第43話 添い寝


「お邪魔します……」


 僕は、緊張気味に鈴音の部屋に入った。


 ――なんかいい香りがする……。


 部屋に入るなり、いい香りで頭がクラっとするのを感じる。


 ――いけない……。気を確かに持たなければ……。


 仄かに感じるいい香りに酔いしれている場合じゃない。


 自分も承諾した状況では、あるが、この状況が良くないのは明白だ。


 ――どう立ち回るか……。


 僕が思考を巡らせていると――


「真琴君……」


 うっとりとした声で言いながら鈴音が抱き着いてきた。


「ちょっ……!?」


 僕は、突然のことに狼狽えた。


 しかし――


 ふと、鈴音の顔を見ると、恍惚な表情を浮かべている。


 僕は、その表情を見て、背筋がゾクゾクするような感覚を覚えずには、いられなかった。


「ここ、人いないよ……? 人がいないならいいんだよね……?」


 鈴音が上目遣いで僕のことを見上げながら言った。


「うん……」


 さっき公園にいたときに人がいない場所でならいいと言ってしまった手前、これ以上は、誤魔化せなかった。


「真琴君からも抱きしめて……?」


 鈴音が僕を抱きしめる腕の力を強めた。


 僕は、一瞬、躊躇った。


 しかし、その躊躇いは、すぐに消えた。


 鈴音を満たさない限り、僕は、帰れない。


 そんな気がしてしまい、気づいたときには、僕は、鈴音を抱きしめていた。


 自分の行動を正当化する一方で――


 鈴音にもっと触れたい……。


 僕が鈴音を抱きしめた瞬間に、純粋な衝動が心の奥底から湧き出てきた。


 心臓の鼓動が一気に速まるのを感じる。


 何度も言うが僕たちは、あくまで仮の恋人関係である。


 僕は、鈴音だけでなく、愛理への気持ち、ゆきちゃんからの好意にも向き合わなければいけない。


 そのための仮の恋人関係だ。


 それなのに、鈴音にもっと触れたいと欲望を抱いてしまっている。


 理性と欲望が僕の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、僕は、自分を保つので精一杯だった。


 僕が、欲望を抑えようと必死になっていると――


「ねえ、聞きたいことあるんだけどいい……?」


 鈴音の空気感が少し変わったのを感じた。


「う、うん……。いいよ……」


 僕は、そう言うと、生唾を飲んだ。


 そして――


「昨日の夜、あの後、何してた……?」


 鈴音が不安げな表情を浮かべながら言った。


 僕は、面食らってフリーズしたスマホのように固まってしまった。


 ――なんでもう知っているんだ……?


 僕は、まだ、鈴音に昨夜、愛理と電話していたことは、話していない。


 鈴音は、まだ、そのことは、知らないはずなのだが……。


 しかし、鈴音を見ると、『私、全部知っているよ』とでも言いたげな顔をしている。


「えっと……」


 元々、話す覚悟は、できていたが、いざその時が来ると、口ごもってしまった。


 僕が口ごもっていると――


「正直に話して」


 鈴音が圧を感じる声で言った。


 その声に思わず――


「昨日の夜は、愛理と電話していました……。その後、電話している内に眠くなって、わざとじゃないけど、結果的に寝落ち通話をしてしまいました……」


 僕は、冷や汗をかきながら言った。


「……」


 僕が、昨夜、愛理との間にあったことを話すと、しばらくして――


「……して」


 鈴音が何かをボソッと言った。


「え……?」


 僕は、鈴音が言ったことを聞き取れず、呆けた声を出してしまった。


「添い寝して……。って言ったの」


 そう言う鈴音の表情からは、感情を感じることができなかった。


「仮の恋人ルールだよ……? もちろん、断らないよね……?」


 さらに、その声には、仮の恋人ルールを抜きにしても有無を言わさぬ圧を感じた。


「わ、わかった……」


 僕は、覚悟を決めて言うと――


「やった……!」


 鈴音は、間違いが起こらないようにと、気を張る僕と対照的に子供がプレゼントに喜ぶような声で言った。


 僕は、1人鈴音に気づかれないようにため息をついた。


***


「ねえ……? はやく、こっち来て……?」


 鈴音がベットの空いているスペースをポンポンと叩いている。


 僕は、ベットを前にして、躊躇っていた。


 ――やっぱり、流石にこれは、まずい……。


 僕は、鈴音をどうにか説得して、別のお願いにしてもらうことにした。


「え、えっと……や、やっぱり他のことじゃダメかな……?」


 僕は、遠慮がちに聞いた。


「ダメ。添い寝じゃなきゃダメだよ。上条さんと寝落ち電話したなら添い寝しかないよ」


 鈴音は、即答した。


 ――やっぱり、ダメですよねー……。


 僕は、心の中で頭を抱えた。


「いいから、早く……」


 鈴音の機嫌が段々悪くなってきた気がしたため、僕は、覚悟を決めてベットに横になった。


 ただし、身体を反対側に向けて……。


 僕は、愛理とゆきちゃんに罪悪感を感じながらも、後ろから聞こえてくる鈴音の息遣いにドキドキしてしまう。


 僕は、ベットの上で鈴音と一緒にいるという事実だけでどうにかなりそうなのに、顔を見てしまったらもう抑えられない。


 きっと、昨日よりも鈴音を求めてしまうだろう。


 僕が必死に理性を保とうとしていると――


「ねえ、こっち見てよ……」


 鈴音が耳元で囁いてきた。


 その直後――


 耳が熱い柔らかいものでなぞられた感覚がした。


 僕の背中が味わったことのない感覚にゾクッと震えた。


 僕は、その感覚に驚いて後ろを振り返ってしまった。


 僕が後ろを振り返ると――


「やっと、こっち見てくれた……」


 鈴音が恍惚とした表情を浮かべ身体を近づけてきた。


 ――あ、やばいやつだ……。これ……。


 間違いでも引き返せない。


 昨日、何度も頭を反芻した言葉が再び脳裏をよぎった。


 僕がそんな風に呆然としていると、鈴音が僕にキスしようとしてきた。


 僕は、もうほとんど失いかけていた理性で鈴音を止めた。


 すると――


 鈴音は、僕に抱き着き、耳元で囁いてきた。


「昨日、何回もしてるし、もう変わらないよ……? 上条さんたちには、内緒にしてあげるから……。ね……? キスしようよ……?」


 鈴音は、そう言うと、僕の返答を待たずに僕の唇を奪った。


 ――ああ……もう、抗えない……。


 もう、僕の理性は、ドロドロに溶かされてしまった。


 一度キスをしてからは、僕たちは、止まらなかった。


 唇が離れては、キスをし、お互いに求めるがままにキスを繰り返した。


 昨日よりも、深く求めあうようなキスだった。


***


 あれから、鈴音が満足したのか寝始めてしまい、僕は、帰るに帰れなくなった。


 ちなみにだが、寝ていることをいいことに触ったりなどそんなことは、一切していない。


 そして、2時間が経った今、ようやく鈴音が目を覚まし、僕は、ようやく鈴音の家から帰ることになった。


「それじゃ……また月曜日にね……」


 僕がそう言うと――


「うん……! また月曜日に!」


 鈴音は上機嫌で言い、僕の頬にキスをして家の中に戻っていった。


 その様子を見送った後、僕は、そのまま、家の方角へ歩き始めた。


 鈴音との幻のような時間が終わってしまうと、僕は、一気に現実に引き戻され、罪悪感と自己嫌悪に苛まれた。


 ――このままじゃ、いけないよな……。


 そうは、思いつつも昨日から、流されっぱなしになってしまっている現状を考えると僕は、もう手遅れだと実感せずにはいられなかった。


 そんなときだった――


『ピロン!』


 スマホが通知を受け取ったことを知らせた。


 ポケットからスマホを取り出し、確認すると、始からメッセージが届いてた。


『暇だったら、カラオケ行かね?』


 時刻を確認すると、15時26分と表示されていた。


 今からカラオケに行くとなると、3時間くらいがいいところだろうが、とにかく僕は、自分が感じている罪悪感や自己嫌悪から逃れたかった。


『行こう。今からそっち向かうよ』


 僕は、そう始にメッセージを送ると、ひたすら瀬戸屋のある方角へと一心不乱に走った。

 








 


 


 





 


 

 


 




 


 


 







 


 


 


 




 


 


 








 


 


 



 


 

 


 


 


 

 


 


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