第56話 幸先の悪いスタート
僕は、珍しく目覚まし時計が鳴る前に目を覚まし、ボーっとしながら天井を眺めていた。
『ピロン!』
枕元に置いたスマホが通知音を鳴らした。
スマホに手を伸ばし、通知を確認すると、鈴音からメッセージが届いていた。
『おはよう!』
スマホに表示されたメッセージを見て、僕の頬が無意識に緩んだ。
今までも『おはよう!』というメッセージは毎日のように来ていたが、本物の恋人になってみると、以前と比べて、少しくすぐったいような気持ちになった。
僕はさらに頬を緩ませ、『おはよう!』と同じように返信した。
しかし、『おはよう!』だけでは少し味気ないような気がしたため、『今日も部活の朝練頑張ってね』と、僕はすかさず付け加えた。
僕が返信すると――、
『うん! 真琴君に応援されたから朝から元気いっぱい頑張っちゃうね!』
すぐに鈴音から返信が届いた。
メッセージでのやりとりであるため、鈴音がどんな表情をしているかはわからないが喜んでくれていたらいいなと僕は思った。
***
1時間が経ち、身支度を終え家の外に出ると、いつものようにゆきちゃんが僕のお迎えという名目で僕の家の前まで来ていた。
「おはよう!」
ゆきちゃんが元気よく朝の挨拶をするなり、僕に駆け寄って僕の腕に抱き着いてきた。
「おはよう……!」
僕はいつも通りの明るい声で言った。
「今日は珍しく眠くなさそうだね?」
「うん。昨日は夜更かししなかったから」
どうやら、いつも通りを装えているみたいだ。
――いつも通りを装えてはいるけど、さすがに腕に抱き着かれるのは困るな……。
腕に感じる柔らかな感触にドキドキしてしまうし、鈴音と正式に付き合い始めた以上、異性との身体的な接触は控えたい。
そう思った僕は、僕の腕に抱き着くゆきちゃんを無意識にやんわりと離した。
「えっ……?」
抱き着いていたところを離されたゆきちゃんがきょとんとした顔で立ち尽くした。
いつもならゆきちゃんが腕に抱き着いてきた場合、飽きるまでそのままにしておくため当然の反応だ。
――あ、やばい……。
僕は、鈴音の本物の彼氏になったという意識が自分で思っていたよりも強く、いつも通りからかけ離れた行動を取ってしまった。
「あ、ごめん……」
僕は、どう弁明すればいいのかわからず、謝ることしかできなかった。
ゆきちゃんは、未だにきょとんとした様子で僕のことを見つめている。
背中から汗が噴き出してくるのを感じる。
僅か数秒の出来事のはずなのに、時間の流れをとてつもなく遅く感じてしまっている。
永遠に続くのではないかと思えるくらいの沈黙がしばらく続いた後――、
「まこちゃんの馬鹿……」
ゆきちゃんがボソッと呟いた。
そして、そのまま、ゆきちゃんはローファーを履いているにも関わらず走って駅の方へ走り去ってしまった。
「ちょっ……!? ゆきちゃん……!?」
慌てて僕は、走りだし、ゆきちゃんを呼び止めるが、僕の声は届かずにゆきちゃんの姿は見えなくなってしまった。
――一体、何をしたらあんな速度で走れるんだ……。
僕は、息を切らしながら道の端の電柱に寄りかかった。
「はあ……」
僕は、ため息をつき、いつも通りを装えなかったこととゆきちゃんを傷つけたことを悔やんだ。
――こんなんじゃダメだな……。
幸先の悪いいつも通りの演技に不安を感じつつも、もう引き返せないところまで来てしまっているため、僕は、もっとうまくやれるようにならなければ……と思わずにはいられなかった。
***
言うまでもなく僕は、あのまま1人で登校した。
――どうにか許してもらわないとな……。
ぼんやりと思考を巡らせながら歩いている内に教室の前までたどり着いていた。
『ガララッ!』
僕は、相変わらずうるさい音を立てて開く教室のドアを開け、教室に入った。
教室に入ると、既に教室に来ていた愛理と樹が『おはよう』と朝の挨拶をしてきた。
そして――、
「「……」」
僕とゆきちゃんは、同じクラスでしかも前後の席であるため必然的に顔を合わせることになる。
――うう……。気まずい……。
ゆきちゃんも同じように思っているのか、目が合うなりすぐに僕から目を逸らした。
「真琴、吉井さんと何かあった……?」
僕とゆきちゃんの様子を見た樹が小声で聞いてきた。
「ま、まあ……」
僕は苦笑いをしながら言った。
「……ったく。普段、おとなしめの吉井さんがあからさまに機嫌悪いんだからよっぽどだよ……?」
あからさまに僕と目を合わせないように本をこれでもかと顔に近づけて読んでいるゆきちゃんを見て、樹が呆れた様子で言った。
「うん……。なんとか、仲直りするよ」
「頑張れ……。校外学習の話し合いもあるんだからしっかり頼むよ」
樹はそう言うと、自分の席に戻り、スマホでゲームをし始めた。
樹が席に戻ると――、
「ねえ、さっき、さっちゃん先輩からメッセージ届いてたんだけど、そっちにも来てた……?」
愛理が僕に話しかけてきた。
「ッ!? 先輩から……!?」
僕は、思わず大きな声を出した。
――やばいやばいやばいやばい……。
僕は、慌ててスマホを取り出しメッセージを確認した。
『テストお疲れ様~! 今日からまた部活再開するよ~! それと、例の件どうなってる……?』
僕は思わず固まってしまった。
「もしかして……忘れてた……?」
愛理が僕の思考を読んだかのように言った。
「ごめん……。テストとかのごたごたで忘れてた……」
僕が絶望したような表情で言うと、愛理がため息をつき――、
「まあ、正直、私もさっき思い出したところだけど……。そうなると、早急に渡辺君と予定合わせないとまずいわね……」
意気消沈した様子で言った。
「そうだね……。秀一が来たらすぐに聞こう」
僕がそう言った瞬間だった――。
「ねえねえ、そこの君! 真琴君と愛理ちゃん呼んでもらってもいいかな……?」
「えっと、霧崎君と上条さんであってますか……?」
「うん! あってるよ~!」
教室の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
その声が聞こえてきた瞬間、僕と愛理は同時に身体を震わせ、硬直させた。
「霧崎君と上条さん……なんか外で先輩? が待ってるよ」
あまり話したことのない男子生徒が声をかけてきた。
「う、うん……。わかった……。ありがとうね……」
僕がそう言うと、男子生徒は自分の席に戻っていった。
僕と愛理は顔を見合わせ、おそるおそる廊下へと出て行った。
「おっはよ~! 2人とも会いたかったよ~!」
廊下へ出て行くなりさっちゃん先輩が満面の笑みで僕と愛理を出迎えた。
――僕は会いたくなかったです……。
心の中で一番会いたくないタイミングで僕たちに会いに来た先輩に悪態をついた。
「あはは……。僕も会いたかったです」
「ワ、ワタシモデス……」
僕は、かろうじて平静を装うことができたが、愛理は、もう完全に感情のないロボットのようになってしまっていた。
「だよねだよね! さっちゃん先輩に会いたかったよね!」
相変わらずの都合のいい解釈ばかりする先輩に、僕は呆れつつも――、
「それで……なぜここに……?」
先輩にここに来た目的を聞いた。
「えっとね、渡辺君にご挨拶……? みたいな」
首をかしげて可愛らしく先輩が言った。
――想定してた中で一番最悪なやつだ……。
このままだと僕が秀一にいつ空いてるかとか、ボウリング場でいいかなどを聞かずに全く動いていなかったことがバレる。
「なるほど……。でも、生憎ですが、秀一は今、部活の朝練で……」
僕が秀一にどうにか連絡を取ろうと、スマホを取り出そうとした瞬間だった――。
「あれ……? 真琴と上条さん……? それに……先輩……。どうも……」
間の悪いことに秀一が来てしまった。
「あ、やっほ~! 渡辺君! 清宮さつきです! 今度のお出かけで話があって来たんだ!」
秀一に声をかけられるなり、先輩はいつもよりも高い声で言った。
ふと、愛理を見ると、先輩の変わりように若干顔を引きつらせていた。
「あ、そうなんですね。そういえば、お出かけっていつなんですか……?」
――あ、終わった……。
僕は、死を覚悟した。
「真琴君……? 話通してくれてなかったの……?」
先輩が俯いて言った。
「えっと、あ、いや、その……」
こればかりは完全に僕に非があるため、何も言えなかった。
「これは、久しぶりに……お仕置きかな?」
先輩は顔をゆらりと上げ、にこやかに言った。
「ひいっ……」
僕は、思わず怯えた声を出してしまった。
怯える僕に先輩がゆらりゆらりとした足取りで近づいてくる。
「先輩と少しあっちの方行こうか……?」
僕の目の前まで来た先輩に右手を掴まれて僕が連れ去られそうになったときだった――。
「あの……やめてもらえませんか……?」
どこからか声が聞こえてきた。
僕の空いている左手がその声が聞こえてきたと同時に引っ張られた。
僕は、驚いて後ろを振り返った。
僕が後ろを振り返ると、そこには――、
「すず……永井さん……!?」
鈴音が僕の左手を握りながら立っていた。
「誰かな……? 急に現れて、先輩に対して無礼じゃないかな……?」
ただでさえ機嫌が悪くなっていた先輩がさらに苛立った様子で言った。
「突然、失礼しました。永井鈴音って言います」
鈴音は落ち着いた様子で淡々と言った。
――鈴音、怒ってる……?
妙に落ち着いた様子の鈴音を見て僕はそう思った。
「へ~。なるほどなるほど……」
先輩が興味深そうに鈴音のことを見ながら言った。
「……? なんですか……?」
鈴音は、怪訝な顔で聞いた。
「あ~、えっと、何でもないよ! それよりも真琴君とお話したいんだけどいいかな……?」
一瞬、和らいだように見えた苛立つ様子を先輩は再び見せた。
「ダメです」
鈴音は断固拒否する態度を取った。
「どうして部外者の君にそんなこと言われなきゃいけないのかな……?」
先輩はさらに苛立つ様子を見せた。
そんな苛立つ先輩に鈴音は――、
「誰がどう見ても、霧崎君、嫌がってるじゃないですか」
臆することなく言った。
――やっぱり、鈴音、めちゃくちゃ怒ってるよね……?
真っ向から先輩に言い返す鈴音を見て、僕は、改めて思った。
僕は、ふと愛理と秀一の様子が気になり、2人の様子を見ると――、
2人とも初めて見る鈴音の怒った姿に呆気に取られ、呆然と立ち尽くしていた。
「鈴音ちゃんはそう言っているけど、渡辺君はどう思う……?」
呆然としてた秀一はハッと我に返った様子で――、
「あ、はい……。俺もそう思います……」
おそるおそる言った。
一応、話はちゃんと聞いていたみたいだ。
「そっか……。今回は見逃すことにするよ」
先輩はそう言うと僕の手を離し、決まりが悪いのかその場を去っていった。
「霧崎君、大丈夫……?」
先輩が去ると同時に鈴音が僕のもとへ駆け寄ってきた。
「あ、うん……! おかげさまで……! ありがとう!」
「それならよかったよ!」
鈴音が満面の笑みを僕に向けてきた。
その笑顔に顔が赤くなるのを感じていると――、
「永井さん、助けてくれてありがとうね。それじゃ、私たちはこれで」
愛理が僕の手を引いてきた。
「ちょっ……!? 愛理!?」
「いいから……! 行くわよ!」
僕はぐいぐいと手を引く愛理になされるがまま教室に引きずり込まれた。
後ろを振り返ると、鈴音は僕に手を振っていて、手を振る鈴音の横では、秀一が微笑ましいものを見る目で僕のことを見ていた。
愛理に引きずり込まれ、教室に戻ると、何やらひそひそとされている。
――まあ、教室の前であんな騒ぎ起こしてたら好奇の目で見られるのも当然か……。
そんなことを考えながら愛理に手を引かれ、自分の席に戻っていると、ゆきちゃんと目が合った。
そして、ゆきちゃんの目線が愛理に握られている僕の右手へと向けられた。
――あ……。
またやらかしたと思ったときにはもう手遅れだった。
ゆきちゃんは、あからさまに顔を背けて、さらに不機嫌な様子を見せた。
「はあ……」
僕は静かにため息をついた。
こうして、ただでさえ鈴音との関係を隠すためにいつも通りを装わなければならないのに、ゆきちゃんの機嫌直しや先輩と秀一のお出かけなど問題が着々と積まれ始めてしまった。
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