第56.5話 周回遅れのスタート(上条愛理視点)


 教室に入ってからクラスメートたちから向けられる好奇の視線を感じ、私は初めて自分が霧崎君の手を引いて教室に入っていたことに気がついた。


 しかし、手を握っていることに気づいても私がその手を離すことはなかった。


 私は手を離すどころか、ぎゅっとさらに力を込めた。


 さっちゃん先輩を相手に臆することなく怒りを顕わにしながら霧崎君を守っていた永井さんの姿が目に焼き付けられ、脳内で何度もループ再生されている。


 ただのクラスメートを守るためにあんな風に怒るだろうか?


 霧崎君が言うには、中学生のとき同じ塾に通っていて顔見知りで、それ以上ではないらしいが、本当にそうだろうか? 


 霧崎君は、自分なんて相手にされないと、私が、永井さんと霧崎君の関係性を聞いたときに言っていたが、そう思っているのは霧崎君だけで、実際は永井さんが霧崎君のことを好きだったら……?


 永井さんが霧崎君を守っていた姿を見てからそんな考えが頭から離れてくれず、私を焦らせていた。


 それに霧崎君、先輩が退散した後、永井さんに話しかけられて、すごくデレデレしてたし……!


 好きな人が自分以外の女の子にデレデレしているのを見て、焦りと同時に嫉妬の感情も湧き出ていた。


 そんな風に苛立ちながら霧崎君の手を引き歩いていると、自分の席の近くに着いたため、ふと、後ろを振り返って霧崎君を見ると、気疲れしたのだろうか霧崎君がため息をついていた。


 そして――、


「えっと……。愛理さん……手を離していただけると……」


 霧崎君が口を開いた。


「あっ……。ええ……! つい無意識に……」


 私は、さも気づいていなかったかのように振舞い、霧崎君の手を離した。


「「……」」


 その後はお互いに気恥ずかしさを感じていたからか特に会話はせずに席に着いた。


 席に座り、荷物の整理をしながら私は物思いに耽り始めた。


 カバンからお茶を取り出し、一口飲んで一息つくと、冷静に物事を考えられようになった。


 ――永井さんか……。


 永井さんが霧崎君のことを好きとまでは断定できないが、ただの顔見知りとは思っていないのは確かだ。


 永井さんが霧崎君のことを好きだった場合、自分なんかが太刀打ちできる自信はない。


 そう思うと、一度収まった焦りが私の中で再びくすぶり始めた。


 しかし、他の誰かが自分と同じ人のことを好きだからといって諦められるほど私の霧崎君への想いは弱くない。


 何せ私にとってこれは、だ。


 だから――、


 永井さんが積極的に霧崎君にアプローチする前に私も早く素直にならないと……!


 私は、いつぞやに引いたおみくじの内容を思い出しながら心の中で強く唱えた。


 ……誰かに取られる前に動かなきゃよね! ライバルは永井さんだけじゃないし……。


 先ほどから明らかに不機嫌で霧崎君に殺気のこもった視線を向けている吉井さんもいるのだ。


 グズグズしている暇はないだろう。


 2人ともとても魅力的な女の子だが、私だって、この高校に入ってから共に過ごしている時間なら負けていないはずだ。


 私は自分にそう言い聞かせて、朝から疲れ果てて机に突っ伏す霧崎君にチラリと目を向けた。


 そのまま、私は、頬杖をつきながら霧崎君の様子を眺め続けた。


 ――素直になると言ってもどうすればいいのだろうか? と、霧崎君を眺めながら考えていると、視線に気づいた霧崎君がこちらを見てきた。


 私は慌てて顔を背けた。


「なんかすごく見られてた気がするんだけど……。どうした……?」


 霧崎君が困惑気味に聞いてきた。


「な、何でもないわよ! ただ、朝から先輩に絡まれたとはいえ、そんなにしょげないでほしいって思っただけよ!」


 ちがうちがうちがう! なんでそんなこと言っちゃうのよ! 私の馬鹿!


 私は、素直になろうと決めたばかりなのに気恥ずかしくていつものように辛辣な言葉を投げかけてしまった。


「ご、ごめん……」


 顔を引きつらせながら霧崎君が言った。


 霧崎君、顔を引きつらせちゃってるじゃん! ほんとに何やってるのよ! どうしよう!


 私は、どうにか挽回しようと必死に思考を巡らせた。


 その結果――、


「これ、あげるから元気だしなさい……!」


 私は、呆けた顔をしている霧崎君に霧崎君が好きだと言っていた硬さが特徴のクマの形をしたグミの小袋を1つ手渡した。


 ――霧崎君が好きだと言っていたから試しに食べてみたら、すっかりはまってしまって、カバンにストックしておくようにしておいたけど正解だったわね……。


 おかげでどうにか挽回の策にたどり着けた。


「え、あ、ありがとう……? ……って、そのバックの中身どうなってるの!?」


 霧崎君が私のカバンにストックされているグミの数を見て、目を丸くしていた。


「あ、えっと……霧崎君が好きって言ってたから、食べてみたらはまっちゃったのよ……。悪い……?」


「いや、悪いなんて、そんなこと思わないけど……。そんなに気に入ってくれたならよかったよ……! 今度、おススメの珍しいグミ持ってくるから一緒に食べようか」


 霧崎君は苦笑いをしながら言った。


「え、ええ……! ぜひ! あ、後、珍しいグミ売ってるお店とかに連れて行ってくれたりしない……?」


 私は、この場を繋げるのに必死で苦笑いを浮かべる霧崎君のことなど露知らず、気づけばそんなことを口走っていた。


 ――ほんとに何言ってるのよ!? 私!? これって放課後デートに誘ったことに……。ああ、顔が熱い……。


 私がそんなことを考えていると――、


「あー、うん……。機会があったらね……! 最近、忙しくて……。今度、時間あるときに声かけるよ」


 霧崎君が歯切れの悪い返事をした。


「え、ええ……。私ならいつでもいいから……」


 私は、霧崎君の返事に意気消沈したものの、そのまま、身体の向きを前に戻し、気を持ち直した。


 ……ま、まあ、これから距離を縮められればいいわ……。後、たまに辛辣な態度を取っちゃうのもなんとかしなきゃ……。


 私は、呑気なことに先ほど失敗したばかりなのに、今後、霧崎君にどうアプローチしていくかを考えていた。


 もう既に勝負が決していることなど知らずに――。


 


 


 


 




 




 


 


 


 


 


 


 


 


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