはいえない。


「心配しなくていいよ。愛理ちゃんに話すつもりは一切ないし、ただ、今まで迷惑をかけたお詫びに悩み相談を引き受けたいだけだからさ、正直に話してよ」


 先輩が僕を安心させるように微笑みかけてきた。


「はい……」


 僕は、このとき、もう話すしかないと思った。


「えっと、これは、私の憶測だけど、鈴音ちゃんと真琴君、ただの友達じゃないよね……? 少なくとも、友達以上恋人未満かな……? 何ならもう付き合ってたり……?」


 やはり先輩は鋭かった。


「はい……。付き合ってます……。でも、どうしてわかったんですか……?」


「え、だって、鈴音ちゃんが来たとき、鈴音って名前で呼びかけてわざわざ言い直してたじゃん……! あんなの、『普段はとっても仲良しだけど、みんなには内緒の関係にしてます』って言っているようなものだよ。まあ、多分、あの様子じゃ、私以外気づいていないと思うけど」


 僕は先輩があのときはあんなに機嫌を悪くしていたのに、そんな風に観察眼を働かせていたことを知り戦慄した。


「すごいですね……」


「あはは……。私なんか普通だよ。真琴君の周りが鈍感な人ばかりなだけだよ」


「そうですね……。気をつけます」


 僕がそう言うと、先輩がもっと詳しく話を聞かせてほしいと言ってきたため、僕は先輩に今までのことをすべて洗いざらい話した。


「おお……。真琴君、見かけによらず結構えぐいことしてるね……」


 僕の話を全て聞いた先輩は少し引いた様子で言った。


「僕もそう思います……。実際、ここ最近、何度も自分のこと嫌いになってますし……」


「それはそうなっちゃうよ。まあ、それだけ鈴音ちゃんのこと好きなんだね……。でも、ずっと秀一君たちにそのことを黙っているつもりなの……? 見た感じ、鈴音ちゃんも真琴君のことになると、今日の朝みたいな感じで必死になっちゃうと思うけど……」


「それは……」


「私は、早く秀一君にも愛理ちゃんにも、早く話した方がいいと思う。真琴君がどんなに頑張っても、鈴音ちゃんは我慢強い性格じゃないと思うし、バレるのは時間の問題だと思うよ。それに、雪菜ちゃん? は、結構勘が鋭そうだし、騙しきれないんじゃないかな?」


「そうですね……。でも……」


 先輩の言うことは、ごもっともだ。


 先輩のごもっともな意見に僕は、口ごもってしまった。


「まあ、私がそうした方がいいって思うだけだから、強制はしないけど……。それに、嘘を貫き通したって、嘘で塗り固められた幸せは続かないよ」


 先輩の言葉が鋭く突き刺さった。


「はい……。しばらく考えてみます」


 僕は揺さぶられた心を落ち着かせるために頼んだアイスコーヒーに、このカフェに来て、初めて口をつけた。


 氷はすっかり解けていて味はすっかり薄まっているはずなのに、ミルクを多めに入れたはずなのに、僕は、なぜか苦みしか感じられなかった。


 ――まるでミルクを入れても、コーヒーの苦さは残ってしまうのと同じように、取り繕った幸せな虚構は真実を隠し切れないと言われているような気がしてしまった。





 


 


 


 


 


 








 


 


 




 


 



 


 

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