第54話 最低


 時刻は18時47分。


 夏が近づいてきて日が延びたとはいえ、あたりはかなり暗い。


 僕の前を鈴音と秀一が並んで歩いている。


 そして、鈴音の代わりに僕の隣には、秀一の幼馴染である谷口まみさんが並んで歩いていた。


 これは僕と谷口さんの協定通りの構図だ。


 ――これ、思ったよりもきついな……。


 鈴音と秀一が楽し気な表情を浮かべて部活のことなどを話しているのが聞こえてくる。


 僕は、そんな会話をなるべく耳に入れないようにしていた。


 会話を耳に入れないようにするが――、


 ……本当なら今日、そこを歩いているのは僕だったんだよな……。


 正直、嫉妬で気が狂いそうだった。


 なりゆきででき上った状況であり、誰が悪いとかそういったことは一切ないため、僕は、この行き場のない感情にやるせなさを感じた。


 僕は、心を無にしようと努め、ひたすら焦点も合わせず前へ進み続けた。


 そのままボーっと歩き続けていると――、


「ねえ! ねえってば……!」


 ぼんやりと声が聞こえてきた。


 僕は、その声が聞こえてくる方向を見た。


「霧崎君! さっきから話しかけてるんだけど……?」


 どうやら谷口さんに話かけられていたみたいだ。


「え……。ああ……ごめん……。ちょっとテストの勉強で寝不足で……」


 僕は我に返って、未だどこかぼんやりとした返事をした。


「もう……! 私だからいいけど、そんなんじゃ、上条さんに嫌われちゃうよー……?」


 谷口さんはどこか僕をからかうような顔をしながら言った。


 僕は愛理の名前を出されて少し胸が痛んだのを感じた。


 ――周囲の人には、僕は愛理のことが好きなように見えているのか……。


 実際、愛理への気持ちが全くないかと言われたら、そうとは言えない。


 しかし、僕はもう選んだのだ。


 僕は、前にいる鈴音へと一瞬、目を移した。


「あはは……。気をつけるよ……」


 僕は、誤魔化すように苦笑いをしながら言った。


 ――これでいいんだ。


 そう、これでいいのだ。


 これから僕は、鈴音と付き合いながら秀一たちの目を欺かなければならないため、僕が愛理のことが好きだと思われている内は、うまくやれている証拠だ。


 僕はそう思うことにした。


「うんうん! 人の話はちゃんと聞きましょう! ――あ、そうだ! この前、秀一とカラオケ行ったんでしょ?」


「うん。行ったよ? それがどうかした……?」


 僕は、あの日のことを思い出しながら言った。


「えっとね……! 本人に聞かれたら怒られそうだけど、『あんなに友達と好きなバンドの曲歌えるの初めてで、本当に楽しかった……!』って本当に嬉しそうに言ってたんだよ!」


「そっか……」


 谷口さんの言葉が鋭いナイフに変わり僕の胸に突き刺さった。


「うん……! だから今後も秀一のこと大切にしてくれると嬉しいな! 幼馴染の私目線でも、秀一、霧崎君のことめちゃくちゃ好きだから!」


 突き刺さった言葉のナイフがさらに傷口をえぐってくる。


「うん……! もちろん……! こちらこそだよ」


 僕は、できる限りの笑顔を作りながら言った。


 今、僕はちゃんと笑えているだろうか……?


 そんなことを考えたって自分の顔は見えないため、仕方ない。


「あ、後ね! 秀一が今度、霧崎君と……」


「あの……。お2人さん……全部聞こえてるし、すごく恥ずかしいから勘弁してほしいな……」


 いつからかはわからないが僕と谷口さんの会話を聞いていた秀一が頬を少し赤らめながら言った。


「ごめんって! でも、秀一、自分じゃ言わないだろうし……こういうのはちゃんと言っておかないと!」


「そうかもしれないけど……! 恥ずかしいものは、恥ずかしいの!」


 秀一と谷口さんが可愛らしい口論を始めた。


***


 秀一と谷口さんの口論は、数分もかからずに終わった。


「そういえば、さっき永井さんに聞いたんだけど、真琴、永井さんと同じ塾だったの?」


 口論が終わり、一息ついた後、秀一が話しかけてきた。


「あれ……? 言ってなかったっけ……?」


 確か、いつだったか話した覚えがあるんだけどな……?


 僕は、記憶を辿って、樹にしか話していなかったことを思い出した。


「今、思い出した。樹には、話してたけど、秀一と仲良くなる前のことだったから……」


「そうだったんだ! でも、ほんとに意外な接点でビックリしてる!」


「まあ、ほんとに顔見知り程度だったけどね」


 僕は、苦笑いをしながら言った。


 そんな風に苦笑いをしていると、前を歩く鈴音から視線を感じた。


 鈴音からの視線に気づいた僕はアイコンタクトで必死にごめん……! と、伝えた。


 僕がそうしている内に――、


「はいはい! 質問! 中学のときの2人はどんな感じだったのー?」


 谷口さんが質問をしてきた。


「最初は、寝てばっかの人だなーって感じだったかな」


 質問されるなり鈴音が即座に話始めた。


「あー、今もすべての授業じゃないけど、生物の授業と世界史の授業とかめちゃくちゃ寝てるもんね」


 秀一が余計なことを言った。


 そういうことは言わないでくれ……。


 僕がそんなことを考えていると――、


「あはは……。まあ、とにかく最初は、寝てばっかの人って印象だったよ。でも、ある日、なんでかはわからないけど、霧崎君が青和高校を受けるって言いだして、猛勉強し始めたんだ……。それからは、努力家ってイメージかな」


 鈴音が懐かしむような表情を浮かべながら言った。


「へー……! 真琴から猛勉強してこの高校に入ったって話は聞いてたけど、永井さんにも努力家って言わせるほど勉強したのか……! すごいね!」


 秀一がいつもの爽やかな笑顔を僕に向けてきた。


「ま、まあ……。あのときは、青和に受かるほどの学力からは程遠かったからね……」


 僕は、少し照れ臭くて俯きながら言った。


「それで折れずによくここまで来たよ……! ほんとにすごい……!」


 そう言うと、秀一が肩を組んできた。


「ちょっ! 秀一!?」


 僕は、急に肩を組まれ目を丸くしてしまった。


「俺も今、先輩とか顧問の先生に演技が下手だって言われて、毎日怒られてばかりだけど、俺も真琴みたいに折れずに頑張るよ!」


 ニッ! と歯が見えるくらいの笑顔を浮かべながら秀一が言った。


 ――僕は最低な人間だな……。


 僕は、秀一の笑顔を見て自己嫌悪せずにはいられなかった。


 秀一は、僕のことを大切な友人だと思ってくれている。


 肩を組んで、僕に尊敬の気持ちを向けてくれていることがこれでもかとわかる言葉までくれた。


 それなのに、さっき僕は――、


 ……邪魔だな。


 鈴音の隣を歩いていた秀一を見て、そんなことを考えてしまっていた。


 ……秀一にだけは、何があってもバレないようにしなければ……。


 自己嫌悪をしてもなお、鈴音を選ぶという決心は揺らがなかった。


 もう僕の心の中で友情より、鈴音との初恋が勝ってしまっていたのだ。


 僕は、どんな手を使ってでも嘘を貫き通すと心に決めた。


 大切な友人と初恋の女の子のどちらも失わないために――。


 


 


 






 

 




 


 


 


 




 

 


 


 


 

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