第44話 甘えは捨てろ 前編


 15分くらい全力で走ると、瀬戸屋が見えてきた。


 瀬戸屋に入ると、始が始の母の絵里さんと会話していた。


「あ、真琴、いらっしゃい」


 僕が来たことに気づいた絵里さんが声をかけてきた。


「絵里さん、どうも……」


 ペコリと僕が会釈すると――


「おお……。顔色が悪いけど、大丈夫……?」


 心配そうな顔をしながら絵里さんが言った。


「それに……」


 絵里さんがすんすんと鼻をきかせ始めた。


「何か、女性ものの香水の匂いがする気がするんだけど……。気のせい……?」


 僕は、思わずドキッとしてしまった。


 ――絵里さん、勘が鋭すぎる……。


「気のせいですよ……。あはは……」


 僕は、ぎこちなく笑いながら言った。


「そう……。ならいいけど……」


 訝し気な顔を僕に向けながら絵里さんが言った。


「はい、気のせいですし、僕の顔色がよくないことなんていつものことですから……!」


「まあ、それもそっか……! ちゃんと寝なさいよー」


 絵里さんは、そう言うと厨房の方に歩いて行った。


「ふう……」


 ――なんとか誤魔化せたか……。


 僕が息をついていると――


「よし、母さんも行ったし、カラオケ行くぞ!」


 そう言いながら始が歩き始めていた。


「あ、うん」


 僕は、慌てて既に瀬戸屋の出口へ歩いていく始を追いかけた。


***


 僕たちは、近所のカラオケボックスに電話をかけたところ既に満室と言われたため、5駅くらい先の駅近のカラオケボックスに行くことになった。


 そして、今は、最寄り駅まで歩いている途中だ。


「で、何があったんだ……?」


 歩き始めて数分が経ったあたりで始が切り出してきた。


「――何もないよ……。始まで変なこと言わないでよ……。あはは……」


 僕が苦笑いをしながら言うと――


「……ったく。何年の付き合いだと思ってるんだ……? お前の様子がおかしいことなんて手に取るようにわかるぞ」


 始が呆れた顔をしながら言った。


 ――始には、敵わないな……。始になら話してもいいか……。


 僕が意を決して話そうとしたときだった――


「あれ……? 真琴先輩と始先輩……?」


 右の曲がり角の方から声が聞こえてきた。


 僕と始は同時にそちらを見た。


「おう、2週間くらいぶりだな……? 何してるんだ……?」


 始がそう返事をする相手は、僕と始の中学時代の後輩の高梨萌々香だった。


「塾の補習が終わって帰ってたところです……! 先輩たちは……?」


「俺たちは、これからカラオケに行くところだが……。萌々香も暇なら来るか……?」


 始がそう言うと、萌々香は――


「え、いいんですか! 行きます行きます!」


 目を輝かせながら言った。


「真琴もいいよな……?」


 始が僕に遅れて聞いてきた。


「うん。いいよ」


 親しい後輩が1人増えたところで問題は、特にないため断る理由もない。


 僕が、ふと萌々香の方を見ると、「わーい! 久しぶりに先輩たちと遊べる!」と、上機嫌な様子で言っていた。


 ――元気そうで何よりだ。


 僕がそんなことを考えていると――


 萌々香が僕に近づいてきていた。


「萌々香? どうした……?」


 僕が怪訝な顔をしながら言うと――


「先輩から女の臭いがする……」


 鼻をすんすんとさせながら萌々香が言った。


 ――いや、なんで絵里さんといい、萌々香といい、ほんとにわかるのかな……?


 僕は、内心ドキッとしながらも――


「気のせいだよ。あはは……」


 絵里さんのときと同様にぎこちない笑顔を浮かべながら言った。


 すると――


「絶対嘘です! 後で洗いざらい話してもらいますからね!」


 萌々香が意気込んで言った。


 僕は、始に助けを求めるように顔を向けると――


「俺も丁度それを問いただしてたんだった。危うく忘れるとこだったわ」


 僕の助けは却下された。


***


 僕たちは、20分くらい電車に揺られ、5駅離れたところにあるカラオケボックスに来ていた。


「で、何があったんですか……? あの、誕生日騒動の永井さんとやら絡みですか?」


 カラカラとメロンソーダの入ったグラスを鳴らしながら萌々香が言った。


「はい……。そうです……」


 僕は、隠し通すことを諦めていた。


「まあ、その様子を見るにいい報告じゃなさそうだよな……」


 始もメロンソーダを飲みながら言った。


「はあ……。まあ、今から一通り全部話すよ……」


 僕は、ため息まじりに何があったのかを話し始めた。


 僕が全てを話終えると――


「「……」」


 始と萌々香は、黙りこんでいた。


 ――まあ、そうなるよね……。


 不健全な関係にも程があると自分でも思うため、始と萌々香が黙り込んでしまうのも無理もない。


「はあ……」


 始のため息が沈黙を破った。


「なんか自分のことじゃないのに、頭が痛くなってきたわ……。てか、やっぱり上条さんとの関り方に気をつけろって言っておくべきだったわ……」


 始が頭を抱えながら言った。


「いやあ……。まあ、これ、全部先輩が悪い気がします……」


 萌々香も頭を抱えていた。


「……」


 2人に返す言葉もなく、僕は、黙ってしまった。


「もうとにかく、できるだけ早く誰が本当に好きなのか判断するしかないんじゃないですか……?」


 ストローでメロンソーダを吸いながら萌々香が言った。


「まあ、そうなんだけどさ……。どっちも同じくらい好きだからさ……。それにゆきちゃんの気持ちも無下にできないし……」


 僕が言い訳がましく言うと――


「はやくしないと、やばいことになりますよ……? 上条さんとか吉井さん? とかは、ともかく、話聞く限り、永井さんは……。ねえ……?」


 萌々香が何かを訴えるように始と顔を見合わせた。


 ――鈴音が何だ……?


 始の様子を見るに、始は、萌々香の言いたいことをわかっているみたいだ。


 そして、萌々香の言いたいことを理解できていない僕に呆れた様子で始が口を開いた。


「わかっていないみたいだから言うけど、永井さん、完全にメンヘラ化してきてるぞ……? 仮の恋人関係とか普通なら、そんなこと提案しないぞ……?」


 確かに、言われてみなくても、今の鈴音は、以前とかなり違う。


「早くしないと、刺されますよ……?」


 萌々香が震えながら言った。


 ――さすがにそれは、言いすぎだと思う。


 僕がそんなことを考えていると――


「刺されるは、誇張ですが、少なくともとんでもないトラブルに発展すると思います……。ですので、私は、早く上条さんにアプローチするのか、それとも吉井さんの好意を受け入れるのか、はたまた、このまま永井さんと本物の恋人になるか、どうするか、一刻も早く決めた方がいいと思います……。できれば数日以内に……」


「完全に萌々香と同意見だ……。数日以内は、理想だが、遅くとも中間テストが終わるくらいまでには、決めた方がいいと思う。長引けば長引くほど状況が悪くなるだけだ……」


 萌々香と始から続けざまに意見が飛んできた。


「頑張ってみるよ……」


 僕は、頼りない声で言った。


 すると――


「もう! しっかりしてください! もう、ほとんど手遅れで、永井さんと付き合う以外、とんでもないトラブルを回避する方法は、ないんですよ!? そこのところ、ちゃんとわかってます!?」


 萌々香が憤りながら僕の胸ぐらに掴みかかってきた。


「ちょっ……! 萌々香! 落ち着け……!」


 掴みかかる萌々香を始が必死に止めようとするが、萌々香は、止まらない。


「このまま、なあなあな関係をずるずると続けて、上条さんや吉井さんを選んだら、永井さん絶対諦められなくて、あの手この手で、略奪しようとしてきますよ!? 誰も傷つけたくないなんて甘ったれたこと許されないんですよ!? わかってます!?」


 萌々香は、こぼれたメロンソーダのことなんてお構いなしに声をさらに荒げた。


 この時、僕は、萌々香の言葉で改めて思い知らされた――


 僕は、鈴音の提案した仮の恋人関係なんて最初から受け入れるべきでなく、告白というものは、やはり、その時の覚悟に真摯に向き合うべきで、保留やお試しで付き合うなんてそんなことが許されるものでは、ないのだと。


 そして――


 ただ自分が愛理やゆきちゃん、そして、鈴音にできるだけ長くいい顔をしていたかっただけだと。


「ごめん……」


 僕は、さらに弱々しく言った。


 そんな僕を見て、萌々香は、萌々香を必死に抑える始を振りほどき、手を高く上げ――


 僕の頬をバチン! と音が鳴るほど強くはたいた。


 そして――


「ちゃんと、どうするか5月中には、決めてくださいね……。正直、見損ないました……。これ以上、がっかりさせないでください……」


 俯きながら萌々香が言った。


「……」


 僕は、萌々香の言葉に何も返せなかった。


「始先輩、ごめんなさい……。せっかく、ついてこさせてもらった身ですが、帰らせてください……」


「お、おう……。気にするな……」


 始がそう言うと、萌々香は、ペコリと会釈して、自分の分の料金を置き、足早に部屋を去っていった。


***


 萌々香が去った後、部屋は、完全に重たい空気に支配され、結局、僕と始は、もちろん歌う気分にもなれず、カラオケを出て、とりあえず気分転換に駅の近くの商店街を歩いていた。


「始……ほんとにごめん……」


「まあ、気にすんな……。今度、また、みんなで来ればいいさ。その時までに、萌々香と仲直りしろよ……?」


 始は、何とか場を明るくしようとしているのか、できるだけケロッとした顔をしようとしていることが伝わってきた。


「ありがとう……」


 僕は、始の優しさを申し訳なく思い、俯きながら言った。


「こんな風にしょげてばっかだと悪い気が寄ってくるだけだ! なんかうまいもんでも食って、力をつけよう……!」


 始は、そう言うと、僕と肩を組んで、ずんずんと前に進み始めた。


 ――ほんとにいい友達を持ったな……。


 僕は、心の底から思った。


***


「もう端っこまで歩いたけど、何か食べたいのあったか……?」


 始が僕に聞いてきた。


「うーん……あるにはあるけど……。正直、結構価格設定高くてびっくりしてる……」


 僕は、苦笑いしながら言った。


「だよな……? ここ、こんな高い店しかなかったっけ……?」


 始も困ったように笑顔を浮かべながら言った。


「まあ、無難にファミレスとか、瀬戸屋に戻るでも僕は、いいけど……」


 僕がそう提案すると――


「ファミレスにしよう。瀬戸屋の料理は、毎日食べてるからたまには、違うものを食べたい」


 始が即答した。


「わかった。じゃあ、ファミレスに行こう」


 そう言って、ファミレスの方へ向かおうとしたときだった――


「霧崎君……?」


 僕の背後から聞き慣れた声がした。


 僕が驚いて後ろを振り返ると――


 愛理が立っていた。


 そして――


「どうも……。さっきぶりです……」


 愛理の後ろから萌々香がひょこっと顔を出してきた。


 ――え……? これ、どういう状況……?


 僕は、突然やってきた理解不能な状況に思わず呆然と立ち尽くしてしまった。




 








 


 


 


 









 


 


 


 


 



 


 

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