第36話 できる限りの勇気

 

 僕は、英単語テストでミスをした件で先生に1限目の授業後、呼び出しを受けていた。


「霧崎……お前ってやつは……」


 僕の担任兼英語の授業の担当教員である寺川先生が心底呆れた顔をしていた。


 実に今週3度目の呼び出しである。


「はい、すみません……」


 僕は、いつものように『反省しています』と言わんばかりに、ただひたすら、神妙な顔をすることしかできなかった。


 しかし、同時に僕は、疑問に感じていた。


 ――なんで、たった2問のミスでこんな詰められ方をしなきゃいけないんだ……?


 出題数としては、20問のテストだった。


 そのうちの2問しか間違えていないのだから、結果としては、上々と言うことができるだろう。


 そう考えると、今、僕が呼び出しを受けていることは、不当と言う外ない。


 僕がそんなことを考えていると――


「なんで、呼び出されているかわかっていなさそうだから、言うぞ……?」


 先生がため息をつきながら言った。


 緊張感が一気に高まったのを感じた。


「まず、今日のテストに関してだが、4月の最初の授業のときに今日から単語テストを行うとアナウンスをしたはずだ」


 ――あ……全然聞いてなかったな……。


 僕の記憶が正しければ、4月の最初の授業のときとなると、僕が永井さんと初めてお昼休みに2人きりの時間を過ごせるとウキウキしすぎて寝不足で、話を全く聞いていなかった日にあたる。


 僕が、話を全く聞いていなかったことに落ち度があるみたいだ。


 そして、さらに、先生が衝撃の一言を放った。


「それに加えて、今日、霧崎以外の生徒は、全員満点を取った」


 ――は……? え……? 僕以外全員満点……?


「……」


 衝撃の事実に僕は、何も言うことができず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「これは、お前の準備不足以外の何でもない……。日ごろの生活をしっかりと見直すように」


 先生が普段よりも若干強めの口調で言った。


「はい……。次週からは、改善に努めます……」


 さすがの僕でも反省せずには、いられなかった。


「しっかり頼むぞ。じゃあ、このプリントを解いて来週の朝登校したらすぐに提出するように」


 そう言って、先生がプリントを手渡してきた。


「はい……。わかりました……」


 僕は、若干肩を落としながらプリントを受け取った。


「ああ、後それから……」


 先生が何やら、がさごそとデスクの上で探し物を始めた。


 そして――


「悪いんだが、さっきの授業で配布したプリントなんだが、これ、永井に届けてくれないか……?」


 先生がひらひらとプリントを見せてきた。


 ――え、永井さんに……? 早退でもするのかな……?


「来週の授業までにやっておいてほしいやつだから、今日中に渡しておきたいんだよ。どうやら、永井が早退するみたいだから」


 僕の予想は、当たっていた。


「わかりました。至急届けてきますね」


「ああ、頼んだぞ」


 そう言うと、先生は、僕に職員室から出るように促してきた。


「失礼しましたー」


 僕は、そう言って職員室を出た。


***


 僕は、職員室を出ると、階段を降り、真っすぐに保健室の方へ向かっていた。


 ――永井さん、まだ、学校にいるといいな……。


 先生の様子を見るに、その場の思いつきで頼んできた感じが否めない。


 そのため、プリントを受け取ってから帰るという選択肢は、永井さんには、ないと予想されるため、まだ、学校にいるとは、言い切れない。


 僕は、歩くペースを上げた。


 そのまま、ペースを上げたまま、歩いて保健室へ向かっていると、かつかつと足音が聞こえてきた。


 そして――


「「あ……」」


 僕と永井さんは、曲がり角で出会い頭に出くわした。


「霧崎君……?」


 永井さんが驚いた顔で僕を真っすぐ見つめてきた。


 永井さんの顔色は、朝、登校していたときよりも悪くなっているように思える。


「あ、えっと、永井さん……これ……先生が来週までにやっておいてほしいって……」


 僕は、先ほど寺川先生から受け取ったプリントを永井さんに手渡した。


「そっか……わざわざありがとうね……」


 永井さんは、そう言いながらどこか心ここにあらずといった様子でプリントを受け取った。


 ――こんなに永井さんが辛そうにしてるなんて、ほんとに余程のことなんだな……。


 今朝からずっと思っていたことだが、永井さんの様子を見るに、体調が悪そうなのは、明白だが、身体的な面よりも精神的に病んでいるように思える。


 ――僕なんかが力になれるかは、わからないけど……。


 いくら愛理と永井さんを同時に好きになってしまって、接し方を測りかねているとはいえ、流石にこの状況は、無視できない。


 だから僕は――


「僕なんかが力になれるかは、わからないけど、辛いことがあるなら頼ってほしいな……できることなら、永井さんの力になりたいんだ……」


 できる限りの勇気を振り絞って力強く言った。


 すると――


 永井さんが虚ろな目をしながら顔を上げた。


 そして――


「私の気持ちなんて知らないくせに……」


 永井さんが呟いた。


「え……」


 僕は、思わず呆けた声を出してしまった。


「私の気持ちも知らないでそんなこと言わないでよ!」


 永井さんが怒っているのか泣いているのかわからない表情を浮かべながら叫んだ。


 僕は、思わず固まってしまい、動くことも声も出すことができなくなってしまっていた。


 僕が、そのまま立ち尽くしていると――


「もう、私、行くから……」


 俯きながら永井さんが下駄箱の方へ歩いて行った。


 段々と永井さんの姿が遠くなっていく。


 僕は、その背中を眺めることしかできなかった。


***


 永井さんの姿が見えなくなった後も、僕は、そのままその場に立ち尽くしていた。


『私の気持ちも知らないでそんなこと言わないでよ!』


 永井さんに明確に拒絶された。


 その事実を僕は、未だに飲み込めずにいた。


 そんな風に僕が立ち尽くしていると――


『ガララッ』


 保健室の窓が開く音がした。


 窓が閉まる音がすると、その足跡が近づいてきた。


 そして――


「何かすごい叫び声が聞こえてきたけど、何があったの……?」


 保健室の養護教諭の飯野先生が僕に話しかけてきた。


 僕がその声に振り返ると、先生がぎょっとした顔をした。


「この世の終わりみたいな顔をしているけど、大丈夫……?」


「え、ああ、はい。大丈夫です」


 僕は、生気のこもっていない声で言った。


 そんな僕を見かねたのか、飯野先生がため息をつきながら――


「そんなんで授業出られても、教室の空気が悪くなるわ……ついてきなさい」


 僕に保健室に来るように促してきた。


「はい……」


 僕は、かつかつと足音を立てながら保険室に戻っていく飯野先生に続いた。


***


 僕が、保健室に入ると『キーンコーンカーンコーン』と授業の始まりを知らせるチャイムが鳴った。


 それから、数分が経ち、何も考えずに保健室の応接間に腰掛けていると――


「それで、何があったの……?」


 飯野先生がそう言いながら僕の前に淹れたての紅茶を置いてくれた。


「……」


 どこまで話していいのか僕は、わからず黙り込んでしまっていた。


「なんとなくだけど、あなたが永井さんのことが好きなのは、わかってるから隠しても無駄よ」


 先生が微笑みながら言ってきた。


 ――何で先生が知っているんだ……?


「なぜそれを……?」


 僕が不思議に思って聞くと――


「この前、霧崎君が倒れたときになんとなくだけど、永井さんのことで悩んでいるのかなって思ったのよ。普通、倒れただけじゃ、あんな落ち込み方しないと思うし……ま、ただの勘ってやつね」


 先生が少しおどけながら言った。


「そうですか……」


 僕は、先生の洞察力の鋭さに驚きつつもぽつりぽつりと先ほど起きたことを説明し始めた。


「ああ……なるほどね……。いやあ、霧崎君……きみ……思ったよりも……」


 ――思ったよりも何だ……?


 僕が次に続く言葉に緊張感を高めていると――


「ク……罪な男だね……」


 先生が苦笑いをしながら言った。


 一瞬、教師たるもの言ってはならない言葉が聞こえかけたが気のせいだろう。


 それよりも――


「僕が罪な男……?」


 一体、どういうことだろうか……?


「うーん……君のためにも永井さんのためにならないから詳しくは言えないわ……」


 飯野先生が、紅茶を飲みながら言った。


 ――本当にわからないんだけど……一体どういうことだ……?


 僕がそんな風に思考を巡らせ続けていると――


「ま、自分の行動にやましいことがないか胸に手を当てて考えることね……」


 飯野先生が少し困ったように、微笑みかけてきた。


「わかりました……」


 正直、自分の行動にやましいことがないかと言われたら、愛理とのこと、ゆきちゃんとのことなど永井さんに知られたくないことだらけだった。


 しかし、どれも永井さんに知られるなんてことは、ありえないはずだ。


 僕は、その点に関してだけは、確信があった。


「まあ、頑張りなさいな、若者よ」


 先生は、そう言うと、パソコンに向き合って作業を始めてしまった。


 その後、2限目の授業が終わるまで僕は、ひたすら自分の行動を思い返したが、真相にたどり着くことはできなかった。


 












 











 



 




 






 



 

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